表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国M&A ~織田信長を救い、日本という国を丸ごと買収(マネジメント)する男~  作者: 九条ケイ・ブラックウェル
第一章:日本統合編
37/76

第三十七話:取締役・徳川家康

天正十九年(1591年)、晩春。

大坂城で開かれた、新生・織田政権の最初の評定。

その場で宰相・長谷川仁斎が提示したあまりに壮大な「世界戦略」と、それに対する筆頭家老・徳川家康の冷静な「国内安定」論。二つの巨大な経営方針は、諸大名の間に静かな、しかし深刻な波紋を広げていた。

信長は、その場で結論を出さなかった。

「次の評定で、改めて論じさせる。両者とも己が策が、いかにこのワシの『家』を富ませるかを示せ」

その一言で、会議は終わった。

それは、この国の未来を賭けた、二人の天才による知略の戦いの開始を告げる、ゴングの音だった。


評定の後、城下の大名屋敷は、二つの派閥に静かに色分けされ始めた。

福島正則や、加藤清正といった武功でのし上がってきた武断派の将たちは、仁斎の得体の知れない「交易」という言葉よりも、家康の分かりやすい「地盤を固める」という考えに強く共感した。一方で、毛利輝元や九州の大名といった、海の利を知る者たちは、仁斎の壮大な富のビジョンに密かな期待を寄せる。

大坂城は目に見えぬ政治の緊張感に包まれていった。


石田三成は、仁斎の執務室で苛立ちを隠さずに言った。

「宰相様。徳川様のご意見はあまりに後ろ向き。なぜ上様は即座に我らの案をお認めにならなかったのか…」

その問いに、仁斎は筆を走らせながら静かに答えた。

「三成。上様は退屈しておいでで、何よりも競い合うことを好まれる。俺と家康殿を二頭の闘犬のように闘わせ、どちらがより見事な獲物を主の元へもたらすか、高みから見物しておられるのだ」

そのあまりに正確な信長評に、三成は言葉を失った。


仁斎の準備は、その日から始まった。

彼の執務室は、さながら現代の投資銀行のプロジェクトルームと化し、石田三成が全国から集めた膨大なデータが、壁を埋め尽くしていた。各国の石高、人口、特産品。堺の商人を通じて極秘裏に入手した、明国や南蛮の産物、価格、航路の情報。

それら全ての膨大な「情報」が、仁斎の頭脳という超高速の演算装置プロセッサーの中で再構築されていく。

『徳川家康の国内安定化プラン。その本質は徹底したリスク・マネジメントだ。負けないための完璧な戦略。だが成長性アップサイドがあまりに低い。これは国債ガバメント・ボンドのようなものだ。安全だがリターンは微々たるもの』

仁斎は三成に命じた。

「三成。これより十年先までの、この国の富の見立てみたてがきを作成する。俺の策と徳川殿の策、それぞれを実行した場合に銭と米がいかに増減するか、その二つの未来の財産目録を作るのだ」

「は…!?」

三成は、主の言葉の意味を完全には理解できなかった。だが、彼はただ命じられた通りに、膨大な数字の海へと再び没頭していった。


その頃、徳川家康もまた、江戸城で、静かに牙を研いでいた。

彼の前には、腹心中の腹心、本多正信が座している。

「…殿。あの長谷川仁斎という男、一体何者でございましょう。その知略、まるで人のものとは思えぬ」

家康は、鷹狩りの手入れをしながら静かに答えた。

「…物の怪よ」

「もののけ…?」

「うむ。人の心を持たぬ。ただ理と利だけで物事を判断する、恐ろしい物の怪よ。じゃがその物の怪が指し示す道は、確かにこの国を富ませるのかもしれぬ」

家康は、鷹の鋭い爪を見つめた。

「…なれどあまりに危うい。船は嵐で沈み、異国はいつ牙を剥くか分からぬ。富は人を惑わせ、国を滅ぼす。…まず為すべきは、百年嵐が来ても揺らがぬ石垣を築くこと。それが真の為政者の務めぞ」

家康は、本多正信に命じた。

「仁斎殿の策の穴を探せ。あの壮大な計画がもし一つ歯車が狂うた時、この国にどれほどの損ないをもたらすかを徹底的に洗い出すのじゃ」


そして、一月後。

再び、大坂城の評定の間が開かれた。

その場には、信長、仁斎、そして、家康。三人の空気が、他の全ての諸大名を圧倒していた。


最初に口上を述べたのは、家康だった。

彼は仁斎の策がいかに多くの危険を内包しているかを、静かに、しかし説得力のある言葉で語り始めた。船団の建造費。異国との衝突の危険性。そして、交易が失敗した時の国家財政への壊滅的な打撃。

その堅実で理路整然としたリスクの指摘に、多くの大名たちが、ごくりと喉を鳴らし、頷いた。


そして、ついに仁斎が立ち上がった。

彼は弁明も反論も一切せず、ただ、三成が広げた巨大な幾枚もの巻物を指し示した。

そこには、誰も見たことのない、無数の数字と線と図形が記されていた。

「こちらが我が策を実行した場合の、今後十年における、我が国の富の増え方にございます」

仁斎は、一本の、右肩上がりの力強い曲線を指し示した。

初年度はじめ二年目そのつぎは船団建造のため大きな出費となりまするが、三年の後より交易による莫大な利が生まれ始めます。十年後、この国の富は今の三倍となりましょう」

次に、彼は別の緩やかな曲線を指す。

「そしてこちらが、徳川様の策を実行した場合。確かに盤石。なれどその富の増え方はあまりに緩やかで、十年後、我らの富は今の一割増しに留まります」

仁斎は、諸将を、そして信長を見据えた。

「――上様。皆様。どちらの未来をお選びになりますか」


ハイリスク・ハイリターンか。

ローリスク・ローリターンか。

それは、まさに投資家としての、そして経営者としての資質を問う究極の選択だった。


広間は静まり返っている。

全ての視線が、上座に座す、織田信長、ただ一人に注がれていた。

信長はその二つの見立てをただ黙って見つめている。

やがて、その口元に、あの第六天魔王の獰猛な、そして楽しげな笑みが浮かんだ。

この国の未来を決定づける、その一言が、今、放たれようとしていた。

最後までお読みいただきありがとうございました!

少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆で評価やブックマークをいただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ローリスク、ローリターンというよりは「リスクが低く、成長率マイナス」という状況になるのでは?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