第15話
オルヴァンは身分証を各自に手渡し、謝礼の袋を軽く開く。
「銀は一粒いただきます。残りはヴォルテさんに」
シロップは受け取った身分証をネックレスに通し、胸元で小さく揺らす。
ヴォルテは袋の中を覗き込み、「いらな〜い」と気のない声を返した。
「娯楽書に『酔いどれ冒険記』や『酒場から始まる英雄譚』がありまして……今度お話ししますよ」
オルヴァンは銀片を光にかざしながら微笑む。
「え?なにそれ」ヴォルテが酒という単語に反応する。
「酒場で盛り上がる話は多いですが、現実にはお金がないと成り立ちませんから」
「兄上、今すぐ勉強会を開きましょう」
⸻
その夜――。
寝室のベッドにシロップとヴォルテが潜り込み、オルヴァンは椅子に腰掛け、『酔いどれ冒険者と失われたエール』を朗読。
「『線に沿って進んではだめ!』声を荒げるミミラミ……それを聞いたキンチョは決意する――」
――
二人の呼吸が静まり、まぶたが落ちていくのを確かめながら、オルヴァンは声を少しずつ落としていく。
やがて寝息が重なったのを確認し、そっと立ち上がる。
夜道を歩くオルヴァンの耳に、パイクの声が届く。
「ミミラミは八方美人だから、キンチョが可哀想……」
「気を引こうと必死になる描写がなにかこう…。戦闘シーンの擬音や間合いを見る限り作者は……」
二人のやり取りは、薄闇の中でも穏やかだった。
村の中心部はすでに寝静まり、わずかな灯りが石畳を淡く照らしていた。
その中に、霧のような存在感で立つ人影――リーシェント。
前回とは違う姿で、しかしその瞳には、約束を覚えている者の静かな期待が宿っていた。
「……お待ちしていました」
オルヴァンは足を止め、軽く会釈する。
「こんばんは、では質問してください」
「崩壊以前のことを、あなたは知っていますか」
「はい。……もっとも、本で読んだだけです」
「その本を書いたのは、誰ですか」
「わかりません。蔵書は増え続けています。作者は様々ですが、中には崩壊以前から今も書き続けている者もいます」
「では、その作者を探して旅をしているのですか」
「……そうかもしれませんが、それ自体が目的ではありません」
「では、旅の目的は」
「色々な経験をしてみたいですね、フィーロも可能なら集めたいです」
「フィーロ……魔力のことですか」
「魔力はフィーロの“パートナー”のような存在で、勉強していますが、紐解くことはまだ出来ません」
「そのフィーロを集めて、あなたは何を」
「――集め続ければ、私の創造主に会える気がするのです」
リーシェントは静かにオルヴァンを見つめた。
その瞳の奥にあるのは、興味か、それとも別の何かか。
夜の空気がふと冷たくなり、二人の間に置かれた沈黙が、遠くの灯りよりも長く続いた。
「聞いてはいけない気がしたのです」
リーシェントは俯く
「では今夜は失礼いたします」オルヴァンが一礼して歩き出す
リーシェントが静かに問いを放つ。
「どうやって、フィーロを集めるのですか」
オルヴァンは少し間を置き、夜気を吸い込んでから答えた。
「道は二つあります」
「一つは――フィーロを宿す生命を原初の闇へ還す方法。残響として微量の結晶が残る。いま“魔石”と呼ばれているものです。収量はわずかで、非効率ですが、もっとも一般的なやり方です」
リーシェントの瞳に、淡い揺らぎが走る。
「殺すと言う事ですね…もう一つは?」
「契約です」
オルヴァンは光球を指先で転がし、淡い光を細い糸に伸ばす。
「崩壊以前から書を残し続けてきた、ある観察者がいました。
長い歳月をかけてフィーロを宿す存在を記録し、その結果辿り着いたのがこの方法――“絆”を結び、同意の上で少しずつ継続的に分けてもらう。
絆が切れれば接続も切れる。支配ではなく、相互合意による流路です」
「……支配ではないと、どう証明します?」
