第六十八話:問答無用
深夜の大坂城天守。
信長は一人、窓の外に広がる星屑のような城下の灯りを見下ろしていた。
そこへ呼び出された仁斎が静かに入室し平伏する。
信長は振り返らぬまま問いかけた。
「仁斎、そなたに問うことがある」
「は」
「そなたがこの時代の者ではないと聞かされた時から、ワシは自らの天命を考えておった」
仁斎の背中に緊張が走った。信長はこれまで一度もこの話題に触れたことはなかった。
「なぜ今までお主にそのことを問わなかったと思う?」
「…」
「聞く必要がなかったからじゃ。そなたの知識で天下は豊かになった。それで十分じゃった」
信長は激しく咳き込んだ。手のひらを見ればそこに血の跡が滲んでいる。
「じゃがワシはもう長くない。死ぬ前に知りたい。この先に何が待っているのかを」
それは第六天魔王が初めて見せた弱さであり、そして最後の問いだった。
仁斎は覚悟を決めた。
「では…すべて話します」
仁斎はまず光の部分から語り始めた。
「私の時代、四百年後の日本は信じられぬほど豊かです。人は九十の齢まで歳を超え、飢える者はほぼおりませぬ。誰もが文字を読み計算ができる。手のひらの板の上で世界中の者たちと顔を見て話すこともできます」
「人は月に降り立ち、病で弱った心臓を他人のものと入れ替えることすら可能です」
信長の目が子供のように輝いた。
「それは…まさに夢の国ではないか」
しかし仁斎の声のトーンが沈む。
「だが豊かさの裏で、国は深い影を抱えております」
仁斎は闇の部分を語り始めた。
「富める者百人のうち一人が、国の富の半分を持つ。多くの者は数字で管理され、働きすぎて命を落とす者もおります」
彼は続けた。
「ある時海の向こうの大国で、金持ちたちの銭の遊びが破綻しました。その影響だけで世界中の何百万人という何の罪もない民が家を失ったのです」
「企業は国よりも強い力を持ち、時には国の政すら銭で買う。そして…」
仁斎は最も信じがたい事実を告げた。
「…そして人々は豊かなのに、幸せではないのです」
信長の輝いていた瞳が凍り付いた。
「待て。豊かなのに幸せではない? なぜじゃ?」
「はい。自ら命を絶つ者の数は戦国の世よりも多く、心の病も増え続けております」
「なぜだ! 全てを手に入れたのであろう!」
「おそらく…」
仁斎は静かに答えた。
「…おそらく全てが『効率』と『利益』で測られるからです。人の命も誇りもその価値を全て銭に換えられてしまうからです」
信長は立ち上がり窓の外を見た。
眼下に広がる光の海。彼が作り上げた完璧な世界。
「ワシの作った世が…そうなるのか」
「いえ、上様のおかげで歴史は変わりました。ですが資本の理の行き着く先は…」
信長は仁斎に向き直った。
「仁斎よ、なぜ今まで黙っておった?」
「上様を…失望させたくなかったのです」
「それだけか?」
「…そして私自身も信じたかった。上様となら違う未来を作れると」
信長は自嘲するように笑った。
「結局人は変わらぬか。ワシが作った仕組みもやがて民を苦しめる。…いや」
信長は首を横に振った。
「じゃがまだ終わりではない」
彼の瞳に最後の、そして最も激しい炎が宿った。
それは第六天魔王がその生涯で初めて見つけた、真の「敵」に対する怒りの炎だった。
未来そのものという敵に。
「未来を知った今、それを変える手立てを考える。それがワシの最後の仕事じゃ」
「…上様」
「問答無用」
信長は仁斎の言葉を遮った。
「貴様の知識を全て出せ。ワシがその歪んだ未来とやらを叩き斬ってくれるわ」
それは一人の人間が、歴史という巨大な運命に戦いを挑んだ瞬間だった。
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