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フィーロ  作者: NaGold
7/50

第7話

 ⸻


 深い衝撃音のあと、森は再びふたたしずまり返った。


 しばしの沈黙。


 枝葉しようの間から──ぬっ……と、人影がゆっくりと立ち上がった。

 オルヴァンは、何事もなかったかのように漆黒しっこくのマントをふわりとひるがえし、首元で形を整えた。

 すそが足元まできれいに収まり、満足げにひとつうなずく。


 開けた場所へと歩み出ると──


「ふぅ〜……」


 大の字になって寝転び、わたる青空をあおぐ。

 まるで、何かが起こるのを静かに待っているかのように、動かない。


 やわらかな草の感触が背に心地よく、おだやかな風がマントの裾をさらりと揺らす。

 雲ひとつない空は、この旅を祝福しているかのようだった。


 目を細めると、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。

 一声、また一声──澄んだ音が、はっきりと耳に届く。


「……何も起きない……」


 ぽつりとつぶやいた瞬間、何かを思い出したように上体を起こす。

 草の上で胡坐あぐらをかき、鞄から一冊の蔵書ぞうしょを取り出すと、丁寧にページをめくりはじめた。


 パラ……パラ……


 指先がふるびた紙の端をなぞるたび、なつかしい気配がふわりとただよう。

 しばらく読み進めたあと、ふと顔を上げる。


「……あっ、そうそう」


 立ち上がり、両足を揃えて深呼吸。

 右手を地面へ軽くかざし、唇を静かに動かすと


 地面がふわりとり上がった。


 土と草がからみ合い、ゆっくりと形を変えていく。

 やがて、座り心地の良さそうな椅子が現れた。

 オルヴァンはそこに腰かけ、本を開きながら満足そうに頷く。


「地上で読む本も、なかなか……いいものですね」


 風が吹き抜け、草のにおいがふわりと鼻をくすぐる。

 黒いマントの裾がゆるやかに揺れ、木々の間から差す光がページの上を踊る。


「これは……あれですね。読書と昼寝が拮抗きっこうする──罪深い環境ですね……」


 頬杖ほおづえをつき、誰もいない隣へと目を向ける。


「え? ……なんです?」


 ページを捲りながら、オルヴァンはふと視線を遠くへ向ける。

 山頂はもう、木々の向こうに小さくかすんでいた。


「……ええ、そうですね」


 返事のない声に頷き、本を閉じる。

 念のためマントの裾を軽くつまみ、腕や足を伸ばす。


 しばらく耳をませても、塔からの干渉かんしょうを思わせる音や気配はない。

 空気は軽く、風は柔らかい。

 鳥の囀りと、葉擦はずれの音が重なるだけの、穏やかな地上だった。


「異常なし……ですね」


 椅子から立ち上がり、軽く肩を回す。

 足元の草が揺れ、足裏に湿しめり気のある土の感触が伝わる。


「……そろそろ、出しても良いでしょう」


 まずシロップを、続けてヴォルテを収納しゅうのうから解放する。


 草原にふわりと現れた二人──

 シロップは優雅ゆうがに石化を解き、ヴォルテは混乱したまま形状けいじょうをぐにゃりと整える。


「……ん……ここは……?」


 銀糸ぎんしのような髪が柔らかな風に揺れ、シロップはゆっくりと目を開いた。

「……あっ……落ちて……私、どうなったんでしたっけ?」


 オルヴァンは両手を合わせ、深々《ふかぶか》と頭を下げる。

「大変申し訳ありません。落下時の安全を最優先した結果、少々、順序が後手ごてに回りました!」


 ヴォルテがばらばらに手足を出しながら喋り、なぜか全裸ぜんらオルヴァンの姿に変化する。

「ちょ、ちょっと! 全裸! 記憶が途中で途切れてる!」


 オルヴァンは即座に補足した。

「ヴォルテさんは最後に、とても素晴らしい働きをされました。空中での形状展開、見てて楽しかった」


「え、そう?」

 とつぶやきながら、ヴォルテはマントを着た騎士の姿へ変化。


 シロップは目元に指を添え、眼鏡めがねの角度を直しながら辺りを見渡す。

「……でも、不思議ですね。真っ白だった景色が、今はこんなに緑に……」


