第8話
「では……ヴォルテさんが投げ捨てた“親族”でも探しに行きましょうか」
ヴォルテは腕を組み、目を細めたまま首をかしげる。
「ん〜、近くには無さそうだな……ていうか、“フィーロ”ってそもそも何?」
オルヴァンは懐からスッと本を取り出す。
だがページは開かず、そのまま淡々と語り始めた。
「フィーロは四次元以上の空間構造に存在する高次元物質であり、物質界の生命体と常時エネルギー相関を保って──」
(ちょっ……このおじさん変なんです)
ヴォルテが小声でシロップに耳打ちする。
(時々そうなるのです。分からないと置いていかれる気がするので、とりあえず理解してるフリをします)
シロップは正面を向いたまま答えた。
「……細胞構築アルゴリズムに逐次ノイズを与え、“有益な突然変異”の発生頻度を飛躍的に高め──」
(こわっ……なんか塔に帰りたくなってきた……)
ヴォルテが思わずシロップの腕を掴む。
「……魔法とは、この相関の位相を操作して現象を選択的に発現させ──」
ヴォルテが半目になってシロップの肩を小突く
(大丈夫……このまま頷いていれば大丈夫です)
シロップは真顔のまま、小さく縦に首を振り手をぎゅっと握り返す。
そのとき、オルヴァンがふいに広場中央の大木を指差した。
ビクッと同時に肩を寄せ合うヴォルテとシロップ。
「あの巨木……あれだけ不自然に孤立しているのは、フィーロを吸収し成長した結果かもしれません。そして今も、さらなる変化を求めている可能性が……」
シロップとヴォルテは、ぽかんと口を開けたまま大木を見る。
「……えーと、ですね。あの鳥! はい、あの鳥は普通の鳥ですが、もしフィーロを取り込んで知性寄りに変化すれば、私と会話できるようになります。逆に、身体強化寄りすぎると!──襲いかかってきて私を食べます」
ピシッと敬礼気味に締めくくるオルヴァン。
(……つまり、鳥が賢くなり筋肉ムキムキ…)
(……そんな感じですね、きっと)
シロップがポンと手を打つ。
「では、その木の近くへ行ってみましょうか?」
「はい! 行ってみましょう!」
そう言って、彼らは歩き出した。
近づくにつれて、巨樹はますますその威容を増していった。
まるで空を支えているかのようにそびえ立ち、太い幹は地から天へまっすぐ伸び、枝葉が空を覆い隠している。
ヴォルテは幹にポン、ポンと軽く手を当て、反応を探るように叩いてみる。
シロップは祈るように静かにその姿を見上げていた。
オルヴァンは根元をじっと観察し、手のひらをかざして何かを探る仕草を見せる。
「……普通の木、かもしれません。ただ、数千年生き続けた巨木──というだけの」
「なーんだ、なんか起こるかと期待したのに」
ヴォルテが口を尖らせる。
シロップは木肌をそっと撫でながら、ふと呟いた。
「数千年も、ここに……なんだか、親近感が湧きますね」
……そのとき。
ザッ……ザッ……
幹の向こうから、かすかな音。
三人は顔を見合わせ、静かに回り込む。
「……何か、いる」
ヴォルテが低く構える。
そこに現れたのは──
大鎌を軽やかに振るう、豹柄の獣人だった。
二足歩行の筋肉質な体躯、その動きは研ぎ澄まされ、鎌の軌跡はまるで舞のように滑らかだ。
ヴォルテが小声で囁く。
「アレって……話せば分かる系? それとも……食う気満々系?」
オルヴァンは目を閉じ、思案するように首を傾げた。
「記述があったような……ぶん投げずに済めば良いのですが」
その瞬間、獣人がこちらに気づいた。
ピタリと動きを止め、じっと三人を凝視する。
「……あっ、こっち見た」
ヴォルテはどこか楽しげに笑った。
一方そのころ、獣人は内心で大混乱していた。
(なんだあれ……? あからさまに怪しい集団……赤、白、黒……! しゅ、宗教団体か!? いや、巡礼者か? いやいや危険!危険だ! 黒いのは……ヒューマン!? 初めて見たぞ!? やば……今、俺どうすればいいんだ!?)
