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フィーロ  作者: NaGold
20/50

第20話

 ムファールは歩きながら、自分の掌をじっと見つめていた。

「………」

 次の瞬間、サッと手を水平に切り払う。

「半円陣形!」

 声に張りを持たせ、もう一度、今度は胸の高さで同じ動作を繰り返す。

「半円陣形!」

 ふっと息を吐き、拳を握り込む。

(……おれ、かっこよかった……)

 思わず口元が緩み、ついでとばかりに小声で叫ぶ。

「前進!」


 そんな自己演習を繰り返しながら歩いているうちに、食堂へと到着した。

 堂々と扉を開け、(開け!)悠々と店内に入る。


 中では、すでにカウンター側に即席のお立ち台が用意され、ムルハンが身振り手振りを交えて武勇伝を披露していた。

「で! 俺が投げたのよ! ズバッと! 分かる? こう! こんな感じに!」

 手を振り回しながら必死に語るその姿に、周囲の獣人は笑いながら耳を傾けている。


 店の奥にトリットの姿を見つけると、ムファールは歩み寄り、きちんと一礼して正面に腰を下ろした。

「ムルハンの話は色付きじゃからの……ムファール、聞かせてくれ」

 トリットは笑みを浮かべ、静かに促した。



 ――


「そして! おれがズバッと飛びかかって、ズバッと突き刺したら――あの超獣が、おれを見てニヤッと笑ったんだ! その直後、ドカーンと倒れた!」

 身振り手振りを交えて熱弁するムルハン。声量も大きく、派手な効果音までつけるものだから、食堂は大いに沸き返る。歓声と笑いが入り交じり、拍手まで飛んでくる。だが、その場の誰一人として真に信じている者はいなかった。


「ん〜……」

 カウンター奥の席で腕を組んでいたトリットが低く唸る。周囲の喧騒に惑わされず、静かな視線をムファールに向ける。

「お前たちの活躍も半信半疑だが……回復魔法まで使えるとは。まさかムルハンの大げさな語り癖に影響されて、お前まで話を盛っているのではあるまいな?」


 ムファールは咳払いをひとつ。真剣な面持ちで口を開こうとするが、周囲のざわめきにかき消される。小さく唇を結び、拳をぎゅっと握りしめてから――視線をまっすぐトリットへと向けた。


