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フィーロ  作者: NaGold
5/50

第5話

 スゥーッ……

 部屋の中央で床がせり上がり、そこからぬらりと液状の“何か”が姿を現した。

 それは水銀のような艶を帯び、形を変えながらゆらめく。

 視線というより、“観察”されている感覚だけが、鋭く突き刺さる。


 一歩踏み込み、口を開く。

「えー……私は上層から──」


 言葉を最後まで告げる前に──


 シュバッ!


 液体が一気に襲いかかってきた。

 槍のように尖り、波のように押し寄せ、ムチのようにしなる。


「っと……待ってください、こちらに敵意は……!」

 踏み込みを外し、ひらりとかわす。

 しかし、容赦なく繰り出される突き、打撃、巻き込み。

 オルヴァンは刃の間を舞うように身をひるがえし、紙一重で攻撃を受け流す。


(……ねじ伏せるのは容易い。だが、それでは話ができない……!)


 その矢先──床から伸びたぬめる腕が脚を絡め取り、一気に天井近くまで持ち上げた。


「……っと!」


 ぶん、と振り回され、窓の外へと放り投げられそうになる。


 カチ……カチチ……


 液体の表面が、みるみる石の質感へと変わっていく。

 冷たく、硬質な光が走り、動きが止まった。


 視線の先、階段を静かに降りてくる白い影──シロップ。

 その表情は変わらず涼やかで、指先が小さく空を一閃する。


 パリ……ッ。

 石化した腕が砕け、オルヴァンは宙を舞い、くるりと回転して軽やかに着地した。


「……助かります」


「私の役目ですので」


 淡々と告げるシロップ。

 オルヴァンはふぅっと息を吐き、石と化した液体を見下ろす。

 まだ完全には砕けず、鈍い光を宿しているそれに、彼は静かに目を細めた。


 右手を軽く上げると、空間から一冊の本がふわりと現れる。

 オルヴァンはその背を撫で、パラパラとページをめくっていった。


「ええと……液状で、自在に姿を変え……あ、ありました。“知性の流鋼ヴォルテ”」


「知性の……鋼? 強そうな名前ですね」


「“変幻自在に姿を変え、高い知性を持つ。複数の人格を宿し、侵入者に溶け込み、隙を伺う潜入者”……そう記されています」


 シロップは少し首をかしげ、視線を石化したヴォルテに落とす。

「でも……意外とあっさりでしたね」


「……相性でしょうか。知性は高いはずなので……話せば、通じるかもしれません」


 ページを閉じ、蔵書を静かに空間へと戻すオルヴァン。


 ふと、シロップが彼を見上げる。

「……私の“二つ名”も、その本に載っているのですか?」


 オルヴァンはわずかに目を伏せ、短くうなずく。

「はい。二つ名も……他の記録も」


 短い沈黙。

 シロップは、ほんの一瞬だけ視線を落とし、再び静かに微笑んだ。

「……良い記憶なら、数百年経っても忘れません。忘れているということは……知る必要のないことなのでしょう」


 オルヴァンは、その言葉を黙ってうなずいた。


 そして、視線を石化した“流鋼”へと向ける。

「……私は、この塔の最上階から降りてきた者です。敵意はありません。

 あなたのことは本で知っていますし……今も、背後の壁から分体がこちらを窺っているのも分かっています」


 静かな声色のまま、一歩だけ近づく。

「話し合いに応じるなら、本体の石化を解きましょう」


 一瞬の沈黙。

 その後──背後の壁がぬるりと歪み、銀色の影が半身を突き出した。

「……参りましたよ」


 オルヴァンは振り返らず、軽く顎を引く。

 シロップが静かに歩み寄り、指先をすっとかざすと──パリッ、と音を立てて石化が解けた。


 解放された液状の身体が、ゆらゆらと揺れる。

「……負けを認めたのは“あいつ”で、俺じゃねえからな」


「強がりに聞こえますが」

 オルヴァンが淡々と返すと、液体は一瞬だけ跳ねるように震え、次の瞬間──形を変え始めた。


 みるみるうちに輪郭が整い、細部までオルヴァンそっくりの姿へと変化する。

 背丈、体格、マントの光沢、驚くほど正確だ。


「……すごい」

 思わずシロップが呟く。


