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第十二話:小牧・長久手

天正十二年(1584年)三月。

羽柴秀吉は、十万を超える大軍を率いて尾張国へ進軍した。対する織田信雄・徳川家康連合軍は、その三分の一にも満たない。

戦は、始まる前から決している――誰もが、そう信じていた。


『兵力という名の運用資産額(AUM)では、こちらが圧倒的有利。だが、敵は家康という、史上最も厄介なファンドマネージャーが運用している』

仁斎は、敵の本陣が置かれた小牧山城を眺めながら、分析を進めていた。

『家康は、決して無理な攻勢には出ない。典型的な、守りを固めたバリュー株だ。こちらから攻めかかれば、こちらの資産(兵力)を無駄に消耗させるだけ。泥沼の消耗戦に引きずり込まれる』


仁斎の読み通り、家康は小牧山城に籠り、一切動かなかった。秀吉軍は、城の周囲に砦を築いて包囲し、経済的な圧力をかける持久戦の構えを取る。

だが、一月が過ぎ、二月が過ぎても、戦況は動かない。

秀吉の陣営には、次第に焦りの色が広がり始めていた。

「あのタヌキめ、いつまで穴に籠っておるつもりじゃ!」

本陣の床几しょうぎを蹴り飛ばし、秀吉が吼える。

「ワシの兵糧が尽きるのを、待っておるのか!」

巨大な軍勢の維持費は、秀吉のキャッシュフローを、日に日に圧迫していた。

「羽柴様、焦りは禁物です。これも徳川殿の策のうち。我慢比べです」

仁斎が冷静に諫めるが、勝利に慣れた秀吉の耳には、もはや届いていなかった。


そんな中、一人の武将が、秀吉に密かに策を進言した。池田恒興だ。

「秀吉様。このままでは、埒が明きませぬ。一手を放ちましょう。別動隊を編成し、家康の本拠地である三河を直接突くのです。そうすれば、家康も小牧山から出てこざるを得ますまい」

仁斎は、その策を聞いた瞬間、即座に反対した。

「なりませぬ! 敵地深くに、本隊から離れた部隊を送るのは、あまりに危険です! 徳川殿が、その動きを読んでいないはずがない!」

『ハイリスクすぎる。別動隊は、本隊との連携が切れ、サプライチェーンも脆弱になる。成功すればリターンは大きいが、失敗すれば、その損害は計り知れない。これは、レバレッジをかけすぎた、無謀なデリバティブ取引だ』


だが、焦りと苛立ちに支配された秀吉は、仁斎の言葉を振り払った。

「ええい、黙れ仁斎! 貴様のやり方では、埒が明かぬわ! この策、ワシが許可する!」

秀吉の甥である羽柴秀次を総大将に、池田恒興、森長可といった歴戦の武将を配した、二万の別動隊が編成された。

それは、仁斎のコントロールを離れた、最初の大きな意思決定だった。


そして、最悪の事態は、仁斎の予測通りに訪れた。

別動隊は、家康の巧みな情報網によってその動きを完全に察知されていた。彼らが油断して長久手の地で休息を取っていたところを、家康自らが率いる本隊が急襲したのだ。


血まみれの伝令が、秀吉の本陣に転がり込んできたのは、その日の昼過ぎだった。

「申し上げます! 別動隊は…壊滅! 池田様、森様、討ち死に! 総大将の秀次様は、かろうじて落ち延び…」

「な……に…?」

秀吉は、その場に立ち尽くした。耳から入ってくる言葉の意味が、理解できないかのように。やがて、その表情が、驚愕から、絶望へ、そして凄まじい怒りへと変わっていった。

「う、うおおおおおおおっ!」

火山が噴火するような怒号と共に、秀吉は側にあった武具を、めちゃくちゃに破壊し始めた。

それは、甥を危険に晒したことへの後悔か、己の判断ミスへの憤りか、あるいは、家康への激しい憎悪か。


仁斎は、その狂乱を、ただ無言で見つめていた。

彼の【査定】スクリーンが、無慈悲な結果を表示している。


【プロジェクト:対徳川M&A】

**ステータス:**膠着 → インシデント発生(重大な損失)

**自社(羽柴軍)資産:**戦術的優位性を喪失

**競合(徳川軍)資産:**戦略的主導権を獲得


『最悪のシナリオだ。俺の分析は正しかった。だが、CEO(秀吉)を制御できなかった。これは、俺の“経営能力”の、完全な敗北だ』

戦術的な兵力の損失は、まだ取り返せる。だが、このディールにおける主導権は、今、完全に徳川家康の手に渡った。

仁斎は、初めて、己以外の人間によって、計画プロジェクトそのものを根底から覆されるという経験をした。

彼は、小牧山の方角を睨みつけた。


『見事な、カウンターだ…徳川家康。これで、五分と五分イーブンになった』

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