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1.悪魔は囁き誘惑する

 夕方から夜にちょうど切り替わった時間。


 行き交う人が多い通りに面した、煌々とした灯りのついた建物から黒い服を来た若い女が出てきた。


 女は自分同様に黒い服を着た、年頃は成人手前に見える金髪の男に声をかけた。

「どうやら私達の支援者が居なくなってしまったみたい」


 彼女によると、財産を管理している代理人からいつもの送金がなくなった、調べたところ送金者が先月亡くなったためだと伝えられたそうだ。


 彼らは常にいつもどこかを彷徨っている旅人だ。

 その旅費のアテが亡くなった今、彼らは新たな"支援者"探しをする事になってしまった。


 さあ、次の支援者はどう調達しようかしら……と彼女はわざと困ったように考える素振りをすると、男の方がそれなら良い場所があるじゃないか、と微笑んで言った。


「ここからならそこまで遠くないし、移動も問題ないよね?」

「でも、あなたはあそこには今まで行きたがらなかったじゃない。どういう風の吹き回し?」

 彼女も微笑みながらそう尋ねると、今の僕にとっては、あそこなんてただの都市の一部に過ぎないと男は言った。


「まぁ、すっかり自信がついたようね。ふふふ……あそこなら食事にも事欠かないし、私に異議はないわ。じゃあ、馬車を借りて行きましょう」

 彼女は馬車を借り、二人はそれに乗ると御者に夜のうちにパリに着くよう急いでと頼んだ。


◆◆◆


 薔薇の館ーーー時期が来ると満開の真紅の薔薇が咲き誇り、近所ではそう呼ばれている屋敷に、青空が晴れ渡る中、簡素な馬車が到着した。

 

