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フィーロ  作者: NaGold
14/50

第14話


 村の中心を離れると、街灯はまばらになり、夜の闇が少しずつ濃くなる。

 足音は土の道に吸い込まれ、遠くで獣のような鳴き声がひとつ響いた。


 雲の切れ間から覗く星々は、塔の最上階で見上げた空と変わらぬ輝きを放つ。

 オルヴァンはしばし足を止め、その光景を目に焼きつけると、再び歩き出した。


 やがて、滞在先の石造りの家が見えてくる。

 玄関をそっと閉じ、足音を殺して階段を上がる。

 二階の廊下は淡い光に照らされ、静けさが漂っていた。


 ヴォルテは大の字になって寝息を立て、シロップは毛布を肩まで引き寄せて丸くなって眠っている。

 オルヴァンは腰掛け、視線を文字に落とし、時を忘れたように読み耽った。


 本を読むオルヴァンは、ふと顔を上げ、軽くつま先でポン、と床を鳴らした。

 眠る二人を順に見やる。

 ……深い眠りだ。

(塔でも、何者かがこっそり最上階まで来ていた可能性は……あるかな? パイク…)


「パイク」と声に出す


「はい?」


 視線を落とすと、答えたのは肩に掛けたマントだった。

 布地がわずかに波打ち、まるで胸の奥で呼吸しているかのように膨らんでは沈む。

 その微かな動きと共に、かつての声が耳の奥に染み込んでくる。


 オルヴァンは小さく首を振った。

「……いえ、なんでもありません」


 マントは再び静まり、ただの布のように垂れた。



 オルヴァンは本に視線を落としたまま、静かに時を過ごしていた。建物の外から、土を掘り返すわずかな音が風に乗って届く。それでも彼はページをめくる手を止めない。


 しばらくして立ち上がり、窓から下を覗く。

 蓄光ランタンの淡い灯りに照らされ、ムルハンがせっせと穴を掘っている。

 その動きをしばらく観察してから、オルヴァンは外へ出た。


「おはようございます。鎌はここに置いておきますね」

 パッと鎌を出し、畑にザッと突き立てる。


 少し驚いた様子のムルハンが顔を上げる。

「ありがとう。早起きですね」


 オルヴァンはランタンを拾い上げ、穴の中を覗き込むと、手にしていたランタンをシャベルへ持ち替えた。

「二人は、明るくなるまで目を閉じていると思います」


「じゃあ、ヴォルテさんが起きてきたら交代しましょう!」


 掘り進めながら、オルヴァンが問いかける。

「ここを掘れば、水が出るのですか?」


「ええ。川や溜池から引くこともできますが、ここなら掘れば出ます。匂いで分かるんです!」

 ムルハンは得意げに胸を張る。


「魔法でパッと掘る人もいるらしいですけどね……」

 意味ありげにオルヴァンを横目で見る。


 オルヴァンは口元に微笑を浮かべた。

「そんなことをしたら、ヴォルテさんの楽しみがなくなりますから」


 そう言って、和やかに作業を続けた。


 ――


 辺りがわずかに明るみ、窓辺に立ったヴォルテは、外で楽しげにやり取りしながら進む作業の様子を眺めていた。

 その背後では、シロップが謎のポーズのまま石化している。


 ヴォルテは何度か頷きつつ、その石像の肩を軽くポンポンと叩く。

「私は仕事がありますので。姉上はここで遊んでてください」

 そう言い残し、足音も軽く部屋を後にした。


 入れ替わるように、オルヴァンは一階で本を開く。

 向かいの椅子では、石化が解いたシロップが果物を頬張っている。


 開いた窓からは、

「すげ〜! もう四歩尺はいってるぅ〜!」

 と、大騒ぎする声が飛び込んできた。

 同時に、舞い上がった土埃が部屋に入り込む。


 オルヴァンはその土埃をサッと消し去り、またページへ視線を戻す。

「楽しいですね」

 シロップが口いっぱいに果物を頬張りながら、無邪気にそう言った。



「村の中心部に行きますが」

 オルヴァンが視線を向けると、シロップは「もちろんです」と軽やかに立ち上がった。


 外では、井戸掘りを続けるヴォルテとムルハンの姿。

 オルヴァンはしばしその様子を眺める。

 穴の中からヴォルテがひょこっと顔を出し、親指を立ててから再び中へ消えたのを見届け、オルヴァンとシロップは歩き出した。


 農作業中の獣人たちに軽く会釈を返しながら進むオルヴァンが、ふと口を開く。

「パイク、ヴォルテと接続して連絡が取れる最大距離は?」


「それは分かりませんが……以前、ヴォルテが分体を投げた時は、十数秒で切れました」


「接続が切れたら教えてくださいね」

「はい!」


 そのやり取りを後ろから聞いていたシロップが、感心したように漏らす。

「そんな便利機能が」


「そのためのプレゼントだと思いますよ」

 オルヴァンの言葉に、シロップは嬉しそうに胸元のネックレスを手に取り、改めて眺める。

 ……プレート部分に刻まれた変な顔を見つけ、そっと服の中へしまい込んだ。


 やがて、中心部の賑わいが近づく。

