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フィーロ  作者: NaGold
4/50

第4話

 かすかな空気の揺らぎとともに、彼の輪郭が溶けるように背景に溶け込み――次の瞬間、姿が完全に消えた。


 シロップはわずかに眉をひそめ、静かに辺りを見渡す。

「……消えましたね」


 ゆっくりと、彼女の周囲を回る気配。

 だが、その軌跡に――ほんのわずかな埃がふわりと舞った。


 その瞬間。


 スゥッ――……


 舞った埃の方向に視線を向けたシロップの瞳が、淡く光を帯びる。

 瞬きひとつの間に、マント全体が灰色に染まり、石の塊となって動きを止めた。


「……ほぅ」

 声だけが、その場で静かに響く。オルヴァン自身は石化していない。

 だが身体はマントごと固められ、首だけがわずかに動く。


「……この創造主、どうにも詰めが甘いですね」

 かすかな苦笑を滲ませるオルヴァン。


 シロップは近づき、固まったマントの縁に手をかざした。

 淡い光が走り、石化が解かれる。


「……舞う埃まで隠せるようにしておけば、完璧だったのに」

「まったくですね。…」


 マントの質感が元に戻り、オルヴァンは肩を軽く回して動きを確かめた。


 シロップはじっと見つめていたが、やがてふっと微笑む。

「……似合ってます」


「……ありがとうございます」

 少し照れたように笑いながら、オルヴァンは無意識に背筋を正し、ふわりとマントを整える。


「……正直、裸よりはずっと良いですね」

 ふたりは小さく笑い合う。


 静かな呟きと共に、またしても扉が──

 ゴゴォ……と、音を立てて開いていく。


 下階への視界が、ゆっくりと開ける。


 オルヴァンは床の縁にしゃがみ込み、手を掲げて光球をふわりと前方へ送り出した。

 柔らかな光が降りていき、階下の部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。


 そこには──微妙に不揃いな床、そして壁一面を這う奇妙な文様。

 淡く脈打つように光り、見る者の視線を引き込む、不穏な模様だった。


「……やはり、この下は“罠の間”です」

 立ち上がりながら、本の記述を思い返すように呟く。


「私ひとりなら試す価値もありますが……」

 そう言って、オルヴァンはシロップの方へ視線を移す。


「怪我はもちろんですが……衣服の破損も困ります。私もこのマント、気に入っておりますので」


 その一言に、シロップは無言でアーチ窓へ歩み寄り、身を屈めて外を覗き込む。


「それなら……階段を作って降りましょう」


 指先をすっと横に滑らせる。


 ──何も起こらない。


 一拍の沈黙。

 シロップは少し眉を寄せ、真剣な面持ちでもう一度滑らせた。


「……作れませんね」


 オルヴァンも隣に立ち、眼下を見下ろす。

 断崖と、その向こうにぽつんと並ぶアーチ窓。


「外壁も……階層によっては仕掛けが施されているようです」


 そう呟き、再び開いた扉の縁へと戻ると、しばし階下を見下ろす。


 ゴゴォ……

 扉が、重く沈むように閉じていった。


「……というわけで、窓から降りましょう」


「……窓から?」


 くるりと踵を返すと、オルヴァンは背を向け──片膝をすっとついた。

「……私の背に、お乗りください」


 静かでありながら、確かな声音。


 シロップは一瞬まばたきをして戸惑ったが、やがてそっと手を伸ばし、ためらいなく背に身を預ける。

 その所作は、不思議と自然だった。まるで、ずっと以前からそうしてきたかのように。


 ゆっくりと立ち上がる。衣擦れの音。

 背の重みを確かめるように小さく足を踏みしめ──アーチ窓の縁へと進む。


 夜風が冷たく吹き抜け、二人のマントとローブを軽やかに揺らす。

 月光が斜めに差し込み、窓辺の二人を静かに照らしていた。


 窓の下枠を両手で掴み、足裏を壁にぴたりと添わせる。

 高所の冷気、耳を打つ沈黙──その一瞬は、神話めいた光景でありながら、妙に現実味を帯びていた。


「……行きますよ」

「……はいっ」


 シロップは目を閉じ、背にしっかりとしがみつく。


