第21話
――
夜が明け、辺りが薄く明るみはじめた頃。
荷車に木材を積んだムルハンは、弟のムカールとラハール、妹のユーミルと一緒に、ギシギシと音を立てながらヴォルテの元へ向かっていた。
「兄ちゃん、これ重すぎるって!」ラハールが額の汗を拭う。
「文句言うな、修行だと思え!」ムルハンは胸を張って答える。
「うぅ……」と唇を尖らせる荷車を押すムカール
ユーミルは荷台の上で仁王立ち、小声で。
「遅い…もっと速度欲しい。」
「ヴォルテさ〜ん! 起きてますか〜!」
ムルハンが二階の窓に向かって声を張り上げる。
しばらくして窓が開き、ヴォルテが顔を出す。
「トォ〜!」と叫ぶや否や、窓から飛び出し、後方宙返り三回にひねり二回を加えた妙技を披露。両足を揃えて砂埃ひとつ立てずに着地すると――謎めいたポーズを決めて一言。
「待たせたな」
「うわぁ……」ユーミルがぱちぱちと拍手を送りヴォルテに抱き付く。
「ユーミルが真似したらどーすんの」ムカールが呆れ顔でつぶやく。
呆気にとられたムルハンは、慌てて木材を一本荷車から引き抜き、ヴォルテに掲げた。
「頼まれてた木材です!」
ヴォルテは木材を受け取り、荷車を一瞥すると首をかしげた。
「……ぜんぜん足りんな。ちなみに金は兄上に請求してくれ。俺は酒で一文なしだ」
「な、何を作るんです?」ムルハンは思わず問い返す。
「決まってる! 荷車だ! ヴォルテスペシャル二号機、だ!」
「え? 一号機は?」
「あれだ!」
家の脇に放置された、用途不明の謎の物体を堂々と指差すヴォルテ。
ラハールが小声でムカールに囁く。
「……あれって荷車だったんだ」
「違うと思う」ムカールは即答した。
「え、えっと……オルヴァンさんに手伝ってもらった方がいいんじゃ……」
「盲点だったな! その手があったか!」
ヴォルテは思案顔で腕を組むと、突然ひらめいたように手を打つ。
「よし! 褒美を取らす!」
そう言ってムルハンの手に渡されたのは、正体不明の葉っぱ一枚。
「……あ、ありがとうございます……」
困惑と感謝のあいだで揺れる表情のまま、ムルハンは頭を下げた。
「兄ちゃん……それ、食えるの?」ムカールが覗き込む。
「毒草なら面白いのに」ユーミルが笑いながら肩をすくめる。
「では、行きますか」
ヴォルテとムルハンが肥料を抱える歩き出すと、ムカールとラハールも両脇に肥料袋を抱え、肩に鍬や鋤を担いでずしずしとついていく。
ユーミルは荷車の端に残っていた小さな鍬を両手で持ち、すぐに重そうにしながらも一生懸命について歩く。
農具の金属部分が歩調に合わせてカチャリと鳴り、肥料袋が揺れるたびに土と藁の匂いがふわりと漂った。
◇
村の入口に、大きな車両を引いた輓獣がのしのしと到着した。
その巨体を止めるように、ムファールが前に立ちはだかる。眉をひそめ、咳払いをひとつ、ふたつ。
――硬い皮膚に覆われたずんぐりとした巨体は、まるで岩が歩いているかのようだ。
額からは縦に並んだ二本の角が突き出し、重厚な骨板に守られた頭部は鈍重に見えながらも威圧感に満ちている。鼻先から白い息を荒く吐き、地を揺らす歩みは一歩ごとに迫力を増した。
睨み合う両者。
ムファールは額に汗を浮かべつつも、決して退かずにその眼を輓獣へと向け続けた。
その緊張を破るように、車両の扉が開く。
ひょいと顔を出したのは、一人の獣人だった。
「お! ムファール!」
軽い調子で声をかけ、そのまま飛び降りると、ムファールの目の前に立つ。
「連絡もなしに押しかけるなんて……ついに頭がおかしくなったのか、トリッチ」
睨みつけるムファール。
「え、あれ? してなかったっけ? あ、そうだそうだ」
トリッチは車両を親指で指し示す。
「干物を大量に持ってきたんだよ。食堂、三軒だったよね? 分けてくれ」
「……今は四軒だ」
ムファールの声が低くなる。
「え?」
「この村にある食堂はいま四軒。周辺の集落も合わせれば二十軒以上はあるぞ、議員さん」