「本当なんです! むしろ信じてもらうために、あえて抑えて話してるくらいなんです!」

 興奮に突き動かされるように立ち上がるムファール。その目には必死の色が宿っていた。


「これほどの人材の噂を、今まで一度も耳にしたことがない……。もしや北の教国か、それとも別大陸からの者か……」

 トリットは腕を組み、遠い目をしたまま低く呟いた。その思考は深く潜り込み、やがて堂々巡りを始める。


「いや、違う……そうなると、ああ、いや待て……しかし……」

 独り言が止まらない。やがて頭を抱え、眉間に皺を寄せたまま長く沈黙する。


 ムファールが不安げに見守る中、トリットは突然――ふっと肩の力を抜き、口角を上げた。


「……ああ、もうよい!」

 ガタンと立ち上がり、食堂のざわめきを一瞬かき消すほどの声を放つ。

「考えるだけ無駄じゃ! わしの想像で収まるような相手ではない。好きにさせておけばよいのだ!」


 ムファールは固まったまま、ただ目を瞬かせる。


「そうじゃ! 仲良くしておる――それだけで十分じゃ!」


 パンッと手を打ち鳴らすと、食堂のざわめきが一瞬止まり、皆の視線がトリットへと集まった。

 彼は大きく笑い、両手を広げる。


「ムファール! リマを呼んでこい! 今日は全てわしの奢りじゃ! 今日は飲むぞ!」


 歓声が一気に爆発し、食堂は祭りのような熱気に包まれた。

 椅子を叩く音、杯を掲げる声、笑い声が次々と重なっていく。


 その喧噪の中、カウンターで静かに酒を舐めていたヴォルテが振り返る。

 目を細め、どこか羨ましそうに呟いた。


「奢って盛り上げる……それ、俺がやりたかったことだ……」



 ◇


 深夜。

 太い木の枝に腰を下ろし、オルヴァンとリーシェントが並んでいた。


「ここに――リーシェントが、今の共通語を作り、広めたと記されています」

 オルヴァンは手にした本を開き、隣のリーシェントは子どものように足をぶらぶら揺らしながら、その頁を覗き込む。


「その字って……勉強したら読めるようになりますか?」


「もちろん。勉強すれば読めるようになりますよ。ただし……」

 オルヴァンは本をパタンと閉じ、そしてまたゆっくり開いてみせる。


「あれ?……思ったよりも難しそう。たくさん勉強しないとですね」

 リーシェントが眉を寄せ、足をブンブン振る。


「ええ」

 オルヴァンは小さく笑みを浮かべた。


「……また、世界と繋がって話すことができるのですか?」

 リーシェントはオルヴァンの横顔に問いかける。


「どうでしょうね。各地の塔を踏破すれば、繋がりが広がる――そう伝えられているようですが」

 そう言いながら、オルヴァンは掌に光球を浮かべる。その光から細い糸のような輝きを引き出し、リーシェントへと繋げた。


 パッと蔵書のひとつを取り出すと、ページをめくりながら指で座標を追う。

 リーシェントは本を覗き込みながら、嬉しそうに足をばたつかせた。


「ええと……あなたの最大距離がここなので……ドルレックの座標は……」


「ドルレックは、ガルダフォルンの南。私は届きませんよ?」


 オルヴァンは光球を見つめながら問いかける。

「今、ドルレックと繋がってますか?」


「すごぉい! ドルレックのリーシェントと、初めましてできました!」

 リーシェントは木の枝の上で立ち上がり、無邪気にオルヴァンの頭をポンポン叩く。


「あ……でも、湾岸都市のリーシェントとは切れちゃいました……」


「なるほど。皆さんが困るといけませんから――戻しておきましょう」

 オルヴァンは淡々と告げ、光球を静かに消した。


 リーシェントは「ぴょんっ」と軽やかに枝から飛び降り、オルヴァンを見上げた。

「でも! やっぱり凄いですよ、オルヴァンさん」


 オルヴァンも静かに地面へ降り立つ。

「――そろそろ、仕事がありますので」


「はい。いってらっしゃい」

 リーシェントはぱたぱたと手を振り、その背を見送る。

 ふと思い出したように声をかけた。

「あ、本日……ガルダフォルンから、オルヴァンさんに会いに来る人がいますよ」


「はい、ありがとうございます」

 オルヴァンは振り返り、片手で親指を立ててみせる。


 それを見たリーシェントも、少し照れながら真似をする。

 ぎこちなく立てられた親指は、どこか温かみを帯びていた。


 オルヴァンはパイクと二言三言言葉を交わしたあと、食堂の裏手へと足を向けた。


「おはようございます、オルヴァンさん!」

 真っ赤なバンダナを巻いたルロマルが、明るい声で呼びかける。


 オルヴァンは小さく敬礼を返した。

「おはようございます、ルロマルさん」


  裏口の扉を押し開け、熱気と香ばしい匂いの漂う厨房へ入る。手早く手を洗い、並べられた丸いパン生地に指先を伸ばす。慣れた調子でひとつひとつ形を整えていくと、生地が軽く息をしているかのように整然と並んでいった。


 成形を終えたトレイを持ち上げ、窓越しに差し出す。

「先日試したパンは、どうでした?」


 受け取ったシロップは窯の炎と焼き色に視線を注いだまま答える。

「ありがとうございます、まだまだ硬いですね」


 オルヴァンは小瓶を取り出し、軽く覗いてから差し出した。

「今日もリーシェントから頂きました。次回は、この菌を試してみてください」


 シロップは小瓶を胸元に当て、ほんのり笑みを浮かべた。

「……楽しみです」


 厨房の奥では、鉄鍋がぐつぐつと泡を立てている。木杓子が鍋底を擦る音、食器を並べる音が重なり、活気ある朝の空気が広がっていた。


「オルヴァンさ〜ん、スープの味みて!」

 声をかけてきたのは、最近少し痩せてきたナリカーナだ。汗を拭きながら、大鍋の前に立っている。


 オルヴァンは鍋に顔を近づけ、立ちのぼる蒸気を鼻で吸い込んだ。

「……良い香りですね。先日仕入れたキノコを使いましたか?」


「さすが!」

 ナリカーナは目を丸くして親指を立てたが、すぐに顔をしかめる。

「でも、ちょっと香りが強い気がするのよね……オルヴァンさんはどう?」


 香りを確認して、しばし考える。

「確かに、香りが立ちすぎていますか。根菜を足して全体を落ち着かせると良いかもしれません」


「根菜か……なるほどね〜!」

 ナリカーナは木杓子を握り直し、笑顔を見せる。

「やっぱりオルヴァンさんに聞いてよかった。前に比べて、舌が鋭くなってきてる気がする、フフ」


 オルヴァンは苦笑しながら。

「それは、ナリカーナさんが腕を上げているからですね」


「ふふっ、そう言ってくれるとヤル気出ます」

 ナリカーナはもう一度鍋をかき混ぜ、勢いよく立ちのぼる湯気の中で微笑んでいた。


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