 馬車から降りてきたのは、質素な服を着た14歳になったばかりの少女で、少し緊張をした面持ちをしている。

 ダークブロンドの髪色にヘーゼルの瞳を持つ彼女は、玄関先で待っていたこの館の主にようこそと言って優しく迎えられた。


 玄関先には館の主である喋り方も見た目も穏やかそうなトリュフォー氏の他、彼の息子である子供達も並んでいる。


 トリュフォー氏はここパリで商業を営んでおり、そこそこ成功を治めている人物だ。


 彼女から見て、左から順に長男、次男、三男である事は同じようにふっくらとした体型と身長差でわかったが、一番右端にいる男性は他の子供と様子が異なっていた。

 痩せていて無表情の黒髪の男は一体どういう人間なのか、トリュフォー氏の説明がないと彼女はわからなかった。


 氏によると、長男はディミトリ、そして気になっていた一番右端にいた男はファビアンという名前だそうだ。


 彼らは年頃は同じ二十歳過ぎくらいに見えるのだが……双子ではなく、母親が違うそうなのだ。

 つまり、ファビアンはトリュフォー氏が愛人に産ませた子で、ここで一緒に暮らしていると言うことだ。


「まあ、細かいことは気にせず。さあ、君はうちで預かることになったのだから、しっかりマドモワゼルとしての教育を学びなさい」

 トリュフォー氏はジュリエットの背に手を当てると、中に入りたまえと言って招き入れた。


 初日こそ、彼女は親切で優しい館の主に迎え入れられ、なんと素晴らしい家に来れたのだろう。

 今までは修道院で過ごしていたが、これからはこの家で大切にされ淑女としてより優雅な作法を学び、素敵な男性の元へと嫁ぐのだ……と心を踊らせた。


 だが、その淡い期待は見事に打ち砕かれた。


 それというのも、彼女が来た翌日から穏やかだと思っていたトリュフォー氏の部屋から怒鳴り声が響くと、続いて懲罰である鞭の音が響いたのだ。


 修道院だって、いくら悪さをしたとはいえ、こんなに折檻しているのは聞いたことがない。

 彼女が廊下でびっくりしていると、部屋から出てきたのはシャツが破れ背中を打たれて痛そうにしているファビアンの姿だった。


「大丈夫ですか?!」

 思わず、ジュリエットは彼の元に駆け寄った。

 だが、彼は自分に構わないで欲しいと言ってその場を去っていってしまった。


 しかし、ファビアンが懲罰を受けたのはたまたまこの日だけのようではなかった。

 どうやらトリュフォー氏が機嫌が悪いと彼に当たり散らしているようなのだ。


 それに、これだけではない。


 初日もそうだったが、食事に関しても彼女はこの家族と同席が許されたが、彼は別室で取るようにと言われており、顔を合わす事は一度も無かったのだ。


 自分に対してはとても丁重に扱ってくれるのに、なぜ彼だけそんな酷い仕打ちをするのだろうか。

 彼女は何も言い返さない、いや言い返せないのであろうファビアンを気の毒に思っていた。


 そんなある日、散歩から戻った彼女は庭の片隅で青い小鳥が死んでいるのを見つけた。


 可哀想に。また飼い猫か野良猫にやられてしまったのかしら。やたらとここの館は鳥の死骸を見つける……

 彼女はそう思いながら、木の根元に穴を掘って小鳥をそっと埋めた。


 彼女は土で汚れてしまった手を清め、屋敷に入ろうとしていると、噴水のところで泣いているファビアンをふと見かけた。


 この屋敷では、皆、彼の事を見て見ぬ振りをするが、居た堪れなくなった彼女は思い切って彼に声をかけた。


「また、旦那様からお叱りになられたのですか?」

 彼女からそう聞かれたファビアンは泣きながら頷いた。

「いつも酷い目に合わせられてお可哀想に……私、旦那様にやめて頂くよう頼んでみます!」


 正義感からそう言ったジュリエットがその場を去ろうとしたところ、ファビアンは彼女の手を掴み、それは辞めてくれと泣きながら頼んだ。

「どうか……それは止めてほしい。父には何も言わず、他の人と同じように黙っていてくれないか」


 そう頼む彼は、父親の折檻を恐れているのかとても怯えているようだった。

「泣いていたと知られたら叱られる……また罰を受けたくないんだ。だからどうか父には……」

 ファビアンはそう言って、彼女に頭を下げた。


 彼女は何もできない自分に歯痒さを覚えつつも、自分がもし行動にでるともっと酷い目に合うのかもしれない。

 とても納得ができないが、これが彼にとっての今の最善なら、と渋々彼の希望を優先することにした。

 


 それから、ジュリエットがこの屋敷に来て一年が経過したある日の事。


 トリュフォー氏はファビアンも含めた息子達とジュリエットに向かって、機嫌が良さそうに収穫を祝うための秘密の舞踏会に行こうと提案してきた。


 この舞踏会はジュリエットのお披露目会も兼ねているようで

「ついに今まで学んできた事を実践する舞台がやってきたのだ。君の素晴らしさをぜひ他の招待客に見せて欲しい」

と、彼がジュリエットに言うと、初めて舞踏会に行けることに彼女は素直に喜んだ。

 もちろん、それにはファビアンも一緒に連れて行って貰えることも含んでいた。


 ジュリエットはこの日のために仕立てた薄ピンクの豪華なドレスを身に纏い、ファビアンらと共にパリの繁華街から少し外れた場所に位置する屋敷へと向かった。


 そして、その屋敷に到着すると出入り口で係のものから仮面が手渡されて、それをつけて中に入るようにと指示をされた。


 彼女らは階段をおりて、地下にあるホールへと向かう。

「……なんて素敵なのかしら!」

 ジュリエットは今まで話でしか聞いていなかった舞踏会の様子に、思わず目を輝かせて感嘆の声をあげた。


 暗く、質素だった修道院に比べると、本当にここは別世界だ。


 惜しげもなくところどころに施された黄金の装飾、ピカピカに磨き上げられた大理石の柱に、天井には豪華なシャンデリアが明るく輝いている。


 そして、色とりどりのドレスを着た婦人たち、楽しく笑い合う人たち……さらに皆が仮面をつけている事で浮世離れし、とてもここが現実の世界だとは彼女は信じられなかった。


 すると、今まで演奏していた曲ががらりと代わり、踊りの時間になったとトリュフォー氏が彼女に告げて、息子達のうちから誰かを選ぶようにと言った。

 

 彼女が選んだのは……もちろん、ファビアンだった。


 しかし、彼女の選択にコイツはだめだ、俺と踊れとディミトリが割り込んできた。


 だが、トリュフォー氏は彼にお前は後だと諌めると、ここは彼女の希望通りにファビアンをパートナーとして選ばせた。


 この事に、彼女は内心ホッとしていた。


 なぜならこのディミトリは、気がつくと彼女の側に寄ってきて腰を抱こうとしたり、胸のあたりを覗いていたりする事が度々あったのだ。


 彼女にとっては、それが何を意味しているかよくわかってはいなかったが、気持ちの良いものではない事は確かだった。


 ジュリエットはファビアンと共にホールの中央へ行くと、踊りのための曲が流れ始め二人は楽しそうに優雅に舞った。


 彼女はファビアンの方をみると口元を綻ばせており、楽しそうにしている彼をパートナーとして選んで本当に良かったと思っていた。


 そして、曲が終わると彼女も加えた十数人の少年、少女だけはその場に残るように言われ、ファビアンも含めた他に踊っていた人間たちは、彼女達を取り囲んでいる外の輪へ出された。


