第41話
食堂。
壇に立ったトリットは、オルヴァンたち三人に向けて長々と感謝の言葉を述べていた。途中で会場がざわつく場面もあったが、彼は気にすることなく和やかに話し続け、最後は帝国行きに参加する者たちへ期待を込めた言葉で鼓舞し、力強く締めくくった。
場内が拍手に包まれる中、各席でも笑い声や談笑が弾んでいる。
ヴォルテの周囲では人だかりができ、豪快な笑い声とともに杯が飛び交っていた。
その端では、ロラームとルロマルが身を寄せ合って、楽しげにお喋りしている。
向かいの席からそれを見つめるルピアンは、半目でじとりと睨む。
一方で、ミヤは村人に取り囲まれ、差し出される本や紙に笑顔でサインをしていた。
「はい、順番にお願いしますよ……あ、文字はこう書いた方がきれいに映りますね」
子どもたちにまで教えながら、軽やかに筆を走らせる。
挨拶を終えたトリットは、トリッチを連れて席を回っていた。
「父上、こちらは?」
「この方は近辺の集落数ヶ所を取り仕切っている御仁だ。挨拶しておけ」
トリッチは緊張気味に頭を下げ、トリットは誇らしげに頷く。
食堂の外では、急ごしらえの席に腰掛けたオルヴァンが子どもたちから質問攻めに遭っていた。
「私も魔法使える様になる?」「リーシェントに色々教えたってほんと?」
「順番に答えますよ。……」
オルヴァンは困ったように笑いながらも、一つ一つ丁寧に答えている。
シロップは中と外を行ったり来たりしながら、盆を抱えて大忙し。
「はーい、おかわりね! こっちはキノコ串足りてる? ……よし、任せて!」
額に汗を光らせつつも、どこか楽しげに食堂を駆け回っていた。
――
陽が傾く夕暮れ、森の手前で準備が進んでいた。
橙色の光に包まれた空気の中、オルヴァンとシロップの背を大勢が遠巻きに見守っている。
ムファールは兵たちに確認事項を読み上げ、同意書を回収していた。声は張り上げているが、どこか緊張が滲んでいる。
そこへヴォルテがサイロを連れて合流した。
オルヴァンが振り返り、サイロの首を撫でながら言う。
「今回はかなり重いですよ。魔道具で軽減はしていますが……疲れたら回復しますので、合図をください」
サイロは自信満々に、何度も大きく頷いてみせた。その様子に兵の一部から小さな笑いが漏れる。
オルヴァンが片手をかざすと、目の前に車両が姿を現した。
それは彼こだわりの書斎を兼ねた特別な車両だった。
人々が思わず息を呑む中、オルヴァンは誇らしげに解説を始める。
「空の書架――これは、ただの移動手段ではありません。知の探求と、心安らぐ時間のための空間なのです」
言葉に合わせ、オルヴァンは外壁を軽く叩いた。
「まず、この車両の本体に使用しているのは、古くから伝わる魔法の木材――エーレル木材。ただ頑丈なだけでなく、微かな魔力を帯びており、魔道具の稼働を驚くほど滑らかにしてくれます」
説明に合わせて兵士たちが顔を見合わせ、感嘆の声を漏らす。
「そして、この車両の一番の特徴である二階部分。透過性の高い強化ガラスでできており、夜は満天の星空を、日中は澄み切った青空を――まるで遮るものが何もないかのように眺めながら読書ができるのです」
ミヤが小さく息を呑み、目を輝かせた。
「もちろん、このガラスには衝撃や天候の変化に耐えるための工夫も施してあります」
トリッチが思わず「すげぇな……」と呟き、隣のプラハがうんうんと頷いた。
オルヴァンはゆったり扉を開け、床の文様を指でなぞる。
「この部屋のどこにいても、必要な時に必要な場所に机や椅子が現れます。これは――次元圧縮の魔法を使った仕掛け。文様をなぞると、別の次元に収納された家具が、目の前に現れるのです。使わないときは消えて、広々とした空間を自由に使える」
机がふっと現れ、見守る子どもたちが「わぁ!」と歓声をあげる。
ミヤは眉間に皺を寄せ
(次元圧縮…魔法?…)
「さらに、車両内の快適性を保つため、温湿調整の魔道具も組み込んであります。極寒の地を旅しても、灼熱の砂漠を越えても、この部屋の気温と湿度は常に一定」
ルロマルが「すっごーい!」と無邪気に笑い、村人たちもざわつく。
「そして夜になれば――自動照明」
埋め込まれた蓄光石がふわりと光を放ち、柔らかい明かりが周囲を包み込む。
「周囲の明るさに応じて、最適な光を灯してくれます。目に優しく、温かい光です」
場の空気が一層しんと静まり、皆がオルヴァンの言葉に引き込まれていた。
説明するオルヴァン自身の表情も、どこか誇らしく、そして楽しげだった。
彼が軽く手をかざすと、空の書架車両の後ろに新たな車両が現れる。
