表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フィーロ  作者: NaGold
11/50

第11話


 その頃、トリットは隣村や中央への報告を終え、ようやく腰を落ち着けていた。


 掌で果実を転がし、木のカップに搾り入れる。

水差しから静かに水を注ぐと、淡い香りがふわりと広がった。


「ふぅ……中央にも既に伝わっておったか……ん? ムファールも座って休みなさい」


「はい」

 ムファールは、村の集会で使われる長い卓の端に腰を下ろす。

 使い込まれた木肌には無数の傷が刻まれ、十数人が一度に囲める広さがあった。

 彼も水を注ぎ、果実の切れ端を沈める。


「ま〜、カカ、が判断して招いたのなら、間違いはなかろう」

 酒杯を指先で軽く揺らしながら、小柄な獣人リマが口を開く。


「全てが正直で真実味に満ちた奴ほど、逆に怪しい。少しぐらい隠し事があった方が、信じられるもんじゃ」


「……ほう。隠し事とは?」


「憶測に過ぎんが……あのシロップ殿。名を呼ばれる際、オルヴァン殿が“セ”と途中まで口にして、言い直しておった」


「“セ”…? あちらで“セイ”と冠するのは、かつては貴族や王族の名に用いられた呼び方だ。名を偽っている可能性もあるが……まぁ、我らに害をなすものではあるまい」


「高価なマジックバックに……裾野を恐れぬ力……」

 トリットは果実水をひと口含み、淡々と呟く。


「湾岸都市コロボスへ向かう――と言っておったが、急ぐ様子もない。どう見ても“隠れる”のが目的じゃの。オルヴァン殿も裾野は隠れるに良い場所と……」


「なら、匿ってやればいい」

 リマが軽く杯を掲げた。


「ふむ……」

 トリットは水面に浮かぶ果実を見つめ、短く頷いた。



 ◇


 食堂は熱気に包まれていた。

ヴォルテが酒を飲み干すたびに獣人たちの歓が上がり、挑んでは敗れた獣人たちが次々と床へ沈んでいく。


「ヴォルテ! ヴォルテ! ヴォルテ!」

 止まぬ声援に押され、場の空気はさらに高まっていった。


 いくら飲んでも顔色ひとつ変えないヴォルテは、杯を掲げ、天井を見上げてひと呼吸。

 ――心の奥に、妙な満足感がふっと広がる。


 その熱気を断ち切るように、

「バンッ!」

 乾いた音が響き、皆の視線が一斉にそちらへ向いた。


 耳を垂らし、顔をしかめた獣人の少女が立っていた。

 何も言わず、不機嫌な足取りで食堂を飛び出していく。


 一瞬、場が凍りついたが、やがてざわめきが戻り、それぞれが席に着き直す。


「ヴォルテさん! すごいです! 無敵です!」

 ムルハンが駆け寄り、ヴォルテの手をがっしり握って揺らす。


 ヴォルテは、得意げな笑みをほんのわずかに浮かべ、ゆっくりと頷いた。


 その時、外からザザーッと雨の音が聞こえてきた。


「雨ですね……明るい空ですし、すぐ止むと思います」

 ムルハンが窓の外に視線をやる。


「あめ?」

 シロップがオルヴァンを振り返ると、オルヴァンは「にわか雨ですね」と頷き、軽くOKサインを送った。


 シロップは小さく息を弾ませながら立ち上がる。

 入り口へ向かい、扉を押し開けると、ひんやりした外気が頬を撫でた。


 その様子を、食堂の中から獣人たちが不思議そうに見送っていた。


 軒先に出たシロップは、そっと手を差し出し、雨粒を指先で受け止めた。

 雫は眼鏡のレンズにも落ち、光を受けて小さくきらめく。


 その感触に小さく笑みを浮かべると、我慢できなくなったように数歩前へ進み、両手を大きく広げて全身で雨を受けた。


(あめ〜っ、これがあめ〜……あ〜〜め〜、にわかアめ〜)

 心の中で自作の歌を奏でながら、くるりと半回転して小さく舞う。


 ふと軒先に目をやると、先ほど飛び出していったあの少女が、壁にもたれ俯いていた。

 シロップは何だろうと思いつつも、再び空を仰ぎ、雨を楽しむ。


 少女は、何かを感じ取ったのか顔を上げる。

 そこには、雨粒と日差しを受けて輝くように佇むシロップの姿があった。

 濡れたその頬は、少女の目には涙で濡れているように映る。


 気づけば、少女はシロップへと駆け出していた。

 勢いのまま抱きつかれたシロップは一瞬きょとんとしたが、反射的に膝をつき、その小さな体を抱きしめた。


 少女は声を殺してシクシクと泣く。

 シロップはただ、静かにその背を包み込む。


 やがて雨が上がると、少女はこらえきれずに声を上げて泣き出した。


 窓から身を乗り出してその様子を見ていた獣人たちも、いつしか目元を押さえていた。


 軒先の端で、一部始終を見ていたムファールは、目を閉じ何度も頷く。

 

