第14話
村の中心を離れると、街灯はまばらになり、夜の闇が少しずつ濃くなる。
足音は土の道に吸い込まれ、遠くで獣のような鳴き声がひとつ響いた。
雲の切れ間から覗く星々は、塔の最上階で見上げた空と変わらぬ輝きを放つ。
オルヴァンはしばし足を止め、その光景を目に焼きつけると、再び歩き出した。
やがて、滞在先の石造りの家が見えてくる。
玄関をそっと閉じ、足音を殺して階段を上がる。
二階の廊下は淡い光に照らされ、静けさが漂っていた。
ヴォルテは大の字になって寝息を立て、シロップは毛布を肩まで引き寄せて丸くなって眠っている。
オルヴァンは腰掛け、視線を文字に落とし、時を忘れたように読み耽った。
本を読むオルヴァンは、ふと顔を上げ、軽くつま先でポン、と床を鳴らした。
眠る二人を順に見やる。
……深い眠りだ。
(塔でも、何者かがこっそり最上階まで来ていた可能性は……あるかな? パイク…)
「パイク」と声に出す
「はい?」
視線を落とすと、答えたのは肩に掛けたマントだった。
布地がわずかに波打ち、まるで胸の奥で呼吸しているかのように膨らんでは沈む。
その微かな動きと共に、かつての声が耳の奥に染み込んでくる。
オルヴァンは小さく首を振った。
「……いえ、なんでもありません」
マントは再び静まり、ただの布のように垂れた。
オルヴァンは本に視線を落としたまま、静かに時を過ごしていた。建物の外から、土を掘り返すわずかな音が風に乗って届く。それでも彼はページをめくる手を止めない。
しばらくして立ち上がり、窓から下を覗く。
蓄光ランタンの淡い灯りに照らされ、ムルハンがせっせと穴を掘っている。
その動きをしばらく観察してから、オルヴァンは外へ出た。
「おはようございます。鎌はここに置いておきますね」
パッと鎌を出し、畑にザッと突き立てる。
少し驚いた様子のムルハンが顔を上げる。
「ありがとう。早起きですね」
オルヴァンはランタンを拾い上げ、穴の中を覗き込むと、手にしていたランタンをシャベルへ持ち替えた。
「二人は、明るくなるまで目を閉じていると思います」
「じゃあ、ヴォルテさんが起きてきたら交代しましょう!」
掘り進めながら、オルヴァンが問いかける。
「ここを掘れば、水が出るのですか?」
「ええ。川や溜池から引くこともできますが、ここなら掘れば出ます。匂いで分かるんです!」
ムルハンは得意げに胸を張る。
「魔法でパッと掘る人もいるらしいですけどね……」
意味ありげにオルヴァンを横目で見る。
オルヴァンは口元に微笑を浮かべた。
「そんなことをしたら、ヴォルテさんの楽しみがなくなりますから」
そう言って、和やかに作業を続けた。
――
辺りがわずかに明るみ、窓辺に立ったヴォルテは、外で楽しげにやり取りしながら進む作業の様子を眺めていた。
その背後では、シロップが謎のポーズのまま石化している。
ヴォルテは何度か頷きつつ、その石像の肩を軽くポンポンと叩く。
「私は仕事がありますので。姉上はここで遊んでてください」
そう言い残し、足音も軽く部屋を後にした。
入れ替わるように、オルヴァンは一階で本を開く。
向かいの椅子では、石化が解いたシロップが果物を頬張っている。
開いた窓からは、
「すげ〜! もう四歩尺はいってるぅ〜!」
と、大騒ぎする声が飛び込んできた。
同時に、舞い上がった土埃が部屋に入り込む。
オルヴァンはその土埃をサッと消し去り、またページへ視線を戻す。
「楽しいですね」
シロップが口いっぱいに果物を頬張りながら、無邪気にそう言った。
「村の中心部に行きますが」
オルヴァンが視線を向けると、シロップは「もちろんです」と軽やかに立ち上がった。
外では、井戸掘りを続けるヴォルテとムルハンの姿。
オルヴァンはしばしその様子を眺める。
穴の中からヴォルテがひょこっと顔を出し、親指を立ててから再び中へ消えたのを見届け、オルヴァンとシロップは歩き出した。
農作業中の獣人たちに軽く会釈を返しながら進むオルヴァンが、ふと口を開く。
「パイク、ヴォルテと接続して連絡が取れる最大距離は?」
「それは分かりませんが……以前、ヴォルテが分体を投げた時は、十数秒で切れました」
「接続が切れたら教えてくださいね」
「はい!」
そのやり取りを後ろから聞いていたシロップが、感心したように漏らす。
「そんな便利機能が」
「そのためのプレゼントだと思いますよ」
オルヴァンの言葉に、シロップは嬉しそうに胸元のネックレスを手に取り、改めて眺める。
……プレート部分に刻まれた変な顔を見つけ、そっと服の中へしまい込んだ。
やがて、中心部の賑わいが近づく。
生地のロールや簡易な履物が並ぶ店の前でオルヴァンは立ち止まり、布を手に取った。
店先で機を織っていた獣人と目が合う。
「うちの取引は蓄光石か秤量ね」
「はい」
オルヴァンは手に取った布を静かに戻し、再び通りを歩き出した。
露店の並ぶ通りを一通り見て回り、時折足を止めては品を眺める。
帰り道の途中、食堂の前を通りかかると、店主が笑顔で籠いっぱいの果物を差し出した。
軽く会話してから礼を述べて受け取り、その重みを両手に抱えながら、ゆっくりと帰路につく。
住居の前では、大量の木材を積んだ荷車のまわりで数人の獣人が作業していた。
シロップは一礼し、籠をオルヴァンから受け取ると、スキップしながら家の中へ消えていく。
「オルヴァンさ〜ん!」
ムルハンが駆け寄ってくる。
「ヴォルテさん、すごいですよ! ここは帯水層まで掘ったので、今は二本目を掘ってます!」
畑の中央付近では、土煙が舞い上がっていた。
「この板は井戸の補強用ですね。手伝います」
オルヴァンはそう言い、マントをさっと脱ぎ払う。布は滑るように形を変え、下半身にまとわりついてズボンとなった。
(魔術師、かっけぇ……!)
