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戦国M&A ~織田信長を救い、日本という国を丸ごと買収(マネジメント)する男~  作者: 九条ケイ・ブラックウェル
第二章:世界展開編
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第七十五話:残された選択

信長の死から一年。

仁斎と石田三成が率いる執政府は、天下輪廻法がもたらした未曾有の混沌の鎮静化に追われていた。

仁斎は三成と共に、現実的な解決策を次々と打ち出していた。


功徳の認定には「功徳奉行」を各国に配置し、統一基準を設けた。

「井戸一つにつき功徳三点、寺子屋の開設は五十点」

細かく定められた基準表が、混乱を少しずつ収束させていく。


海外への資産逃避には「出国税」を設定。

「国外へ持ち出す財の三割を国庫へ」

さらに、銀ではなく米を基準通貨とすることで、物理的な持ち出しを困難にした。


新興宗教には「宗門改め」を強化。

「功徳を金銭で売買する者は、偽坊主として処罰」

本物の僧侶による認定制度も整備された。


昼夜を問わず続けられる問題処理に、仁斎の心身は極限まで疲弊していた。

仁斎の執務室は、もはや戦場だった。

各地からの報告書が山と積まれ、その全てが手書きの崩し字。

目は充血し、慢性的な頭痛に悩まされていた。


「宰相様、せめて灯りを...」

「油が勿体ない」


薄暗い蝋燭の光で、一文字一文字を追う。

計算はすべて算盤。複雑な税の計算に丸一日。

食事は冷めた粥と漬物。それすら机で掻き込む。


身体中が痛い。

腰痛、肩の凝り、胃の不調。

だが医者にかかる時間すらない。


三成も同様だった。

かつて精悍だった顔には深い皺が刻まれ、髪には白いものが混じり始めている。

「宰相様、少しお休みを」

そう進言する三成自身が、よろめきながら歩いている。


二人は互いに支え合うようにして、この一年を乗り切ってきた。

眠りは一日三刻もない。食事も執務の合間に掻き込むだけ。

だがその甲斐あって、国は少しずつ新しい秩序の下で安定を取り戻しつつあった。


その夜。執務を終え自室へと戻る長い廊下を歩いていた仁斎を、一つの影が襲った。


「天誅!」


狂信的な叫びと共に抜き放たれた刃が、仁斎の脇腹を深く貫いた。

「ぐ…っ!」

天下輪廻法によって全てを失った、旧大名の残党だった。

仁斎が崩れ落ちるのと、桔梗とその部下たちが影の中から現れ刺客を斬り捨てるのは、ほぼ同時だった。

桔梗が血を流す仁斎の体を抱きかかえる。

「宰相様! しっかり!」


だが仁斎の意識は、急速に闇へと沈んでいった。

深い闇の中を落ちていく感覚。

時間の流れが歪み、空間が捻れる。

四百年という時の壁を、逆流するように。


色彩が失われ、音が遠ざかり、そして——


突然、目映い光が視界を満たした。

次に意識が目覚めた時。

仁斎は血まみれの大坂城ではなく、懐かしい東京の超高層マンションの一室に立っていた。


部屋には聞き慣れた空調の音。窓の外には美しい21世紀の夜景が宝石のようにきらめいている。

机の上には数千億円のディールを成功させた契約書。そしてガラスに映るのは、疲れているが完璧なスーツを着こなした「黒澤仁」の姿。

全ての混沌から解放された、静かで合理的、そして孤独な世界。


仁斎——いや、黒澤仁は、しばし呆然と立ち尽くした。


冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干す。

冷たい水が喉を通る感覚。ああ、これが21世紀の味だ。

ソファに身を沈める。

完璧にフィットする高級家具の感触。

手に取ったタブレットには、世界中の経済指標がリアルタイムで表示されている。


ノートPCを開く。

27インチの4Kモニターに、完璧に整理されたデータ。

エクセルが一瞬で数万件を処理する。


「あの一日かけた計算が、0.3秒...」


部屋の温度は22度に保たれ、空気は清浄。

冷蔵庫にはオーガニック野菜のサラダ。

サプリメントで栄養は完璧に管理。


画面に集中してると、AIアシスタントが告げる。

「薬の時間です」

健康すら、テクノロジーが管理してくれる。


デスクの引き出しを開ける。

頭痛薬、胃腸薬、ビタミン剤。

どんな不調も、薬で即座に解決。


「なんて...なんて楽な世界だ」


しかし、同時に思う。

この完璧さの中で、自分は何を失ったのか。

あの泥臭い、非効率な、しかし熱い世界で得たものは...


すべてが、清潔で、効率的で、予測可能。

なのに、なぜか物足りない。


窓の外の夜景は美しい。

だが、安土城から見た星空の方が——


『何を感傷的になっている。俺は長谷川仁斎ではなく、黒沢仁じゃないか』

黒澤仁は自嘲した。


彼の脳裏に声が響いた。

『もういいだろう。お前の仕事は終わった。ここへ帰ってこい』


その甘い誘惑の声と同時に、ポケットの中で携帯電話が震えた。

画面には日本拠点ジャパンのプレジデントからの着信を示す文字が光っている。

黒澤仁はディール成功に伴う労いの言葉を聞くために、携帯電話へと手を伸ばした。


だが、その手が震えている。

『取れば、すべてが元に戻る』

『また、数字と効率だけの世界へ』

指が画面の上で止まる。

スワイプすれば、それで終わり。

黒澤仁として生き、長谷川仁斎は夢となる。


一秒、二秒、三秒。

時間が引き延ばされたように感じる。


『これでいいのか?』

『あの混沌を、投げ出していいのか?』


その指先が画面に触れる寸前。

彼の耳に遠い世界の音が聞こえてきた。


算盤を弾く子供たちの声。

彼を信じついてくる石田三成の声。

彼に憎まれ口を叩きながらもその背中を預ける茶々の声。


そして最後にあの第六天魔王の嘲るような哄笑が聞こえる。

「仁斎。この程度でくたばるか。ワシの最後の問いの答えも出せぬまま逃げるのか」


黒澤仁の動きが止まった。

彼は鳴り響く携帯電話の電源を切り、テーブルの上に置かれていた硝子の小瓶を手に取った。

中には色とりどりの金平糖。

彼はその中から三粒を手の平に出すと、ゆっくりと口に含んだ。


懐かしい不器用な甘さが口の中に広がる。


仁斎の意識が戻った。

目の前には涙を浮かべた桔梗の姿があった。

「…なぜです。一瞬御心の臓が止まりました。…なぜ戻ってこられた」


仁斎はまだ朦朧とする意識の中で、静かにそして確信を持って答えた。

「…上様は最後に大いなる問いかけを残していった。それに答えを出すのが私の仕事だ」


桔梗の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

「この一年、あんなにも苦しそうな仁斎様のお顔を見ていられませんでした。私はてっきり…。本当にそれでいいのですか」


その問いに仁斎は穏やかに頷いた。

「いいも悪いもない。これが私とあの男の最後の勝負だ」


彼の瞳にもはや迷いはなかった。

自らの意志でこの混沌の時代を生き抜くことを選択した男の、強い光が宿っていた。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
これはどちらを選択しても糞みたいな世界という意味で変わりはないですね。
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