嫌味を込めて吐き捨てるムファール。
「そ、そうだったね、四軒だよね! 他の集落にも……ガルダフォルンに戻ったら送るから!」
額に汗を浮かべながら慌てるトリッチ。
「――あ、これも」
トリッチは思い出したように、そっと封筒をムファールへ差し出した。
「ん?」
受け取ったムファールが中を覗き込み、眉をひそめる。
「……なんだ、この茶色の板は」
「匂い嗅いでみて」
促されるまま鼻を近づけたムファールは、怪訝な顔をして一度咳払いし懐にしまい込む。
「貰っとく」
その時、車両の扉が静かに開き、鼻を肉球で塞ぐ獣人が姿を現した。
鼻を肉球で塞いだまま、しなやかな足取りで外に降り立つ。
「……着いたのですか?」
鼻声ではあるが、声音には余裕があった。
「着いた着いた!」
トリッチが気安く振り返る。
鼻を肉球で塞ぐ獣人はスーハー、スーハーと深呼吸を繰り返し、息を整えると、そっと鼻から肉球を離す。
代わりに、胸元のポケットからメガネを取り出し、ゆっくりと掛け直した。
レンズのないフレーム越しに見えるその瞳は、意志の強さを宿している。
メガネの位置を人差し指で軽く押し上げると、きりりと背筋を伸ばした。
「先生の下で美人秘書を務めております――プラハと申します」
きりりと背筋を伸ばしたまま、丁寧に深々と一礼する。
ムファールは横目でトリッチを睨み、首を引き寄せて小声で問う。
「……前の秘書はどうした? お前、何をしたら秘書がこうもコロコロ代わるんだ」
「秘書ってのは入れ替わるもんだよ、普通」
トリッチは涼しい顔で肩をすくめる。
ムファールは半眼になり、改めてプラハを観察する。
「……大丈夫なのか? 明らかにレンズ入ってないだろ、あのメガネ」
「今までで一番有能な秘書です」
トリッチは妙に自信ありげに断言した。
「え〜こちら、幼馴染のムファールだ」
プラハは流れるように優雅な礼をした。
「……初めまして。ムファールと申します」
ムファールは深々と一礼を返した。
「親父は家か?」
トリッチがムファールを見やる。
「トリット様は他の集落に出向いてる。戻るのは……暗くなる前だな」
ムファールはじろりと睨みながら答えた。
「そっか。じゃあ、村の様子でも見て回って時間潰すか」
軽い調子で笑うトリッチ。
「……そうしてくれ。俺にもやることが山積みだ」
ムファールは深く息を吐き、干物を積んだ車両を指さす。
「干物は自分で配っとけよ」
そう言い残すと、秘書にだけ短く礼をして、その場を立ち去った。
ムファールは二人の姿が見えなくなるや否や、猛然と走り出した。
洗練された手足の動き、無駄のないフォーム、呼吸は乱れず歩幅も大きく――まるで鍛え抜かれた競技者のようであった。
やがて限界が訪れ、ようやく立ち止まった時には、ハァッ、ハァッと大きく息を吐いていた。
「リーシェント! トリッチが……オルヴァンさんを迎えに来た! どうにか先延ばしして、次の演習を遂行したい! 何か知恵を貸してくれ、ハァッ……ハァッ……!」
その呼びかけに応えるように、地面から菌が立ち昇り、人の姿をかたどる。
「どうするかは、オルヴァンさんご自身が決めることです」
ムファールは大の字に倒れ込み、ゼエゼエ言いながら手を伸ばした。
「だ、だって……リーシェントだって寂しいだろ? オルヴァンさん、次の演習をやるって言ってくれてたのに……」
リーシェントは静かにその顔を覗き込む。
「私は、ガルダフォルンのリーシェントを通じて会話できますから」
そして淡く微笑んだ。
「それに――オルヴァンさんが約束しているのなら、心配はいりません」
その言葉に、ムファールはガバッと身を起こした。ちょうど同時に、リーシェントの顔もサッと上がる。
「……そうだな! オルヴァンさんを信じよう!」
立ち上がり、服についた土埃を払うムファール。
「今の話は聞かなかったことにしてくれ」
一礼して足早に去っていく。
「はい」
リーシェントは軽やかに頷き、微笑みを残した。