憧れの目で見つめるムルハンだったが、オルヴァンに「無理ですよ」と言われ、表情が固まる。
◇
その日、ヴォルテは一日で四本の井戸を掘り上げた。
風呂で土を流すと、酒樽から注いだ酒をあおり、「風呂上がりの一杯はさいこうぉ〜」その、地上の習慣が気に入り、数回風呂に入り一杯飲むを繰り返した後、椅子に腰を下ろす。
「兄上、その本にある俺の特技欄に、井戸掘りと酒に強いを追加しといてくれ」
真剣な眼差しでそう言う。
ページをめくる手を止め、オルヴァンは首を振る。
「この本には、ヴォルテさんのことは書いていません」
スーッと光球を浮かべると、「本が新しく生まれたら追加されているかもしれませんね」と光球の色を確かめ、静かに収納した。
その時、外の空気がわずかに張り詰めた。
オルヴァンは本を閉じ、無言で立ち上がる。
ノックの音が届くより早く扉を開き、トリットたちを迎え入れた。
ケルマと名乗る獣人と簡単な挨拶を交わすと、全員が静かに席に着く。室内には、言葉少なな緊張が漂った。
トリットが軽く咳払いをし、口を開く。
「今日は井戸を複数掘ったとの事。これは謝礼じゃ」
小さな袋を机に置く。「数日分の滞在費は差し引いておる」
ヴォルテは腕組みを解き、軽く会釈する。
「それと、コロボスに行くなら必要になる」
銀色のプレートが静かに差し出される。「我が国で通用する仮の身分証だ。本証はガルダフォルンで発行できるが、これでも不自由はせん」
「助かります」三人は同時に頭を下げた。
トリットはゆっくりと指を組み、「もっとも、この身分証には保証人の名も記される。……つまり、今後は自由に我が国を出入り出来るが、わしの名に影響するということじゃ」 穏やかな笑みの奥に、わずかな圧が滲む。
「承知しています」オルヴァンは短く答えた
トリットはケルマに目配せし、各自の名前と特徴を刻ませる。
「もちろん、保証人になるには下心がある。コロボスの用事を終え、ガルダフォルンに行く事があれば必ず連絡をくだされ」
その口調は依頼というより、条件提示に近い。
「出て行けと言っとるのではないぞ。気兼ねなく滞在してくれ」
「分かりました。必ずご連絡します。ただ、コロボスの予定は急ぎではないので、先にガルダフォルンに行くこともできますが」
「行き先が決まったら教えてくだされ」トリットは穏やかに返す。
「はい。明日、北のサベ鉱山に行ってみたいのですが」
不意のオルヴァンの言葉に、シロップとヴォルテが顔を見合わせた。
「私は明日、食堂を手伝う約束を」シロップが目を閉じたまま静かに告げる。
「俺は段差作りだ」ヴォルテがちらりとオルヴァンを見た。
「畑の畝ですね」
「そう、それ」ヴォルテは頷く。
ケルマは無言で仕上げた身分証を三人の前に並べ、ふぅと息を吐く。
「一人で行くつもりです。半日あれば往復できます」オルヴァンはトリットに視線を向ける。
「ふむ……あそこは採掘量が減り封鎖されておるし、超獣や獣も多い」
眉間に皺を寄せるトリット。「魔法石でも探しておるのか?」
「いえ、懐が寂しいので」
その答えにトリットは表情を緩めた。
「なんだ、鉱物か金か。ふむふむ」
「はい、お金です。旅には必要ですし、店で欲しい物もありましたので」
「なら村で仕事をすればよい。明日の夜明け、食堂に来なされ」
トリットが立ち上がると、ケルマも席を立った。
家の外に出ると、ムファールがランタンを片手に待っていた。
「今日はゆっくり休みなされ。明日、食堂で」
三人はお辞儀をする。
「ガルダフォルンに行けば、稼げる仕事はいくらでもありますぞ」
そう言い残し、トリットは機嫌よく去っていった。