 軽く肩をすくめると、ヴォルテは室内の隅へと歩き、そこに隠していた複数の分体を吸い上げるようにして取り込み、ひとつに収束させた。


 そして、ニヤリと口角を上げ──

「……なんだお前ら、わざわざ上から降りてくるなんて。よっぽど命知らずか、それとも……迷子か?」


 突然の語気に、オルヴァンが首を傾げかけたそのとき──

 シロップが一歩、前へと出る。


「私の名はシロップ、上階で“宝”を護っていた者です」


「……は?」


 ヴォルテはぽかんとした顔で目をしばたたき、腕組みを解くと──

「お、お前ら……同業者か!? どうりでやけに手慣れてると思ったわ!」と叫んだ。


 上を指差しながら慌てた様子で、

「ていうか今すぐ戻れ! しっかり宝を護れ! 上だ上! ……なんか急にヤバそうな気がしてきた!」


 ──だが、


 シロップはオルヴァンと並ぶ位置に立ち、眼鏡の縁を指でそっとなぞった。

 その瞬間、眼鏡が一瞬だけ揺れて、元の形に戻る。


「あなたが護っていた“宝”はこれです」


「へぇ……?」


 いぶかしげな表情を浮かべたヴォルテだったが、

 シロップの次の言葉で、ぴたりと固まる。


「そして、この塔の“最上階の宝”は──こちらです」


 両手をそっとオルヴァンへと添えた。


「…………は?」


「私の名はオルヴァン。宝はすべて──ここにあります」


 右手で腰をポンっと叩き、左手でシロップを示す騎士。


 しばし、沈黙。


 ヴォルテの顔がピクピクと引き攣り、

 次の瞬間──何かを悟ったように、片膝をついて深く頭を垂れる。


「……宝が……自ら降りてくるとは……やっぱ皆んな、暇してたのか……」



 突如として勢いよく立ち上がり、2人にギュッと抱きつく。


「暇すぎて大変だったのよ!!

 皆んなでワイワイやってんのも限界でさ〜!

 かくれんぼ選手権なんて数千回、一芸コンテスト数万回超え、モノマネ大会2回、格闘トーナメントなんて……!?シクシク……」


 ぐすぐすと泣き出すヴォルテを、オルヴァンはそっと抱きしめる。


「……私なんて、1人でずっと直立してましたからね……」


 シロップもまた、小さく呟く。


「……私は動かなさすぎて、石になってました……」


 沈黙。


「……泣くな! せっかくの男前が台無しです!」


「うるせぇよ!」


「…………」


 そう言いながら、ヴォルテのほっぺをプニプニしたり、鼻をつまんだりと遊び始める。


「おいやめろぉっ!」


「こんなところにこんな素敵な私が……」


「…………」


 そんな中、シロップが軽く咳払いをした。


 その小さな音に、2人もピタリと静かになる。


「……で、ヴォルテさんも“宝”を護るためだけに、ここに?」


 問いかけるシロップの声は穏やかだったが、確かに核心を突いていた。


「そーだねぇ」

 ヴォルテは頭を掻きながら答える。


「上の宝を護るために、下から来た侵入者の隙を見つけて──」


 三人、タイミングが揃って。


「ぶん投げる」


 沈黙。


「……危うく宝をぶん投げるところだったぜ……」


「いえいえ、大丈夫です」

 オルヴァンは肩をすくめて静かに言った。


「私が本気なら、数秒で終わってましたし……こういうことも、出来ます」


「よっと」


 ポン、とヴォルテの肩に触れる。


 スッ。


 ヴォルテの姿が、霧のようにふわりと消えた。


 次の瞬間、パッと出す──


「わっ!? な、何だ今の!? 一瞬、真っ暗で動けなかったぞ!?」


 空中にふわっと現れたヴォルテが、宙返りするように着地する。


「収納してみました」

「収納て!!」


 ヴォルテはまだ驚いたまま、目をぱちぱちと瞬かせる。

 そして──


「……なあ、それもう一回やって」

「え?」

「いや、ちょっと今度は回転しながら消える感じで! あ、消えたあとにハジの方に戻して!」


「収納やって!」

「……はいはい」


 ポン。

 スッ──。


 パッ。


「うおおっ! 今のカッコいい! もう一回!」

「……話が進まないので後にしてください」


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