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フィーロ  作者: NaGold
17/50

第17話

 夜は決まって読み聞かせの時間となった。

 オルヴァンが静かな声で物語を紡ぐと、ヴォルテとムルハンはやがて瞼を落とし、安らかな寝息を立てる。

 

 二人が眠りについた後、オルヴァンはリーシェントとあい語らう。

 光の揺らぎの中、言葉を交わすのが習慣となっていた。


 朝は農作業。

 畑ではヴォルテとムルハンが土を耕し、苗を植える。

 シロップは村の食堂に通い、慣れた手つきで皿を並べたり果物を洗ったりと忙しく働いた。

 そしてオルヴァンは、時に街を散策して店先を眺め、時に家の脇で材木を削り、何やら作業に没頭する。



 ――そんな日々が、幾日も穏やかに過ぎていった。


 明るい朝。

 昨日の雨の名残で、地面はまだしっとりと濡れている。

 畑仕事は休みで、シロップだけが朝から食堂へ出向いていた。


 オルヴァンは家の側で、自作した木の椅子に腰掛けている。

 手には本。

 雨に洗われた空気の中、紙をめくる音だけが静かに響いていた。


「おはようございます」

 控えめな声に顔を上げると、ムルハンが立っていた。

 濡れた靴先を気にしながらも、にこやかに微笑む。


「夜の雨で、作物がどう息吹いたかと思いまして……様子を見に来たのです」


 その言葉には、真面目さと柔らかさが入り混じっていた。


 オルヴァンは本を閉じ、隣に腰を下ろしたムルハンへ視線を向けた。

「……なぜ、魔法を使いたいのですか」


 ムルハンは少し考えてから、真っ直ぐに答える。

「だって、使えたらかっこいいじゃないですか。それに……村に魔獣や超獣が襲ってきたら、撃退できますし」


 オルヴァンは軽く首を振った。

「魔法は努力よりも才能に左右されます。才のない者が習得しても、誤って味方を傷つけたり、最悪自分を害することになる」


 その言葉に、ムルハンは肩を落とす。

 オルヴァンは少しだけ声を和らげた。

「もし本当に魔法に憧れるなら、無理に習得するより……お金を貯めてスクロールや魔道具を買う方が、よほど効率的です」


 そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。

「これは、私が先日書いたスクロールです。使えば、しばらくの間身を隠して逃げることができる」


 ムルハンはじっとそれを見つめ、真剣な顔で言った。

「……逃げるより、戦って死ぬ方を選びます」


 オルヴァンは目を瞬かせ、淡々と返す。

「初めて会った時、全速力で逃げていましたが」


「そ、それは……あの時は状況が違ったんです!」

 慌てて手を振るムルハンに、オルヴァンは小さく笑みをこぼした。


 オルヴァンはふと笑みを浮かべた。

「初めて会った日に鎌を振っていたあなたは、本で読む冒険者のように見えましたよ」


 その言葉にムルハンは目を丸くする。

 オルヴァンは傍らの棍を一本取り出し、差し出した。

「これで雑草を刈れますか?」


「……刈れます」

 ムルハンは受け取ると、刃のない棒で草をなぎ払ってみせた。

 オルヴァンは満足げに頷き、自分の棍を手に取り、並んで草を刈り始める。


 しばらくして、ムルハンが息を吐き肩を落とした。

「ふぅ〜……」


 その瞬間。

 オルヴァンの棍が音もなく振り下ろされ、紙一重でムルハンの顔を掠めた。

「うわっ!」

 驚いて固まるムルハンに、次々と攻撃が繰り出される。


 速度は次第に増し、棍は舞うように空を切り裂いた。

 地面の土はえぐれ、ムルハンの毛が細かく散る。

 やがて動きが止むと、ムルハンは肩で息をしながら、その場にペタンと座り込んだ。


 オルヴァンは一歩後ろへ下がり、静かに狙いを定める。

 軽く助走をつけると、棍をふっと投げ放った。


 ――ズドンッ。


 棍はまっすぐ飛び、細い木の根本へ深々と突き刺さる。

 木はぐらりと揺れ、ゆっくりと地面へ倒れていった。


 砂埃の中で、ムルハンは口をぽかんと開けた。


 オルヴァンは棍を見届けると、何事もなかったかのように振り返り、淡々と告げた。


「……これくらいなら、ムルハンさんもできるようになります」

 

