第5話
スゥーッ……
部屋の中央で床がせり上がり、そこからぬらりと液状の“何か”が姿を現した。
それは水銀のような艶を帯び、形を変えながらゆらめく。
視線というより、“観察”されている感覚だけが、鋭く突き刺さる。
一歩踏み込み、口を開く。
「えー……私は上層から──」
言葉を最後まで告げる前に──
シュバッ!
液体が一気に襲いかかってきた。
槍のように尖り、波のように押し寄せ、ムチのようにしなる。
「っと……待ってください、こちらに敵意は……!」
踏み込みを外し、ひらりとかわす。
しかし、容赦なく繰り出される突き、打撃、巻き込み。
オルヴァンは刃の間を舞うように身をひるがえし、紙一重で攻撃を受け流す。
(……ねじ伏せるのは容易い。だが、それでは話ができない……!)
その矢先──床から伸びたぬめる腕が脚を絡め取り、一気に天井近くまで持ち上げた。
「……っと!」
ぶん、と振り回され、窓の外へと放り投げられそうになる。
カチ……カチチ……
液体の表面が、みるみる石の質感へと変わっていく。
冷たく、硬質な光が走り、動きが止まった。
視線の先、階段を静かに降りてくる白い影──シロップ。
その表情は変わらず涼やかで、指先が小さく空を一閃する。
パリ……ッ。
石化した腕が砕け、オルヴァンは宙を舞い、くるりと回転して軽やかに着地した。
「……助かります」
「私の役目ですので」
淡々と告げるシロップ。
オルヴァンはふぅっと息を吐き、石と化した液体を見下ろす。
まだ完全には砕けず、鈍い光を宿しているそれに、彼は静かに目を細めた。
右手を軽く上げると、空間から一冊の本がふわりと現れる。
オルヴァンはその背を撫で、パラパラとページをめくっていった。
「ええと……液状で、自在に姿を変え……あ、ありました。“知性の流鋼ヴォルテ”」
「知性の……鋼? 強そうな名前ですね」
「“変幻自在に姿を変え、高い知性を持つ。複数の人格を宿し、侵入者に溶け込み、隙を伺う潜入者”……そう記されています」
シロップは少し首をかしげ、視線を石化したヴォルテに落とす。
「でも……意外とあっさりでしたね」
「……相性でしょうか。知性は高いはずなので……話せば、通じるかもしれません」
ページを閉じ、蔵書を静かに空間へと戻すオルヴァン。
ふと、シロップが彼を見上げる。
「……私の“二つ名”も、その本に載っているのですか?」
オルヴァンはわずかに目を伏せ、短くうなずく。
「はい。二つ名も……他の記録も」
短い沈黙。
シロップは、ほんの一瞬だけ視線を落とし、再び静かに微笑んだ。
「……良い記憶なら、数百年経っても忘れません。忘れているということは……知る必要のないことなのでしょう」
オルヴァンは、その言葉を黙ってうなずいた。
そして、視線を石化した“流鋼”へと向ける。
「……私は、この塔の最上階から降りてきた者です。敵意はありません。
あなたのことは本で知っていますし……今も、背後の壁から分体がこちらを窺っているのも分かっています」
静かな声色のまま、一歩だけ近づく。
「話し合いに応じるなら、本体の石化を解きましょう」
一瞬の沈黙。
その後──背後の壁がぬるりと歪み、銀色の影が半身を突き出した。
「……参りましたよ」
オルヴァンは振り返らず、軽く顎を引く。
シロップが静かに歩み寄り、指先をすっとかざすと──パリッ、と音を立てて石化が解けた。
解放された液状の身体が、ゆらゆらと揺れる。
「……負けを認めたのは“あいつ”で、俺じゃねえからな」
「強がりに聞こえますが」
オルヴァンが淡々と返すと、液体は一瞬だけ跳ねるように震え、次の瞬間──形を変え始めた。
みるみるうちに輪郭が整い、細部までオルヴァンそっくりの姿へと変化する。
背丈、体格、マントの光沢、驚くほど正確だ。
「……すごい」
思わずシロップが呟く。