パッと本を取り出したオルヴァンが、手早くページを捲りながら呟く。
「言語は通じそうですが……この地域はかなり排他的とあります。慎重に」
「うーん、なんか強そうだな~」
ヴォルテは好奇心を隠さず、フードの隙間からじろじろと相手を観察している。
「……ああ見えて、農耕民族らしいですよ。果物と酒を好むと」
オルヴァンが冷静に付け加えた。
「果物……!」
その一言で、シロップの目がぱあっと輝く。
すると、オルヴァンはそっとヴォルテに耳打ちする。
「穏便に済ませたいので……こっそり触れて、変身できるように記録をお願いします」
目で「任せとけ」と合図を返すヴォルテ。
その瞬間、彼の分体が地中を這い、獣人の足元へと忍び寄っていく。
──一方そのころ、獣人の内心は完全にパニックだった。
(やばい! 本を開いた!魔術師確定だ! なんで魔法!? この鎌か!? 草刈りです! これ死ぬやつだ! 草刈死!?)
ニョキッ。
足元からヴォルテの分体がぬるりと出現。
本来は静かに触れるだけでよかったのに、わざわざペローンと足を舐めた。
「ぎゃあああああああああああああッ!!?!?!」
豹柄の獣人が、まさかの奇襲に大鎌を放り投げ、森へ向かって絶叫ダッシュ。
森に消えてからも、その叫びはこだまのように響き続けた……。
「……わざと驚かせましたね」
シロップが呆れたように小さく呟く。
ヴォルテは満面の笑みで、去っていった方向を見つめていた。
「さて……この場を離れましょうか」
オルヴァンはそっと大鎌を拾い上げ、丁寧に収納した。
「え〜、もっと絡みたかったな〜。変身の意味なかったじゃんかぁ〜」
ヴォルテは既に、獣人そっくりの姿に変化していた。
「ヴォルテさんはフードで顔も隠れていましたし……もし交渉の場になったら、その姿で仲裁をお願いしようかと」
「襲われたら、ぶん投げれば解決だろ? 獣人パンチ! 獣人キック!」
勢いよく動きながら、なぜか技名を叫ぶ。
「……ただ、この地域は非常に排他的です。外部の者に好意的とは限りませんし、先ほどの反応を見るに、接触は慎重に行うべきでしょう」
オルヴァンの声はいつになく硬い。
「シロップさんは、どうされたいですか?」
シロップは何か言いたげに、もじもじと指を組みながら下を向いた。
「果実が目的でしたら、森で採ることも可能ですよ。ただ、料理となると……先ほどの獣人さんに着いていくのが最短ですが……その場合、警戒心を解く必要があります」
「……料理……」
シロップはそっと両手を合わせ、祈るように呟いた。
「これっ!」
ヴォルテが拳を突き出し、力強く宣言した。
「無!」
指を伸ばしながら──
「甲……爪すごっ!」
くるっと手首を返して、掌を上に向ける。
「掌。……無は甲に勝ち、甲は掌に勝ち、掌は無に勝つ!」
そして、ゆっくりと拳を握りこみながら──
「ここぞという時に使える、無限! すべてに勝つッ!」
「……塔でやりましたよね……毎回ルール説明必要ですか?」
「トーイッ! プゥーォオ!」
ヴォルテ──「甲!」
オルヴァン──「無」
シロップ──「無限!」
ヴォルテとオルヴァン、声を揃えて言う。
「……負けた!」
シロップは勝ち誇って拳を掲げ、チャチャーン♪と心の中で鳴らす。
「では……獣人さんに、料理をご馳走してもらいましょう♪」
「……容易ではないでしょうが、挑戦してみましょうか」
オルヴァンが慎重な笑みを浮かべた。
「ヴォルテさん、容姿を少し変えましょうか」
「え?」
「そのままでは、先ほどの獣人さんと瓜二つなので……」
オルヴァンはヴォルテをじっと観察し、すぐに指示を出し始めた。
「紋様の配置を少し変えて……髭を短く、目と耳を少し鋭く、口は僅かに引っ込めてください。毛は……ほんの少し伸ばして」
さらに全体を遠目に見渡し──
「身体を二割ほど大きくして、ズボンには色褪せ効果を追加。全体を、もう少しシュッとした印象に」
「こうか? こういう感じか?」
ヴォルテが謎のポーズを決める。
「そして、元のマントフードを着用。……あ、靴も適当に変化を」
「良いですね……」
シロップはぐるりと一周回って、変身後のヴォルテを見つめた。
「……なんか、アレですね……マントが赤いと、こう……アレですね……」
オルヴァンは何か言いかけて口をつぐむ。
「え? アレ? アレって何!? 褒めてる? けなしてる? どっち!?」
その時──森で鳥たちが一斉に飛び立ち、羽音が空に響いた。
「あっ、もう来ちゃった! 鎌取り返しに来たんじゃ!?」
ヴォルテが慌て始める。
「落ち着いて、円陣を!」
オルヴァンの合図でしゃがみ込み、作戦会議が始まった。