 次は一体、何が始まるのだろうか。


 彼女はにこにこしながらそう思っていると、ホールの中央の扉が開き、白い仮面をした男達が手に木の箱を持ちながら彼女たちの元へと近づいた。


「仮面を外して目を瞑るように」

 白い仮面の男からそう言われた彼女は素直にしたがって目を閉じた。するとーーー


 ガチャン


 手に冷たい金属の感触がしたと共に、鍵が締められたような音が聞こえた。何をしているのだろうか。


 まだ目を開けていいと言われてなかったのにもかかわらず、ジュリエットはゆっくりと目を開けると……


 なんと両手には黒い枷が嵌められていた。

 

◆◆◆


 パリに着いてから数日後。


 ベアトリスとラウルは、華やかな街で夜の散策を楽しんでいた。

 

 ラウルにとっては、久しぶりに訪れた故郷パリ。

 彼はなんとなく夜空を見上げた。風が少し吹いている。


 過去の事を思い出しそうで、今まで彼はパリに戻る事を嫌がっていたが、もう夜の住人として慣れてしまった現在では、ここに到着しても特に何も感じる事は無かった。


「あら……すごい匂いがするわね」

 さすがはパリ。処刑場がある市庁舎前でもないのに、風に乗ってこんな濃い血の匂いがするなんて、とベアトリスは言って妖しく笑った。


「僕たちの仲間もいそう?」

 仲間の気配がわからないラウルがそう聞くと、彼女は首を横に振った。

「いいえ。仲間はいないみたいよ……これは人間同士の話じゃないかしら」


 それなら面白いことが起きているかもしれないと言って彼は笑うと、二人は匂いの元へと向かった。


 

 彼らが着いたのは、明かりの灯っていない屋敷だった。


 警備をしている門番に

「生憎別用で遅れてしまいましたの。中に入れてもらえませんこと?」

とベアトリスは頼んだ。


 門番は、なんだこの髪まで黒い黒ずくめの女と金髪の男は……と一瞬怪訝な顔をしたが、女から目を見つめられ、再度入れてくれないかと言われると、突如無表情になり、彼らをどうぞと言って中へと通した。


