第十九話:株式会社・日本
徳川家康の臣従により、日ノ本における大規模な軍事衝突は、事実上、終結した。
天下統一という名の、巨大なM&Aディールが完了し、豊臣秀吉は、その頂点に立つ。
だが、仁斎にとって、それはゴールではなかった。
『天下統一は、スタートラインだ。バラバラだった事業部(大名領)を統合し、全社共通のKPI(石高)と会計基準(検地)を導入する。これが、“株式会社・日本”の第一歩だ』
仁斎の主導の下、新時代の「経営方針」が、次々と打ち出されていく。
まずは、全国規模での太閤検地。これは、国全体の総資産を正確に把握するための、徹底的なデューデリジェンスに他ならない。
次に、刀狩り。農民から武器を取り上げることで、一揆という名の内部リスクを低減させ、「軍事」と「経済」の役割を明確に分離。これにより、国の生産性は飛躍的に向上する。
さらに、金銀山の直轄化と、新たな貨幣の鋳造。これは、国家による中央銀行の設立と、金融政策の掌握に等しかった。
史実をベースに仁斎がアップデートしたシステムの上で、日本は、急速に一つの巨大な企業体として、その姿を変えつつあった。
その中心地である大坂城は、日ノ本中の富と人が集まり、空前の活況を呈していた。
その日、仁斎は、天守から、活気に満ちた城下町を見下ろしていた。
背後から、派手な陣羽織を翻し、秀吉が現れる。その顔は、かつての人懐こい猿のものではなく、自信と傲慢さが入り混じった、絶対者のそれだった。
「見ろ、仁斎。ワシの町じゃ。ワシの国じゃ。見事なものだろう」
「は。関白殿下の、ご威光の賜物と存じます」
心にもない言葉を返しながら、仁斎は、秀吉の【査定】データに、新たなリスク項目が加わっているのを見ていた。
【対象:豊臣 秀吉】
負債・リスク(Liabilities & Risks):
自己評価の過剰(Overconfidence):80%
諫言への不寛容:75%
『まずい兆候だ。成功体験が、CEOの判断を曇らせ始めている』
その懸念は、すぐに現実のものとなる。
九州征伐の過程で、キリシタン大名の言動に激怒した秀吉が、突如としてバテレン追放令を発したのだ。
その一報を聞いた仁斎は、すぐさま秀吉の元へ駆けつけた。
「関白殿下! 何故、このようなことを!」
「フン。生意気な南蛮坊主どもに、灸をすえてやったまでのことよ」
「過日よりお話しました通り、彼ら南蛮人は、我らにとって、利益をもたらす商売相手にございます! 火縄銃や硝石といった、我が国の軍事を支える重要な品々を、どこから手に入れるとお考えですか! 今、世界との繋がりを断つのは、我が国の価値を、自ら切り下げるに等しい愚策です!」
仁斎の必死の説得も、今の秀吉には届かなかった。
「黙れ、仁斎!」
秀吉は、仁斎を睨みつけた。
「この日ノ本の主は、ワシだ! ワシの決めたことに、口出しは無用!」
その瞳には、かつて仁斎に向けられていた信頼の色はなく、己の意に沿わぬ者を排除しようとする、独裁者の昏い光が宿っていた。
仁斎は、それ以上の言葉を呑み込み、静かに頭を下げた。
『CEOの、感情による暴走。長久手での失敗が、全く活かされていない。彼の権力が頂点に達した今、俺の“経営顧問”としての影響力は、相対的に低下している。これは、極めて危険な兆候だ。歴史は繰り返すのか』
数日後、仁斎の懸念は、最悪の形で裏付けられる。
秀吉が、諸大名を集めた席で、こう宣言したのだ。
「日ノ本は、あまりに狭い。ワシは、海を渡り、明国を、そして天竺までも、この手に収めようと思う」
誰もが、その壮大すぎる野心に、言葉を失った。
仁斎は、一人、自室に広げた、東アジアの地図を見つめていた。
彼は、歴史を知っている。この先に待つのが、国力を疲弊させるだけの、不毛で、悲惨な戦争であることを。
『まずい。国内市場の独占に成功したCEOが、次に行うのは、海外市場への、無謀な事業拡大だ。しかも、デューデリジェンス皆無の…』
このままでは、自分が再建した「株式会社・日本」は、創業CEO自身の判断によって、破綻への道を突き進む。
もはや、この男を止められる者は、誰もいない。
いや、ただ一人を除いては。
『…潮時か』
仁斎は、静かに決断した。
『“影の会長”に、ご登場いただく時が、来たのかもしれない』
全てのディールを、根底から覆す、最後の切り札。
その名を、織田信長という。
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