 窓辺がざわつくなか、オルヴァンは静かに立ち上がる。

「雨も上がりましたし、そろそろ……」

 視線をムルハンへ送ると、ムルハンはすぐに立ち上がり、入り口の方へ手を向けた。


 ヴォルテも立ち上がり、一度息を整える。


「皆様、突然の訪問にもかかわらず、温かく迎えていただき、誠にありがとうございます」

 その声に、獣人たちが耳を傾ける。


「ヴォルテ殿は――『食堂の酒を飲み干す』という、世界でも珍しいスキルの持ち主」

 場に笑いが広がる。


「酒樽が空になる前に、宿へ強制送還させていただきます」

 深々と頭を下げ、入り口へと歩みを進める。


 拍手が湧き上がり、「ヴォルテ! ヴォルテ!」のコールが再び響くなか、2人は食堂を後にした。


 

 外は雨上がりの柔らかな日差しに包まれ、濡れた地面がきらきらと光を反射していた。

 抱き合う少女とシロップを、オルヴァンは静かに見つめる。

 ヴォルテはというと、まだ食堂で浴びた喝采を脳内で反芻している。


 ムファールが歩み寄り、オルヴァンに声を掛けた。

「オルヴァン殿、宿が変更になりましたので、私がご案内します」


「お願いします」軽くお辞儀をする。


 ふと、抱き合ったままのシロップと少女に視線が集まった。

 ムファールも近づき、そっと膝をついて少女の顔を覗き込む。

 ——その表情は、涙の跡を残しながらも、どこか幸せそうだった。


 ムファールは小さく息をつき、柔らかな声で言う。

「……途中に、この子の家があります。そのまま送っていきましょう」


 少女はシロップの腕の中でこくりと頷き、シロップも静かに微笑み返す。

 そのまま一行は、ぬかるむ道をゆっくりと歩き出した。


 少し後方を歩くムルハンは、腕を組んでその様子を見守っている。


 オルヴァンがそっと2人に手をかざす。

 すると、衣服や髪に残った雨粒がふわりと浮き上がり、きらきらと光を帯びながら空へ舞い上がった。

 頬を伝った涙のしずくも、その中に紛れ、同じように優しく彼方へと抱かれていった。


 やがてそれらは空に溶けるように消え、跡にはわずかな温もりだけが残った。

 少女は驚きに目を見開き、小さく歓声を漏らす。


 その光景に胸を打たれたムルハンが、感動のあまり前へ一歩踏み出す。

(すげー! やっぱ魔術師じゃんか! かっけー!!)


 胸の高鳴りを抑えきれず、真剣な表情でオルヴァンに尋ねた。「俺も……勉強すれば、出来るようになりますか?!」


 オルヴァンは、一拍置いてから、あっさりと言い切った。「無理です」


 あまりにも即答すぎて、ムルハンは目を瞬かせる。

(えっ……ムリ!? え?)「……え?」


 その横で、ムファールは唇を噛み、肩を震わせていた。

 真剣な顔で問うムルハンに、冷徹すぎる即答——そのギャップが、笑いのツボを直撃していた。


「……で、では行きましょう」

 軽く咳払いをして声を掛けるが、震えは隠せない。

 ムルハンは恨めしそうに横目で睨む。


 やがて一行は少女の家に到着した。

 ムファールは深呼吸を繰り返して呼吸を整え、ドアをノックする。


 出てきたのは少女の姉、アケミン。

 事情を説明し、眠ってしまった少女を引き渡すと、アケミンとムファールが2人並んでシロップに深くお辞儀をした。


 顔を上げたムファールの視界に、まだ納得していない様子のムルハンの顔が飛び込んでくる。

 バッと下を向き、再び笑いを堪えるムファール。

(ここで吹き出すのはまずい……一旦エスケープだ)


「ア、アケミン……お手洗いをお借りしても?」

 下を向いたまま尋ねる。


「嫌です」

「え?」顔を上げるムファール。


「絶対嫌です」

 アケミンは真顔で指を一本立てた。

「お手洗いは掃除をしてから貸す主義なんです。今は……無理です」


 横からムルハンが小声で囁く。

「……うち行く? 遠いけど」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