「どんどん血の匂いが強まっているみたいだ」

 ラウルはそう言いながら屋敷の中に入り、さらにその匂いの元であろう下に繋がる階段を彼らが降りていくと、これはこれは……と彼らは同時に声を上げた。


 彼らの目に映ったのはーーー


 水たまりのように血が流れた床。


 まるで鳥が啄んだかのように、惨たらしい状態になった少年達と思われる残骸。


 全裸にされ、明らかに陵辱を受けた後、少年達同様に荒らされてしまった無言の少女達。


 その光景をまるで演劇でも見てるかのように楽しんでいる仮面を被って着飾った人間達。


 そして、最後の犠牲者と思われる床で泣き叫び、裸にされ髪色がダークブロンドの少女の上には、太めの男が覆い被さっていた。


 その男の行為を必死に止めようと、別の黒髪の男が言葉にならない声で叫んでいるが、彼は白い仮面の男達に押さえられ、何も手出しする事が出来なかった。


 少女の上に覆い被さっていた男は用が済むと、呼吸と衣服を整え、黒い仮面の男の元にひざまづいた。

「我が息子よ、良くやった。さあ、皆様。今宵は目の前で愛する純粋無垢な女性を犯された哀れな男の悲劇に止まりません!」


 黒い仮面の男はそう声を張り上げると、白い仮面の男が手渡した何かを持ち、もはや無抵抗で涙を流しているだけの少女に近づいた。


「君は実に素晴らしいマドモワゼルになった。君の血を我らが崇拝する侯爵へと捧げよう!」


 黒い仮面の男は、そう言って彼女の首に受け取った管のようなものを突き刺した。


 すると、突き刺した部分から徐々に血が流れ始めて、男はまるでワインを注ぐかのように流れた血を黄金で縁取ったグラスにいれると、それをグイッと飲み干したのだ。

 ゲホッと咳き込み口から大量の血が流れ、痛みと苦痛で顔を歪めている彼女の事は気に留めることもなく。


 その瞬間、周りからはわーっと歓声が上がり、自分にもその血をくれ! くれ! と他の男達が群がった。


 さらにはどこかからか、敬愛なる侯爵殿万歳! 侯爵殿万歳! とまるでミサの合唱のようにその言葉が唱えられた。


 その歓声の最中、黒い仮面の男は息子達にこう説いた。

「これが上に立つものに必要な残酷さだ、下々の事になど気を取られてはならぬ、ましてや人間扱いなど不要なだけだ」

と。


 それに対して息子達は、黒髪の男を除いて素晴らしい! お父様! と黒い仮面の男を褒め称えるのだった。



 一方ーーー


「何これ……」

 冷めた目をしたベアトリスは、彼らのしている悍ましい光景を鼻で笑った。


 彼らが叫んでいる侯爵というのは、名前から察するに、あまりの変態行為でバスティーユ牢獄に収監された例の侯爵のことだろう。

 そして、彼らはその侯爵のシンパか。

 とてもではないが自分とは趣味が合わないと不快そうな顔をして、ベアトリスはラウルに出て行こうと促した。


 しかし、この異様な光景を見てなぜかラウルは笑っている。

「まさかと思うけど、彼らに感化されてしまったの?」

 およしなさいとでも言うように、彼女が眉間にシワを寄せながらそう尋ねると、ラウルは首を横に振った。


「いや、そうじゃない。すごく、面白いものを見つけたんだ」

 ラウルはそう言って、泣き崩れて冷たい床に額をつけている黒髪の男を見つめた。


◆◆◆


 屋敷の地下で行われた、悪夢のような出来事から数日後。


 ファビアンは呆然としながら、夜の街を彷徨っていた。


 そんな彼に対して、すれ違いざまに歩いてきた、金髪で可愛らしい顔をした若い男が声を掛けた。

「もしかしてファビアン? 久しぶりだね。僕のことを覚えている?」


 ファビアンはそうだと答えたが、聞いてきた彼の事は誰だったかと思い浮かばない。


 すると、金髪の男は何年か前に同じ学校で同級生として過ごしていた事があると言ってきた。

 そうは言われたものの、ファビアンはどうもピンと来るものがなく、彼に向かって覚えていないと正直に伝えた。


「そう……まあ、それなら別にいいけど。それよりも、君、この前に地下で行われた舞踏会に参加してたよね?」

 金髪の男がそう尋ねてきた事に、ファビアンは目を見開いた。


「君もあの場にいたのか?」

「うん。そして、泣き崩れている君を見つけた。彼女は君の恋人だったの?」

 金髪の男はそう尋ねると、ファビアンはそうではないが自分に味方をしてくれた女性だったと答えた。


「そうか……それはとても悔しかっただろに。逆にあんな事をした君の父や兄弟に仕返し、いやそんな生ぬるいものではなく、殺してやりたいとは思わなかった?」


 殺すだって?! ファビアンは彼の突拍子もない言葉にとても驚き、父に対してはとてもじゃないが出来る訳がないと答えた。

「ふうん。でも、それを実行するのは君自身ではなく……悪魔が君の代わりに復讐をやってくれると言ったら? しかも、今も君はあの家で虐げられているんだろう?」


 なぜ、この金髪の男はそこまで知っているのだろうか。

 ファビアンはそう疑問に思ったが、彼は言葉を続けた。

「それに悪魔に任せれば、残忍な彼らにとって変わって、君があの家を支配して思いのままにすることだって可能だよ。使用人たちにだってバカにされずに済む」


 彼はファビアンの肩に手を置くと、君は一生このまま支配される側にいたいのかな? とさらに問うた。


「だけど、そんなに上手く行くはずは……」

 金髪の男の話は到底不可能な話にしか思えなかった。殺すと言ったってどうやって? と。

「いいや、それが可能なんだ。だって悪魔なんだから。それに、もし君が今のままなら、二度と味方になってくれる女性は現れないだろうね」


 壊れてしまったものが二度と元に戻らないように、彼女だってもう戻っては来やしないんだよ? と金髪の男は耳元で囁いた。

「でも、君があの家の主導権を握れば思いのまま……強くなった君なら、あの少女のように純粋無垢で味方になってくれる女性も自ら君の元に来てくれるだろう」


 父親に怯えて、他の兄弟にもバカにされこのままひっそりとあの家で暮らすのか。


 あるいは悪魔に身を任せ、あの家の支配者となり君臨するのか。


 さあ、どうする? と俯き、悩み始めたファビアンに向かって、金髪の男はそう声をかけた。

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