第三十九話:最大派閥の経営統合
評定から数ヶ月。
株式会社・日本は、二つの巨大なエンジンによって、凄まじい勢いでその価値を高め始めていた。
東国では、徳川家康がその恐ろしいまでの堅実さで、関東の広大な未開の地を一つの巨大な穀倉地帯、そして商業の拠点へと作り変えつつあった。無駄な戦をせず、その全ての力を内政に注ぎ込んだ彼の「関東開発公社」は、まさに鉄壁の守りを誇る超優良な国内事業部だった。
一方、西国では、仁斎がその辣腕を振るっていた。堺と博多の商人を国家事業のパートナーとし、新型船の建造と海外交易の準備が着々と進められている。日本中から人、物、そして金が、大坂へと流れ込み、その富は日毎に膨れ上がっていた。
仁斎は、自らの執務室で、石田三成から提出された両事業の進捗報告書を眺めていた。
全ての数字が、彼の予測を上回る成長曲線を描いている。
だが、仁斎の表情は晴れなかった。
『攻めと守り。二つのエンジンは確かにこの国を前例のない高みへと押し上げるだろう。だが…』
彼の思考は常に、ディールのその先にある潜在的なリスクを探り続けている。
『二つの強力すぎるエンジンは、いつか必ず互いを引き裂き合う。俺か上様か、あるいは家康自身がこの世を去った時、この危うい均衡は崩壊する。俺が創り上げたこの“株式会社・日本”は、創業数十年で敵対的買収(内戦)によって再び解体されるだろう』
仁斎は、地図の上で、西の大坂と東の江戸を指でなぞった。
『必要なのは業務提携ではない。合併だ。二つの家を血で結びつけ、一つの事業体として未来永劫不可分な存在にする。…これこそが究極のリスクヘッジ』
仁斎はこの国の永続的な平和と安定のため、歴史という教科書を基にしたM&Aを仕掛けることを決意した。
『信長の帰還、という歴史の変更により何が起きるか…。軌道修正が必要か…。』
彼はまず、伊賀の隠れ寺へと向かった。
信長は、仁斎からの詳細な国内の経営報告を聞き、満足げに頷いていた。
「家康めも、なかなか骨のあることを言うようになったわ。ワシの目の届かぬ東国を、よう治めておる」
その機嫌の良さを見計らい、仁斎は本題を切り出した。
「上様。徳川殿はあまりに大きい。今我らがおる間は良い。なれど百年先、二百年先を見据えた時、必ずや我らが創りし、この『家』の脅威となりましょう。その憂いを根絶やしにする唯一の策がございます」
「ほう、申してみよ」
「殿下のご嫡男、秀頼様と、徳川殿のお孫様との、縁組をお進めいただくのです」
信長の動きが止まった。その鋭い瞳が、仁斎の真意を探るように細められる。
「…ほう。茶々の倅(秀頼)と、三河のタヌキの孫をか。…面白い。が、ワシの血を引く茶々の子に、あの田舎者の血を混ぜるというのか」
その言葉には、天下人としての絶対的な自負と侮蔑が滲んでいた。
だが、仁斎は動じない。
「左様にございます。この国の最も気高き血と、この国の最も強き血を一つに束ねるのです。これによりもはや誰もこの『家』に弓を引く者はいなくなる。上様の血統とその天下は、未来永劫盤石なものとなりましょう」
信長はしばし黙考していた。やがて、彼はニヤリと口の端を歪めた。
「…ククク。血で未来を買うか。面白い。貴様のその気味の悪い商い、許す。だが交渉は貴様に一任する。あのタヌキを納得させてみせよ」
「はっ」
仁斎は、次なる交渉の相手、徳川家康と京のとある寺院で密かに会談の席を設けた。
部屋には二人きり。差し向かいで座る二人の間には、一つの碁盤だけが置かれている。
仁斎は単刀直入に切り出した。
「徳川様。貴殿のお孫様、千姫様と、我が主君秀頼様との御縁談をお持ちいたしました」
家康は、その言葉を聞いても、能面のような表情を一切崩さない。彼はただ、パチリ、と一つの碁石を盤上へ置いた。
「…その縁組、我ら徳川にとっての利は何にござるか、宰相殿」
その問いに、仁斎は確信を持って答えた。
「未来そのものにございます」
仁斎は、家康の目を真っ直ぐに見据える。
「この縁組により、徳川家は単なる関東の棟梁ではなく、この日ノ本を共に支える柱となるのです。織田の次に、天下を継ぐべき、その最も確かな筋道を手に入れる唯一の道にございます」
それは、家康がその生涯をかけて追い求めてきた、究極の「安全保障」であり、そして考えうる限り最大の「リターン」だった。
家康はゆっくりと次の一手を打った。そして初めて、その能面の下に微かな笑みを浮かべた。
「…宰相殿。その“商い”、お受けいたそう」
こうして、この国の二つの最大派閥の巨大な経営統合は、仁斎というただ一人のディールメーカーによって、その基本合意がなされた。
仁斎は自室に戻ると、その前代未聞のディールの意味を、脳内で反芻していた。
『織田・豊臣の“ブランド価値”と、徳川の“盤石な経営基盤と資産”。二つの最大派閥の経営統合(M&A)が成立した。これで株式会社・日本の株価は、未来永劫安定する。サクセッション・プラン(事業承継計画)の、第一段階は完了した』
仁斎は、窓の外の月を見上げた。
『…だが、この巨大すぎるディールには、まだ最後のそして最も厄介な承認者が残っている。この縁組の駒となる二人の母。…茶々殿だ。彼女をどう説き伏せるか。こればかりは、いかなる数字も通用しない…』
仁斎の次なる交渉相手は、この国で最も計算のできない一人の女性だった。
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