第三十三話:黄金の茶室
誅殺計画が動き出してより、数日後。
仁斎の描いた脚本通り、茶々からの「二人きりで、一服、お茶を差し上げたい」という申し出は、豊臣秀吉の元へ届けられた。
その知らせを聞いた秀吉は、子供のようにはしゃいだという。
「おお、あの気位の高い茶々が、自らワシに茶を点てたいと申すか! よかろう、許す! ワシの、この黄金の茶室で、最高の茶会を開いてやろうぞ!」
猜疑心の強い秀吉も、己の権威に、あの織田家の姫君が、ついに心から屈したのだと、完全に思い込んでいた。その過信が彼の命運を決定づける。
『ターゲットは、こちらのオファーを完全に受諾した』
仁斎は、その報告を受け、計画の最終段階へと移行した。
彼は、自らの影響下にある城内の警備責任者を巧みに動かし、茶会当日の黄金の茶室周辺の警備担当に、一人の男を配置させることに成功した。
その男の名は、影山。与えられた役職は、茶室へ続く廊下の、警備の一人。だが、彼の真の役目は、CEOの清算を実行する、ただ一人の暗殺者だ。
茶会の前夜。
影山は月明かりも届かぬ、割り当てられた兵舎の一室で、ただ黙々と一本の短い刃を研いでいた。それは、光を鈍く反射する黒塗りの脇差。
彼の心に、恐怖も高揚もなかった。ただ、本能寺で果たせなかった、主君への忠義。その炎だけが静かに、しかし激しく燃えている。
(上様…長きお時間、お待たせいたしました。この一閃に我が全てを…)
同じ頃、仁斎は茶々の御殿を訪れていた。最後の打ち合わせのためだ。
「茶々様。明日、貴女様がお持ちのその短刀を、茶器の横に置かれた時。それが我らの合図となります」
仁斎の言葉は、いつも通り感情の温度がなかった。
茶々は、その男の顔をじっと見つめ返した。
「…貴方は、怖くないのですか。もし、しくじれば…」
それは彼女が初めて仁斎に向けた、人間的な問いだった。
仁斎は一瞬だけ遠い目をした。
「恐怖は、リスクを計算する上での、ただの変数にございます。織田信長というお方に仕えるとは、常にその変数と共に生きること」
彼は静かに言った。
「…私はとうの昔に慣れました」
そして、運命の日が訪れた。
大坂城の天守、最上階に設えられた、黄金の茶室。壁も、天井も、茶道具に至るまで全てが黄金でできているという、秀吉の権勢と欲望を象る煌びやかな密室。
仁斎は、遠く離れた自室で全ての配置が完了したことを、報告で確認していた。
茶々は、美しい打掛を纏い、侍女たちにかしずかれ、静かに茶室へと向かう。
廊下の影で警備の武士に扮した影山が、壁の染みのように気配を殺して佇んでいる。
茶室の中では、秀吉が、満面の笑みで茶々を迎えた。
「おお、茶々殿、よう参られた。ささ、一服」
秀吉は、自らが天下人であることを、心の底から楽しんでいた。彼にとって、信長の姪であり、絶世の美女である茶々が、己に傅くこの瞬間は、何物にも代えがたい、勝利の証だった。
茶々は、定められた作法通り、静かに、優雅に、茶を点てていく。
茶室には、湯の沸く、かそけき音だけが響いていた。
秀吉は、差し出された茶碗を受け取ると、その芳醇な香りを楽しみ、ゆっくりと一口茶をすする。
そして至福の表情で目を閉じた。
――時は、満ちた。
茶々は静かな所作で懐から母の形見の短刀を取り出した。
黄金の卓の上で、鈍く光る、一筋の刃。
彼女はゆっくりと、その短刀を卓上へ――。
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