第四十一話:影の部隊長・桔梗
株式会社・日本の新たな経営方針が定まった。
東国は徳川家康という最強の「守り」の経営者に。そして西国から世界へ繋がる全ての「攻め」の事業は、宰相である長谷川仁斎が一手に引き受ける。
その最初の仕事は、壮大な世界交易の実現だった。
仁斎は自室に広げた世界の地図を眺めていた。そこには堺の商人たちが命懸けで集めた、断片的な情報が無数に書き込まれている。だが、その一つ一つがあまりに不確かだった。
『…危うい。俺の知識はあくまで未来の“結果”を知っているに過ぎない。その結果に至る日々の些細な変化や、人の嘘、気まぐれ…。そのノイズを読み違えれば、俺のディールは一瞬で破綻する』
彼は自らの情報網の脆弱性を痛感していた。
『ダメだ。このままではいつか必ず足元を掬われる。俺自身の目と耳が必要だ。誰にも属さぬ、俺だけの影が』
仁斎は石田三成を呼びつけた。
「三成。人を探せ。表の者ではない。影に生き影に死ねる者だ。腕利きであれば出自も過去も一切問わぬ」
「…承知、いたしました」
三成は主のその昏い瞳の奥にある真意を探るように、深く頭を下げた。
数日後。三成は仁斎の前に一本の巻物を差し出した。
「宰相様。お望みの人材が見つかりました。…ただし少々訳ありの者でございます」
巻物には一人の女の名が記されていた。名を、桔梗。
その出自の欄に記された「伊賀」の二文字を見た瞬間、仁斎は思わず息を呑んだ。
『伊賀の…生き残りだと…? 馬鹿な。天正伊賀の乱は信長様による徹底的な殲滅戦だったはず。女子供に至るまで根切りにしたと史実にはある。…史実はすでに俺の知るそれとは違うのか? それともこの女が、その歴史の歪みが生んだイレギュラーなのか…?』
巻物には続いていた。
彼女が信長の伊賀攻めによって一族を皆殺しにされ、その後、京の裏社会で金さえ積めばどんな情報でも手に入れどんな人間でも消すという、流離いの暗殺者としてその名を轟かせている、と。
仁斎はその巻物を閉じると言った。
「会う。場所を整えよ」
場所は京の町外れにある打ち捨てられた古寺だった。
仁斎が本堂で待っていると、背後の闇の中から音もなく一つの人影が現れた。
小柄な女だった。黒い動きやすい装束に身を包み、その顔は頭巾で半分隠れている。だがその覗く瞳は、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く、そして冷たい光を放っていた。
仁斎は、その女を初めて正面から【査定】した。
【対象:桔梗】
資産(Assets):諜報能力 98、潜入・暗殺術 95、忠誠心(対・契約)99
負債・リスク(Liabilities & Risks):対・織田信長への憎悪 100 (MAX)
定性コメント:極めて優秀なフリーランスの諜報・実行部隊。契約の概念を理解しそれを絶対的に遵守する。ただしその憎悪は諸刃の剣となりうる最大のリスク要因。
仁斎は静かに口を開いた。
「貴殿の噂は聞いている。その腕、俺が買いたい」
桔梗は、その顔の半分を隠したまま、冷たい声で答えた。
「…私を雇い何をさせると? 貴方はあの猿の懐刀。そして猿は私の一族の仇を討ってくれた。だがその猿の主君は、私の故郷を焼いた鬼だ。何の戯言か」
「冗談ではない」
仁斎は静かに首を振った。
「その前に一つ聞きたい。なぜ貴殿ほどの腕の立つ方が、今も京の裏店で燻っている。その技があればどこぞの大名に仕えることもできよう」
その問いに、桔梗の瞳が一瞬憎悪の炎で揺らめいた。
「…私には守るべき残党がいる。食わせねばならぬ餓鬼どもがいるのだ。あの日あの地獄から、共に逃げ延びたな」
彼女は吐き捨てるように言った。
「私を召し抱えようとした大名は、何人もいた。だが彼らが欲したのは私一人の牙だけだ。私についてくる者たちの面倒まで見てくれる奇特な大名などおらぬわ」
仁斎は彼女の過去を、史実の知識で探った。
「…伊賀の生き残り。天正壬午の乱の折、貴殿は徳川に雇われていたと聞く。あの甲斐・信濃を巡る乱戦の中で、よく生き残れたものだ」
桔梗の瞳が、初めて鋭く細められた。目の前の男がなぜ自分の過去をそこまで正確に知っているのか、と。
「…ああ。あの戦で、私は死ぬはずだった」
彼女は自嘲するように言った。
「徳川の命で北条の将の首を取りに忍び込んだ。だがしくじり、私は仲間に売られ捕らえられた。…本来ならそこで終わりだったはずだ」
桔梗の声に、初めて乾いた感情が滲む。
「だがその頃、中央では羽柴様が貴方の筋書き通り、驚くべき速さで天下を固めつつあった。北条も徳川も互いに争うている場合ではなくなった。私の首なぞもはや何の価値もない。私は牢から捨てられるように放り出された。…あんたの主が創った新しい世のおかげでな」
その言葉を聞いた仁斎の内面に、初めて巨大な衝撃が走った。
『…なんだと…? 俺が歴史を変えたその影響が、こんな末端の名もなき忍び一人の運命まで変えていたというのか…?』
仁斎はこれまで、己をこの時代の外部の観測者だと思っていた。歴史という盤面の上で駒を動かすプレイヤーだと。
『…違う。俺は駒の一つでもあり、そして盤面そのものですらあったのだ。俺の一つの行動が無数の予期せぬ波紋を広げ、新しい因果を生み出している。…これが、歴史を変えるということの、本当の重みか…』
彼は、目の前の女を見つめ直した。彼女はもはや、ただの駒ではない。自らの行動が生み出した、世界の新しい一部だ。
「俺は貴殿に忠誠は求めぬ。俺が求めるのは貴殿の技だけだ。そして俺が与えるのもただ二つ。この国で最高の報酬と、貴殿のその技を存分に振るえる最高の舞台だ」
仁斎は続けた。
「そしてもう一つ。貴殿が守ると誓ったその仲間たちの生涯の安泰も保証しよう。彼らに土地と家を与え、日の当たる場所での暮らしを約束する」
それは、桔梗が諦めかけていた全てだった。
「これは取引だ。受けるか受けぬか。それだけ決めてもらいたい」
桔梗はしばし沈黙していた。
やがて彼女は、ふ、と息を漏らすように笑った。
「…面白い。お受けしましょう、その取引とやらを」
彼女は仁斎に一歩近づいた。
「ただし私の刃がいつか貴方の本当の主君の喉元に向かわぬと、お思い召されぬよう」
「…無論だ」
仁斎もまた静かに頷いた。
こうして、仁斎の直属の影の部隊が誕生した。
『リスクは承知の上だ。信長への憎悪という巨大な負債を抱えたアセット。だがその切れ味は何物にも代えがたい。彼女は俺の目となり耳となり、そして時には牙となるだろう』
仁斎は自らが最も危険な刃を手に入れたことを自覚していた。
彼は新たな部隊長に最初の命令を下した。
「桔梗。最初の仕事だ。南蛮の船が一隻近々九州に着く。乗っている司祭の名はヴァレリアーノ。その男の全てを洗い出せ」
最後までお読みいただきありがとうございました!
少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆で評価やブックマークをいただけると嬉しいです!




