第三十二話:誅殺計画
信長からの「誅殺」という二文字は、仁斎の思考を、より冷徹で、より危険な領域へと導いた。
もはや、これは経営陣の交代劇ではない。トップの首を外科手術のように、寸分の狂いもなく正確に切り取るという、究極の暗殺計画だ。
『大坂城は難攻不落の要塞だ。外部からの攻撃(敵対的TOB)では、決して落とせない。CEOの“清算”を実行するには、内部から最も脆弱な一点を突くしかない。セキュリティ・システムの僅かな、しかし致命的な脆弱性を見つけ出す』
仁斎は自室で大坂城の詳細な見取り図と、秀吉の行動記録を記した密書を睨みつけていた。
警護の武士、食事の毒見役、夜伽の相手。幾重にも張り巡らされた、完璧な防衛網。
だが、どんな堅牢なシステムにも、必ず脆弱性は存在する。
仁斎は秀吉のある一つの「癖」に目をつけた。
――茶の湯。
特に、彼が寵愛する、あの黄金の茶室でごく限られた相手と開く密やかな茶会。そこは秀吉が天下人としての鎧を脱ぎ、一人の数寄者に戻る、唯一の空間だ。
『ここしかない。この密室となった茶室こそが、我々が仕掛けるべき、唯一のディールームだ』
計画の骨子を固めた仁斎は、すぐさまこの危険なディールを実行するための「チーム」の編成に取り掛かった。
まず、仁斎は徳川家康からの返書を受け取った。
それは、文ではなく、一枚の押し葉だった。赤く染まった、紅葉の葉。
織田家の家紋の一つ、「織田瓜」に血が滲んだかのようなその不吉な葉。
『…古き主(織田家)が血を流し、そして秋のように終わる、か』
仁斎はその意図を正確に読み取った。
「我々は動かない。だが貴殿の成すことを、黙って待つ」
家康らしい、決して自らはリスクを取らぬ、しかし明確な意思表示だった。外部の筆頭株主の暗黙の支持は得た。
次に、仁斎は一人の男を京の町外れから呼び寄せた。
男の名は、影山。かつて信長に仕えた、黒母衣衆の一人。本能寺で主君を守り切れなかったことを、今も悔い、世を捨てたように生きていた、亡霊のような男だ。
仁斎は、彼にただ一言だけ告げた。
「古き主がお前を呼んでおられる」
影山の死んだ魚のようだった瞳に、初めて熱が宿った。彼は、仁斎の前に音もなくひれ伏した。最強の「実行部隊」は確保した。
そして、最後に最も重要なこの計画の成否を握る「鍵」。
仁斎は、再び茶々の御殿を訪れた。
「茶々様。貴女様にお願いしたい儀がございます」
仁斎は計画の全てを、ありのままに話した。
茶々に、関白秀吉との二人きりの茶会を開いてもらうこと。そして、その席である「合図」を送ってもらうこと。
それは下手をすれば、茶々自身の命も危うくなる、あまりに危険な役目だった。
茶々は、黙って仁斎の話を聞いていた。
そして、静かにあの母の形見の短刀に、手を伸ばした。
「…猿は、母の愛したものを、全て奪った。織田の誇りも私の家族も」
彼女は短刀を、そっと、畳の上に置いた。
「この手で引導を渡せるのなら本望です。お引き受けいたします」
その瞳には恐怖も迷いもなかった。ただ、母から受け継いだ、燃えるような誇りだけがあった。
最強の「インサイダー」が、共犯者となった瞬間だった。
仁斎は、自室に戻ると、最後の【査定】を行った。
【プロジェクト:CEO清算】
主要アセット:茶々(インサイダー)、影山(実行部隊)、徳川家康(外部支持)
成功確率:60%
リスク要因:計画の事前露見(30%)、実行時の不測の事態(10%)
『成功確率、60%。俺のディールの中では、過去、最低の数値だ』
仁斎の腹の底にこれまで感じたことのない、冷たい塊が渦巻いていた。それは、恐怖ではなかった。自らの計算が及ばぬ領域に、足を踏み入れたことへの武者震いに近い感覚だった。
『だが、やるしかない。現CEOの存在そのものがこの企業の最大のリスクなのだから』
仁斎は、茶々に茶会の申し入れを行わせるよう手配を始めた。
全ては整った。
『――黄金の茶室を、彼の墓標とする』
それは、仁斎の人生において、最もリターンが大きく、そして最もリスクの高い究極のディールだった。
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