姿を現したのは――食堂車。
シロップが勢いよく前に出て、胸を張って二階を指し示した。
「――“シロップキッチン”です!」
その声に、人々がどっとざわめく。シロップは弾むように続けた。
「旅先でも温かいスープと焼きたてのパンを食べたい! その願いを叶えるために、大きな調理器を備えています。ここでは強力な魔導炉を使って、大量のスープを一度に作れるんです。さらに魔法の力を借りたオーブンなら、一度に何十個ものパンを焼けます! いつでもフワフワの焼きたて!」
香りを想像したのか、子どもたちが「わぁ、いいなぁ!」と身を乗り出す。母親たちも思わず顔を見合わせ、期待に笑みを浮かべた。
「収納スペースにも工夫を凝らしました。次元魔法の技術を応用して、壁の中に広大な収納を確保。食材や調味料、食器もきちんと保存できます。そして浄化機能も完備! いつでも衛生的に料理ができるんです!」
シロップは両手を広げ、瞳をきらきらさせながら言葉を畳みかける。
「一階は普段は広々としていますが……“空の書架”と同じように、ここにも次元圧縮の仕掛けがあります。食事の時間になれば、壁や床からサッとテーブルや椅子が現れる! 人数に合わせて自由にレイアウトできるので、一人でも、みんなでも居心地よく過ごせます!」
最後に両手を合わせ、シロップは満面の笑みで締めくくった。
「――シロップ食堂車!」
わっと拍手と歓声が湧き、「こりゃすごい」とナリカーナは感心の声をもらす。シロップは照れたように頬を赤らめ、嬉しそうに頭を下げた。
さらに、オルヴァンが次の車両を呼び出す。
前に出たヴォルテは、腕を組み。
「え〜……他の車両から使えそうなのを寄せ集めてまして……座ったり寝たりできます。上も下も大差ないです。あ、この車両は複数用意できるので、必要に応じて増やして連結可能です。以上です!」
会場に、ぱらぱらと控えめな拍手が広がる。さっきまでの熱気と比べて、少しばかり静まり返った。
だがヴォルテは、腕を組んで自信満々。
その空気を読んだムファールが慌てて声を張り上げた。
「の、乗り込め!」
号令に兵士たちが動き出し、場の緊張が解けていった。
オルヴァンは車両を一つひとつ確認しながら後方へ歩き、三両目の窓越しに声をかけた。
「皆さん、明るくなるまでゆっくり休んでいてください」
軽く会釈して歩を戻す。
見送りに来た村人たちに向かって「では」と頭を下げ、再び先頭へと引き返した。
その頃には、いつの間にか辺りは夕闇に沈み、森を包む影が濃くなっていた。
車両の側面に埋め込まれた蓄光石が淡い光を放ち、道を照らしている。
「では、シロップさん。行きましょうか」
「はい」
オルヴァンは静かに続ける。
「今回は木を倒さず、練習してきた次元バックの遠隔収納を用います。阻むものはすべて収納するつもりです」
「……超獣も、ですか?」
「はい。全てです。その際にできた空洞は、石化で埋めてください」
「承知しました。――参りましょう」
シロップは深々と一礼した。
光球に照らされた二人が並んで森へと歩みを進める。少し遅れてヴォルテが合図を出すと、サイロが巨体を揺らしながらゆっくりと付いていった。
やがて夜の帳が完全に降り、森は漆黒に沈む。
梢を渡る風の音、遠くで獣の鳴き声がこだまする。だが隊列は、音ひとつ立てずに暗い森を進んでいく。
村人たちは静かに、その背を見送り。
やがて姿が闇に溶けて見えなくなった頃、後には石畳だけが残り、夜空の星明かりを淡く反射していた
空の書架の二階で横になっているミヤたち。ロラームは酒に呑まれたのか、ぐっすりと寝息を立てている。
「この車両、売ったらとんでもない額になりそう…」星空を仰ぎながら、ルピアンが小さく洩らす。
ミヤは眉間に皺を寄せた。
「値段どころか、仕組みすら理解できていない…」
「え? ミヤ様でも…」ルピアンの声が自然と細くなる。
「実際、今も音もなく、この鬱蒼とした森を進んでいるのよ」
「オルヴァンさんは、やっぱり謎が多いですね…」
ミヤは一度、夜空の星々をじっと見つめ、それからゆっくりと目を閉じる。
「何かを見落としている……アレリス皇帝に会う前に、はっきりさせないと」
「教国の大魔導士…なのでしょうか」ルピアンが、眠りに落ちかけるミヤの横顔をうかがう。
「教国にも、これほどの術を扱える者はいないよ」
(まさか、東の大陸に潜むと噂される“魔者”……魔族なのか)
ミヤはその思いをかき消すように、長く静かに息を吐いた。やがて、不安も薄れ、静かな眠りへと沈んでいった。