菌糸のように細やかな声で、リーシェントが試す。
「証明は振る舞いで。急がないこと、奪わないこと、そして断る権利が常にあなたにあること」
オルヴァンは糸を解き、光をもとの球に戻した。
リーシェントは足元の土に視線を落とす。
「もし、私が危険を感じたら?」
「その瞬間に途絶えます。流れの主導権はあなたにあります。逆流もしない。私は“受け取り側”にすぎません」
短い沈黙。夜の葉擦れがひとつ。
「対価は?」
「今はありません……試してみますか?」
オルヴァンは光球を浮かべる。
リーシェントはゆっくり、しっかりと頷いた。
オルヴァンは光球から米粒ほどの灯を摘み、リーシェントの胸奥にそっと沈める。
「これは“合図”です。気が変われば、吹き飛ばして終わりにしてください」
そう言い残し、オルヴァンは背を向けた。
足音が闇に溶けるまで、リーシェントは動かず、やがて土へと還った。
――
少し遠回りしながら帰路につくオルヴァンは、スッと光球を出した。
「リーシェント、信じていましたね」
「えぇー!? 嘘なんですか」
パイクが小声で叫ぶ。
「全部が嘘ってわけでは……」
オルヴァンは銀片を取り出し、夜空にかざす。
淡い月光を受けた銀は、一瞬、光球と同じ脈動を見せた。
「……もっと効率のいい方法もあるのですが――」
そこで言葉を切り、唇に指を当てて微笑む。
「今夜は、その話はやめておきましょう」
パイクはさらに声を潜める。
「もしかして、酔いどれ冒険記に出てきた“銀の──”」
「さぁ、どうでしょう」
オルヴァンは冗談めかしつつも、銀片を収納し、足音を消すように闇の中へと溶け
背中越しの気配は、しばらくの間、夜気の中で揺れていた。
――
まだ暗い朝、風呂場に水の音が響く。
オルヴァンに魔法で貯めてもらった水を、シロップは頭から勢いよくかぶった。
乾ききった花冠を手に取り、全身を丁寧に洗う。
何度も水で流したあと、花弁をちぎって両腕に絡めるように纏わせる。
幅広の乾いた布で水気を拭い、服を身につけると家を出た。
外では、ランタンの灯りを頼りにオルヴァンとムルハンが鍬を振っている。
シロップと目が合ったオルヴァンは歩きだし。
「では、我々は食堂に行ってきます」
「後は任せろ! 今日でこの道具も使いこなしてみせる!」
ヴォルテは鍬を掲げ、二人を見送った。
道すがら、オルヴァンがシロップを見やる。
「水気を残すと……臭くなりますよ」
「え!? 臭くなったら石化します!」
慌てて自分の匂いを嗅ぐシロップ。
オルヴァンが片手を掲げると、衣服や髪に残った水気がふわりと集まり、霧となって漂い、やがて花の香りがシロップを包み込んだ。
食堂に着いた二人。
外はまだ夜の色を残しているのに、店内は明るく、人々の声と香ばしい匂いで満ちていた。
シロップはマントをオルヴァンに預け、そのまま店の奥へ。
オルヴァンは奥まった角の席に腰を下ろす。
ピンクの布を頭に巻いた若い獣人が、シロップを見つけて厨房へと手招きした。
「シロップさんですね。私はルロマル」
軽く敬礼をする。
「はい、お手伝いに来ました」
シロップも真似して敬礼。
ルロマルは厨房を見渡し、少しだけ考え込む。
(皿並べが一番楽かな……いや、果物洗いは……あれ、毛のない手で大丈夫なんだろうか?)
そのとき、シロップがパッと皿の積まれた洗い場を指さす。
袖に輪っか状の布を通し、クロスさせて留めた。
(……寝る前の特訓で習得したのは、あのエリアだけ)
籠の中の果物をひとつ、無断で頬張ると、洗い場に向かって手際よく洗い始める。
広い厨房の獣人たちが、その動きに目を奪われ、作業の手を止めた。
背筋の伸びた姿勢、無駄のない所作――洗練された動きが水音と共に響く。
そこへ、新たに入ってきた獣人がパンッと手を叩き、短く喝を入れる。
その合図で、再び厨房全体が動き出した。




