第6話
「で……どうします?」
シロップが腕を組み、少し考えるように視線を巡らせる。
「塔の一階まで降りるのは……正直、時間かかりますよね。」
「ふむ」
オルヴァンは顎に手を当て、窓の外を見下ろす。
「最短は途中の山頂に降りることですが……」
「いいじゃん、それで」
ヴォルテが軽く手をひらひらさせる。
「俺はどっちでもいいし。どうせまた上に戻ることだって出来るんだろ?」
「いや……出来れば全階層を確認しておきたいんです」
オルヴァンがきっぱりと口にする。
「この塔が蔵書の記述と一致しているか、確かめる価値はあります」
「でもお腹空きました」
「俺はどっちも興味なし」
三人、視線を交わして──
沈黙。
「……これ、決まらないやつだな」
ヴォルテが肩をすくめる。
「だったら、こういう時はあれだ」
「……多数決ですか?」
オルヴァンが問い返すと、ヴォルテはニヤリと笑う。
「これっ!」
ヴォルテが拳を突き出し、力強く宣言した。
「──無!」
指を伸ばしながら、間髪入れずに叫ぶ。
「甲!」
さらに、くるっと手首を返して、掌を上に向ける。
「掌! ……無は甲に勝ち、甲は掌に勝ち、掌は無に勝つ!」
そこで、なぜか急に間を取って──
拳をゆっくり握り込み、ドヤ顔で。
「そして! ここぞという時だけ出せる……無限! すべてに勝つッ!」
「……そのパターン、蔵書に載ってないですね……」
オルヴァンが本気で困った顔をする。
「細けぇことはいいんだよ! いくぞ〜!」
ヴォルテは片手を背中に回し、妙な腰のひねりを加えた構えを取る。
「トーイッ……プゥーォオ!」
掛け声と同時に、ヴォルテ──「無!」
オルヴァンは掌を見せて──「掌」
シロップは一瞬遅れて、軽やかに──「無限!」
一瞬の沈黙。
ヴォルテとオルヴァン、声を揃えて叫ぶ。
「……負けた!」
シロップは勝ち誇って拳を掲げ、心の中でチャチャーン♪と効果音を鳴らす。
「……これで、山頂直行ですね」
「山頂は生命が生きるには過酷な環境です。食べ物といえば……雪か氷くらいですね」
そう告げながら、オルヴァンは指先で空中に軌跡を描く。
ふわりと光が生まれ、塔全体の立体構造図が空中に浮かび上がった。
「この塔は高峰の岩壁に築かれ、山頂まで伸びています。そして山頂には別の塔が繋がっている……私たちがいるのは、この辺り」
指をくるりと回して頂部を示す。
「目的地は──山頂。外壁に沿って降りるように移動します」
ヴォルテに向き直る。
「ヴォルテさんは、二人を支えたまま外壁に張り付いて、安全に移動できますか?」
「任せろ!」
根拠のない自信で親指を立てるヴォルテ。
オルヴァンは少しだけ目を細めたが、穏やかにうなずく。
「……では、まず内部でテストを」
またも親指を立てるヴォルテ。
二人が並んで立つと、ヴォルテが液状の腕を伸ばして腰を抱え上げる──が。
「うおおお……バランス悪っ!」
ぐらぐらと揺れ、シロップが慌てて声を上げる。
「ちょっ、これでは危険です……!」
「もっと安定させてください」
オルヴァンが身振りを交えて説明する。
「下半身を囲うように……はい、四角く、支点を増やして」
ヴォルテはぬるぬると身体を変形させ、指示通りの形に整える。
柔らかな座面のような構造に、二人の腰がすっぽりと収まった。
「では、ゆっくり前進を」
ヴォルテが壁を滑るように進み、そのまま垂直に上昇。
「天井へ……はい、ぐるっと回って」
天井に張り付き、三人の体が逆さになる。シロップの長い髪が重力に従って垂れ、床をそよぐ。
「今度は反対の壁へ……回転」
ぐるりと回った瞬間、シロップの髪がオルヴァンの背をくすぐる。
「ふふっ」くすくすと笑い、「楽しいですね」
「では、外へ出ます。窓へ前進!」
ヴォルテがそのまま窓を抜けると、三人は塔の外壁へと姿を現した。
吹き抜ける風、遥かな地面。まるで壁に貼り付いた奇妙な彫刻のように静止する三人。
「少し前進、右へ九十度、前進」
外壁を水平に移動し、半円形の縁を越えて降下を開始。
――
オルヴァンは周囲を観察しながら蔵書の知識を淡々と語る。その声が風に揺れながら届く──
……と、そのとき。
ぐぅ〜〜〜……
静寂を破る、控えめながら確かな音。
「……っ!」
シロップが顔を赤らめ、お腹を押さえる──次の瞬間、石化!