 生地のロールや簡易な履物が並ぶ店の前でオルヴァンは立ち止まり、布を手に取った。


 店先で機を織っていた獣人と目が合う。

「うちの取引は蓄光石か秤量ね」


「はい」

 オルヴァンは手に取った布を静かに戻し、再び通りを歩き出した。

 露店の並ぶ通りを一通り見て回り、時折足を止めては品を眺める。


 帰り道の途中、食堂の前を通りかかると、店主が笑顔で籠いっぱいの果物を差し出した。

 軽く会話してから礼を述べて受け取り、その重みを両手に抱えながら、ゆっくりと帰路につく。


 住居の前では、大量の木材を積んだ荷車のまわりで数人の獣人が作業していた。

 シロップは一礼し、籠をオルヴァンから受け取ると、スキップしながら家の中へ消えていく。


「オルヴァンさ〜ん!」

 ムルハンが駆け寄ってくる。

「ヴォルテさん、すごいですよ! ここは帯水層まで掘ったので、今は二本目を掘ってます!」


 畑の中央付近では、土煙が舞い上がっていた。


「この板は井戸の補強用ですね。手伝います」

 オルヴァンはそう言い、マントをさっと脱ぎ払う。布は滑るように形を変え、下半身にまとわりついてズボンとなった。


(魔術師、かっけぇ……!)

 憧れの目で見つめるムルハンだったが、オルヴァンに「無理ですよ」と言われ、表情が固まる。


 ◇


 その日、ヴォルテは一日で四本の井戸を掘り上げた。

 風呂で土を流すと、酒樽から注いだ酒をあおり、「風呂上がりの一杯はさいこうぉ〜」その、地上の習慣が気に入り、数回風呂に入り一杯飲むを繰り返した後、椅子に腰を下ろす。


「兄上、その本にある俺の特技欄に、井戸掘りと酒に強いを追加しといてくれ」

 真剣な眼差しでそう言う。


 ページをめくる手を止め、オルヴァンは首を振る。

「この本には、ヴォルテさんのことは書いていません」

 スーッと光球を浮かべると、「本が新しく生まれたら追加されているかもしれませんね」と光球の色を確かめ、静かに収納した。


 その時、外の空気がわずかに張り詰めた。

 オルヴァンは本を閉じ、無言で立ち上がる。

 ノックの音が届くより早く扉を開き、トリットたちを迎え入れた。


 ケルマと名乗る獣人と簡単な挨拶を交わすと、全員が静かに席に着く。室内には、言葉少なな緊張が漂った。


 トリットが軽く咳払いをし、口を開く。

「今日は井戸を複数掘ったとの事。これは謝礼じゃ」

 小さな袋を机に置く。「数日分の滞在費は差し引いておる」

 ヴォルテは腕組みを解き、軽く会釈する。


「それと、コロボスに行くなら必要になる」

 銀色のプレートが静かに差し出される。「我が国で通用する仮の身分証だ。本証はガルダフォルンで発行できるが、これでも不自由はせん」


「助かります」三人は同時に頭を下げた。


 トリットはゆっくりと指を組み、「もっとも、この身分証には保証人の名も記される。……つまり、今後は自由に我が国を出入り出来るが、わしの名に影響するということじゃ」 穏やかな笑みの奥に、わずかな圧が滲む。


「承知しています」オルヴァンは短く答えた


 トリットはケルマに目配せし、各自の名前と特徴を刻ませる。


「もちろん、保証人になるには下心がある。コロボスの用事を終え、ガルダフォルンに行く事があれば必ず連絡をくだされ」

 その口調は依頼というより、条件提示に近い。


「出て行けと言っとるのではないぞ。気兼ねなく滞在してくれ」


「分かりました。必ずご連絡します。ただ、コロボスの予定は急ぎではないので、先にガルダフォルンに行くこともできますが」

「行き先が決まったら教えてくだされ」トリットは穏やかに返す。


「はい。明日、北のサベ鉱山に行ってみたいのですが」

 不意のオルヴァンの言葉に、シロップとヴォルテが顔を見合わせた。


「私は明日、食堂を手伝う約束を」シロップが目を閉じたまま静かに告げる。

「俺は段差作りだ」ヴォルテがちらりとオルヴァンを見た。

「畑の畝ですね」

「そう、それ」ヴォルテは頷く。


 ケルマは無言で仕上げた身分証を三人の前に並べ、ふぅと息を吐く。


「一人で行くつもりです。半日あれば往復できます」オルヴァンはトリットに視線を向ける。


「ふむ……あそこは採掘量が減り封鎖されておるし、超獣や獣も多い」

 眉間に皺を寄せるトリット。「魔法石でも探しておるのか?」


「いえ、懐が寂しいので」

 その答えにトリットは表情を緩めた。

「なんだ、鉱物か金か。ふむふむ」


「はい、お金です。旅には必要ですし、店で欲しい物もありましたので」


「なら村で仕事をすればよい。明日の夜明け、食堂に来なされ」

 トリットが立ち上がると、ケルマも席を立った。


 家の外に出ると、ムファールがランタンを片手に待っていた。


「今日はゆっくり休みなされ。明日、食堂で」

 三人はお辞儀をする。

「ガルダフォルンに行けば、稼げる仕事はいくらでもありますぞ」

 そう言い残し、トリットは機嫌よく去っていった。

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