「ええ、良い場所です」

 シロップはその言葉にそっと微笑ほほえんだ。


 ヴォルテが空を見上げ、唐突とうとつに言う。

「なんか……空が腹立つくらい晴れてるな……」


 シロップは小さく目を細め、ひたいに手をかざす。

「……日差ひざしが……」


 まぶしげに空を仰ぐその横顔を見たオルヴァンは、何も言わず、自身の漆黒しっこくのマントを外してシロップにそっとかけた。

 ふわりと肩を包み、フードを優しく引き寄せる。


 ──その瞬間、黒だったマントが柔らかな光を宿やどした白へと変化へんかする。


 シロップはおどろき、指先でマントの端をつまむ。

「……不思議ですね。あたたかくて、眩しくない……」


 それを見ていたヴォルテが片眉かたまゆを上げる。

「フード、カッコいい……」


 次の瞬間、彼の姿はマント&フード姿のオルヴァンに変わり、風を受けて裾をなびかせながらドヤ顔でポーズを決めた。


 オルヴァンは少し目を細め、その姿をながめる。


「……仕方ねぇなぁ〜」

 ぶつぶつ言いながら、自らの右腕をガシッとる。

「ほれよっ」


 投げられた右腕は空中でくるんと回転し──ふわりと黒いマントへと変化して、オルヴァンの頭上へ舞い降りた。


「おおっ……ありがとうございます」

 自然にそれをまとい、ブワァッとマントをなびかせて満足げに微笑む。


 ヴォルテはすでにマントを赤になおし、腰に手を当てる。

「色は何がいい? 黒? んじゃ俺は赤!」


「はい、黒のままで結構です」


「なら俺は赤でキメるぜー!」


「ちなみに……今のは?」


「ん? あぁ、2番だな。前は10分割じゅうぶんかつとか余裕だったけど、最近は5〜6分割が限界げんかいでさ〜……」


 オルヴァンはすぐに書を取り出し、パラパラとページをめくる。

「ふむ……今のヴォルテさん、記述きじゅつにある性能よりややよわっておられるようですね。経年劣化けいねんれっかか、もしくは──」


「えっ、オレ弱ってんの? マジで!?」


「“フィーロ”という物質ぶっしつ吸収きゅうしゅうすれば、無限に成長するとありますが……現在の状態を見るに、フィーロの消耗しょうもうまたは飛散ひさんの可能性が」


「おいおいおい……それ、もしかして……」

 目を泳がせるヴォルテ。


 そのとき、オルヴァンの背で風に揺れていたマントが、小声で喋り出した。

「……ゼロは以前、自分で千切ちぎって窓からぶんげてました……」


「ゼロ……」

 オルヴァンが静かに呟く。


「にばぁーん!!」

 ヴォルテがブンッとマントをにらみつけた。


 シロップが眼鏡を押し上げ、首をかしげる。

「ゼロ……というのが、あなたのお名前なのですね?」


「名なんて興味きょうみねーし! ヴォルテでいいから! な! 名前とかどうでもいい系だから!」


 ほんの少しだけ、声が裏返うらがえっていた。


「ま、2番はまかせた」

 ヴォルテが手をひらひら振ると、マントがひかえめに喋った。


「……はい、問題ありません……」


 その声を聞いたオルヴァンは、軽く一礼いちれいする。

「ありがたくおりします」


 ──が、次の瞬間、2番が低く遠慮えんりょがちに口を開いた。

「……あの……マントの下に何も着ないのは、いかがなものかと……」


 オルヴァンはまたたきを一度。ヴォルテとシロップは同時に肩をすくめた。


「いや、もう見慣れたから大丈夫だな」

「ええ、特に支障ししょうはありません」


 しかし、2番はがる。

「……いえ……せめて……ズボンくらいは……」


 微妙に哀願あいがんするような声音こわねに、オルヴァンは少しだけ考え、静かに頷いた。

「……なるほど。ご提案ていあん、受け入れましょう」


 次の瞬間、黒い布が現れ

 オルヴァンは腰紐こしひもを整え、あらためて立ち上がった。


「これで問題ありませんね、2番さん」


「……はい、これで心置こころおきなく……おまもりできます……」


 ヴォルテが口元をにやりとゆがめ、シロップは眼鏡の奥でそっと笑みを深めた。

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