 座り込んだムルハンに手を差し出し

「先ずは、明日から午後は棒術と槍術を教えましょうか」


 呆然としていたムルハンは、手を取り、真剣な表情で言った。

「……明日からお願いします!」


 そしてなぜか全速力で家へ駆け戻っていった。



 翌朝早く、ムルハンは弟二人を連れて畑に出ていた。

 土を耕しながら、時折こちらを振り返るその姿を、オルヴァンは静かに見守っていた。


 午後になると、三人を庭に集め、棍を手に基礎の型を教える。

 「面白そうだな」と笑ったヴォルテも加わり、賑やかな稽古となった。


 さらに翌日の午後には、ムファールまでもが顔を出した。

 こうして輪は少しずつ広がっていく。


 数日が過ぎる頃には、シロップが手作りの食事を運んでくるのが日課となっていた。


 そしてさらに日が経つと、家の前の林は切り開かれ、広場のようになっていた。

 そこに立つ生徒の数は、いつの間にか28人に膨れ上がっていた。


 ある日の稽古中、道の方から軋む音が響いた。

 振り返ると、トリットが槍や盾、そしていくつもの装備を積んだ荷車を引き連れてやって来る。

 「これも使え」と言わんばかりに荷を下ろすと、その日からは重い装備を身につけての槍稽古が始まった。


 生徒の数がさらに増えると、オルヴァンはムルハンとムファールを呼び、集団戦術についての講義を始める。

 隊列の組み方、崩さずに退く方法――。

 オルヴァンを相手に個人戦を挑む訓練に加え、複数人で動く戦術訓練も行われるようになった。


「隊を崩さぬ駆け足」「四方八方に散開する撤退」……

 掛け声と共に動き出す弟子たちの姿に、広場はかつてない熱気で満ちていった。


 休日の昼。

 訓練は休みのはずだったが、広場には数人の若者が集まり、互いに槍を振り回したり、盾を背負って駆け回ったりして体を動かしていた。

 オルヴァンはその様子を横目に見ながら、椅子に腰掛け本を開いている。


「ヴォルテさん、昨日は酒造りを手伝いに来てましたよ」

 声をかけてきたのは、横に立つムファールだった。


「ええ。記憶はまだ戻りませんが、毎日楽しそうです」

 オルヴァンは本を閉じ、軽く手を振るとそれは音もなく姿を消した。

「今日は井戸掘りを頼まれ、出かけています」


 ムファールは頷き、少し声を落とした。

「……先日、隣村で魔獣との戦闘があったそうです」


 その言葉にオルヴァンは目を細めた。

 ムファールは続ける。

「だから思うんです。オルヴァンさんがガルダフォルンへ旅立つ前に、実戦を経験しておきたい、と」


 オルヴァンは静かに首を振った。

「私との模擬戦は、実戦以上の経験になっているはずです」


 しかしムファールは引かない。

「ですが……血を流さねば分からないこともあるはずです」


 二人の視線が交わる。

 短い沈黙ののち、オルヴァンは低い声で言った。

「死傷者が出る覚悟があるのなら――実戦も、選択肢として否定はしません」


 その言葉にムファールは強く息をのみ、拳を握りしめた。


 月日が経ち

 座学の授業の後、一枚の計画書が配られた。

 それはオルヴァンがまとめ上げた実戦計画書である。

 参加を希望する者は、必ず家族の了承を得るようにと、厳しく条件が添えられていた。


 ――そして実戦当日。


 夜の闇がまだ残る頃から、村の若者たちが一人、また一人と森の境界へと集まってきた。

 吐く息は白く、鎧の音や靴の土を踏む音が重なるたびに、緊張が広がっていく。


 やがて、空が白み始める。

 参加者は生徒の約半数、二十六名。

 承諾書を確かめ、オルヴァンは前へ歩み出た。


「――計画書に記した通りです」

 低く落ち着いた声が広場に響く。

「これよりサベ鉱山へ向かう道を切り開きつつ進みます。この村には工兵がいません。ゆえに、道を作るのは私が魔法で行います」


 ざわめく若者たちを、オルヴァンは静かに見渡した。

「この人数なら私は戦闘には加わりません。補助の魔法も一切使いません。――この経験は、あなた方自身の力によって積み重ねてもらいます」


 言葉は冷徹に響いたが、その眼差しは真剣に若者たちを見据えていた。


 オルヴァンは森へと向きを変えた。

 一歩踏み出すと、何の動作もなく――ただ進む彼の歩みに呼応するかのように、木々が根元から並行に切られ、左右へと倒れていく。

 枝葉がざわめき、幹が地を打つたび、地面がわずかに震えた。


 「……すごい」

 誰かの呟きをきっかけに、生徒たちの列にざわめきが広がる。


 その中で、ムファールが声を張り上げた。

「隊列、前進!」

 彼の号令に従い、若者たちは整列したままオルヴァンの背を追う。


 列の後方にはムルハン。緊張の面持ちで槍を握りしめる。

 さらにその後ろ、大きな荷車をきしませながらヴォルテがゆったりと続く。


 倒木の響きが途切れることなく森に反響し、鳥たちは驚いて飛び立っていく。

 


 清らかな朝の森は、彼らの行軍とともに大きく姿を変え、後方には真っ直ぐな道が刻まれていった。

 突然、オルヴァンが立ち止まる。次の瞬間には隊列の後方へと下がっていた。


 「……前方注意」

 ムファールが腕を振り上げる。

 兵たちは息を呑み、一斉に動いた。前列が盾を構え、後列が槍を構える。深緑の森を正面に捉えた二列陣。


 風が木々を揺らし、葉の擦れる音がざわめきを増していく。

 ムファールは陣の後方から耳を澄まし、低く、しかしはっきりとした声で号令をかけた。

「半円陣形!」


 号令と同時に、前列の盾兵が左右へ展開し、弧を描くように並び直す。

 後列の槍兵も足並みを揃え、その背後へ流れ込む。

 森を正面に、兵たちは互いの盾を重ね合わせ、半月の壁を築いた。

 槍の穂先が一斉に森へ向けられる。


 その光景は――獲物の出現を待ち構える半月の獣。

 決して侵入を許さぬ、鉄の意志の具現だった。


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