 パッと手を放す音。

 ザザッと壁を滑る足音。風を切るマントの音。


 瞬間──下階のアーチ窓を両手で掴み、片足で体勢を保つ。

「大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「では、続けます」


 そのまま、また一段。さらに次の階へ。

 二人は塔の外壁を静かに、しかし着実に降りていった。


 途中、いくつかの部屋を覗く。

 空室もあれば、装飾だけの部屋もある。

 明らかに罠が仕掛けられている空間もあった。


 そして──


「……この部屋に、入ります」


 ある階層の窓を掴み、オルヴァンは慎重に足場を確保し、ふわりと室内へ滑り込む。

 着地音すらわずかに響くだけの静けさ。


 背から降りたシロップが、軽く息をついた。

「ふぅ……」



 二人の視線が、同時に部屋の奥へと向いた。


 そこには、またしても祭壇のような構造があった。

 重厚な石の台座。その中央──


 何かが、置かれていた。



「……また、何か置かれてますね」


 そう呟いたオルヴァンは、すぐには手を出さなかった。


 慎重に足元の構造を確認しつつ、祭壇には近寄らずに、奥の床に設けられた石の扉へと向かう。

 手をかざすと──


 ゴゴォ……


 低くうねるような音とともに、扉がゆっくりと開かれていく。


 手を軽く振ると、光源がふわりと浮き、下階の闇へと滑り込んでいく。

 床を照らし、部屋の輪郭を柔らかく浮かび上がらせる。


 二人は光に誘われるように、そっと身を屈めて下を覗き込んだ。

 


 一通り見下ろしたオルヴァンは、光源を呼び戻し、ふたたび視線を中央の祭壇へ。


 中に収められていたのは──半透明の液状金属が静止した、奇妙な楕円の輪。

 まるでフレームの形をした水銀が、時を止められたかのように宙に漂っている。


 オルヴァンはそっとそれを手に取り、丁寧に折られた紙片を広げた。


「視よ、覆いの下に潜む歯車を。

 影を裂き、虚を透かし、道を映すは黄金の瞳なり。

 されど見すぎるな、深く覗く者は、深淵にも覗かれよう。」


 読み終えると、彼は背中の鞄から例の分厚い本を取り出し、ページを繰る。

 指先である図面をなぞりながら、淡々と口を開いた。


「……これは“局所位相断層投影”機能を持つ透視眼鏡のようです。

 微細な波長変調と層干渉を利用し、物質の位相差を解析──内部構造を視覚化します。

 壁の中の空洞、床下の罠、表面に覆われた刻印……通常視覚では認識できない情報を、直接映し出すことが可能になります」


 シロップは、ぽかんと口を開けたまま瞬きをした。

「……はい?」


 オルヴァンは軽く咳払いし、輪状の液体をシロップの目元へそっと近づける。

 すると金属はゆっくりと形を変え、彼女の顔立ちにぴたりと沿う眼鏡となった。


「こうやって……装着すれば、自動的にフィットします。

 起動は、こめかみの内側に軽く指先を当てて──こう、二度タップする」


 彼は同じ動作を示し、眼鏡のレンズが淡く金色の紋様を灯すのを見せた。


「……この状態で、視線を向けた部分の構造が投影されます。

 ただし──」

 そこで、彼はほんのわずか声を低くした。

「普段は起動しないでください。覗きすぎると……余計なものまで見えるかもしれませんから」


 シロップは思わず眼鏡のふちを指でなぞり、小さくうなずいた。

「……わかりました」


「……お似合いです」


「ありがとうございます」


 小さく会釈を交わすふたり。

 空間は、再び静かな沈黙に包まれる。


 

 しばしの沈黙ののち、オルヴァンは再び下階を見下ろした。

 源光がぼんやりと照らす部屋には、罠の兆候こそ見えない。

 だが、肌を刺すような“構え”の気配が、確かに漂っている。


(……これは待ち構えてますね。間違いなく)


「そのままお待ちください。下の様子を確認して参ります」


 軽やかに階段を降りるオルヴァン。

 先導する源光が静かに前方を照らし、その輪郭が床に近づいていく。


 やがて彼の足が床を踏んだ、その瞬間──


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