「お、おいおいおいおい!? なんだ急に!」
質量が一気に増し、ヴォルテの液体構造が軋む。
「やっべ……重っ……! バランス崩れるっ!」
外壁から足場を失い、ヴォルテの身体がずるりと滑る!
重力に引かれ、三人は急降下。後方では光球が必死に追いすがるように落ちていく──。
「ヴォルテさんッ!」
オルヴァンが鋭く声を放つ。
「あの山の斜面──白い雪面へ向かって跳べ!」
「了解!」
即座に反応したヴォルテが外壁を蹴り、三人ごと空中へと飛び出す。
冷たい風が頬を切り裂くように流れ──
「着地面を広げて! 斜面に沿う“滑走構造”に!」
「任せろッ!」
ヴォルテの身体が空中で波打ち、みるみる形を変えていく。
三人の下を覆う、しなやかな滑空板のような構造が広がった。
次の瞬間──白銀の斜面が迫る。
ズザァァァアァァッ!!
雪面に着地し、そのまま勢いよく滑り出す。
最初の速度は凄まじく、耳を裂く風が鳴ったが、やがて雪の抵抗が速度を和らげ、滑走は穏やかな安定へと変わっていく。
「ふぅ……流石は知性の流鋼、ヴォルテ」
オルヴァンは笑みを浮かべ、ヴォルテの肩を軽く叩く。
「いい仕事でした」
シロップはまだ目を閉じていたが、小さく頷き──ほんのわずかに、口元を緩めた。
——
ザァァァーー……
心地よい雪の滑走音が、冷たい空気を切り裂き、静謐な白銀の世界へ溶けていく。
オルヴァンは一冊の書を取り出し、風にページが乱されぬよう片手で押さえながら、口元に微笑を浮かべた。
「……この辺りは“霧抱の尾根”と呼ばれています。“雪は喉元に鋭い刃を与える”──そう記されてますね」
「少し右に。速度を落としてください」
その指示に、ヴォルテが滑空体の形状を微調整。オルヴァンの背後でシロップが静かに頷いた。
やがて、白一色の世界に淡い金色が差し込む。朝日が雪面をやわらかく照らし、長い影が尾を引く。
オルヴァンはふと、宙に漂う光球を掌に収めた。
「……神秘的ですね。まるで夢の中のよう」
シロップがぽつりと呟く。
「もう少し降りれば、草木の茂る斜面が見えるはずです。そこで一度──」
──そのとき。
ザァァァァ……
滑走音が、不意に消えた。
三人「!?」
「と、飛んでます! これ……空に浮いてる!?」
シロップが目を見開く。
「……いえ、落ちてますね」
冷静なオルヴァンの訂正が返る。
「いやどっちでもいいけど!? これどうすんの!?」
ヴォルテの叫びが風に千切れそうになる。
「ヴォルテさん! 面積を広げて、浮力を!」
「やってるって! ……うわ、回る回る回るっ!」
空中で滑空体がクルクルと回転し、制御不能に陥る。
「このままでは──」
オルヴァンが叫ぶ。「衝撃で衣服が破損します!」
「修復すればいいではありませんか!」
シロップも叫び返す。
「えっ!? 何!? 聞こえないんだが!?」
ヴォルテが混乱の中で返す。
「絶対とは言い切れません! シロップさん、念の為石化を!」
「……承知しました!」
バシュッ!
瞬く間に、シロップの身体が重く冷たい石に変わる。
「ッぐぅ!? 重っ!!」
ヴォルテの身体がきしむ。
即座にシロップを収納──そして、自身のマントも収納。
──残されたのは、全裸のオルヴァン。
「え? え? ええぇぇぇッ!?」
ヴォルテが目を丸くする間もなく、ポンッと収納される。
風を切り裂きながら落下する全裸の騎士。
その姿は一瞬の間、黄金の光に包まれる。
「…………」
低く呟く声が風に溶け──
眼下に迫る密林!
バキバキバキバキッ!
枝を砕き、葉を散らし──
ドスン!!