軽く肩をすくめると、ヴォルテは室内の隅へと歩き、そこに隠していた複数の分体を吸い上げるようにして取り込み、ひとつに収束させた。
そして、ニヤリと口角を上げ──
「……なんだお前ら、わざわざ上から降りてくるなんて。よっぽど命知らずか、それとも……迷子か?」
突然の語気に、オルヴァンが首を傾げかけたそのとき──
シロップが一歩、前へと出る。
「私の名はシロップ、上階で“宝”を護っていた者です」
「……は?」
ヴォルテはぽかんとした顔で目をしばたたき、腕組みを解くと──
「お、お前ら……同業者か!? どうりでやけに手慣れてると思ったわ!」と叫んだ。
上を指差しながら慌てた様子で、
「ていうか今すぐ戻れ! しっかり宝を護れ! 上だ上! ……なんか急にヤバそうな気がしてきた!」
──だが、
シロップはオルヴァンと並ぶ位置に立ち、眼鏡の縁を指でそっとなぞった。
その瞬間、眼鏡が一瞬だけ揺れて、元の形に戻る。
「あなたが護っていた“宝”はこれです」
「へぇ……?」
いぶかしげな表情を浮かべたヴォルテだったが、
シロップの次の言葉で、ぴたりと固まる。
「そして、この塔の“最上階の宝”は──こちらです」
両手をそっとオルヴァンへと添えた。
「…………は?」
「私の名はオルヴァン。宝はすべて──ここにあります」
右手で腰をポンっと叩き、左手でシロップを示す騎士。
しばし、沈黙。
ヴォルテの顔がピクピクと引き攣り、
次の瞬間──何かを悟ったように、片膝をついて深く頭を垂れる。
「……宝が……自ら降りてくるとは……やっぱ皆んな、暇してたのか……」
突如として勢いよく立ち上がり、2人にギュッと抱きつく。
「暇すぎて大変だったのよ!!
皆んなでワイワイやってんのも限界でさ〜!
かくれんぼ選手権なんて数千回、一芸コンテスト数万回超え、モノマネ大会2回、格闘トーナメントなんて……!?シクシク……」
ぐすぐすと泣き出すヴォルテを、オルヴァンはそっと抱きしめる。
「……私なんて、1人でずっと直立してましたからね……」
シロップもまた、小さく呟く。
「……私は動かなさすぎて、石になってました……」
沈黙。
「……泣くな! せっかくの男前が台無しです!」
「うるせぇよ!」
「…………」
そう言いながら、ヴォルテのほっぺをプニプニしたり、鼻をつまんだりと遊び始める。
「おいやめろぉっ!」
「こんなところにこんな素敵な私が……」
「…………」
そんな中、シロップが軽く咳払いをした。
その小さな音に、2人もピタリと静かになる。
「……で、ヴォルテさんも“宝”を護るためだけに、ここに?」
問いかけるシロップの声は穏やかだったが、確かに核心を突いていた。
「そーだねぇ」
ヴォルテは頭を掻きながら答える。
「上の宝を護るために、下から来た侵入者の隙を見つけて──」
三人、タイミングが揃って。
「ぶん投げる」
沈黙。
「……危うく宝をぶん投げるところだったぜ……」
「いえいえ、大丈夫です」
オルヴァンは肩をすくめて静かに言った。
「私が本気なら、数秒で終わってましたし……こういうことも、出来ます」
「よっと」
ポン、とヴォルテの肩に触れる。
スッ。
ヴォルテの姿が、霧のようにふわりと消えた。
次の瞬間、パッと出す──
「わっ!? な、何だ今の!? 一瞬、真っ暗で動けなかったぞ!?」
空中にふわっと現れたヴォルテが、宙返りするように着地する。
「収納してみました」
「収納て!!」
ヴォルテはまだ驚いたまま、目をぱちぱちと瞬かせる。
そして──
「……なあ、それもう一回やって」
「え?」
「いや、ちょっと今度は回転しながら消える感じで! あ、消えたあとにハジの方に戻して!」
「収納やって!」
「……はいはい」
ポン。
スッ──。
パッ。
「うおおっ! 今のカッコいい! もう一回!」
「……話が進まないので後にしてください」




