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9、逃げる化けだぬき



「痛っ……?」



 パンッという音と衝撃。

 頬をさすりながら重たい瞼を上げると、こちらをのぞき込むネムネムと目が合った。



「もう、なにやってるの!?」



 なにやってるんだっけ……?

 頭にかかったモヤが少しずつ少しずつ晴れていく。

 そして倒れる直前の出来事を思い出した瞬間、はじかれたように起き上がった。


 男の声で喋るインコ。

 俺の指を齧った“柊君”という名のハムスター。

 俺を中心に血のようなもので描かれた魔法陣。


 荒唐無稽な話だが疑う余地はない。

 白雪棺が侍らせている小動物たちは、行方不明になった魔法使いたちだ。

 素早くあたりを見回す。白雪の姿は……ない。

 チャンスだ。見つかる前にさっさと逃げよう。

 立ち上がりかけて、しかしできなかった。バランスを崩し地面に膝をつく。

 おかしい。うまく体が動かない。

 愕然とする俺の手をネムネムがつかんだ。



「ささ、ペンが持てなくなる前に」


「……えっ」



 血の気が引いていく。

 ネムネムに握らせられたペンがポロリと地面に転がる。

 そりゃあそうだ。道具を操るための器官じゃない。これは腕というより前足に近い。

 肉球、爪、毛皮――まるで四足獣のそれだ。



「ねぇ、俺いまどうなってる?」


「え? うーん」



 ネムネムは眉間にしわを寄せ、言いにくそうに呟いた。



「変身に失敗したタヌキ……かな?」




*****




 最悪だ! 最悪だ! 最悪だ!

 やっぱり魔女なんかと関わり合いになるべきじゃなかった。

 美女と野獣、兄と妹、カエルの王様……魔女ってのはすぐ人を動物に変える悪癖がある。

 しかし俺はまだギリギリ二足歩行で走ることができた。

 何度も転びながら、なんとか校舎へたどり着く。



「誰かいませんか!?」



 暗い校舎に俺の声が響き渡る。

 すぐ横で、ネムネムが慌てたように言った。



「ちょっとちょっと。エリート魔法使いの神通先生がこれくらいの呪いも解けないなんて知られて良いの?」


「うっ……」



 ダメだ。パニックで頭がうまく回らない。落ち着け、落ち着け……

 いや、本当にパニックのせいか? 腕と同じく、頭まで魔法の影響を受けているのでは?

 ダメだ全然落ち着けねぇ!

 今は呪いを解くのが最優先だ。後のことは後で考える。

 が、結論から言えば俺を助けてくれる魔法使いは見つからなかった。

 校舎には既に誰もいなかったからだ。



「アイツら生徒が行方不明だってのに本当に帰ったのかよ。クソだな!」


「あなただって昨日も一昨日も帰ったじゃない……」



 とにかくここにいても仕方がない。

 職員宿舎へ行こう。この足で行くには遠すぎるが、泣き言を言っている場合じゃない。誰でも良いから叩き起こして呪いを解かせるのだ。

 しかし俺にはそれすらできなかった。

 メルヘン小動物たち……いや、魔女の使い魔どもが大挙して校舎へ押し寄せたからである。



「ひいっ……な、なんで」


「あなたを探しにきたに決まってるでしょ」



 最悪だ。これ以上の最悪はないと思っていたが更新した。

 とにかく身を隠さなければ。

 飛び込んだ教室は、魔法実習準備室だった。

 瓶詰にされた奇々怪々な不思議生物たちの標本がガラクタと一緒に並べられている。気味は悪いが、今の俺の体を隠すには悪くない部屋かもしれない。

 そう自分に言い聞かせたその時。棚がググッと膨張した。

 ちょっとしたビルのごとくそびえたった棚が今にもゴーレムのように動き出しそうな錯覚に襲われ、尻餅をつく。

 「大丈夫?」と言いながらのぞき込んできたネムネムまで巨人のようだ。



「な、なんでデカくなってんだよ!」


「あなたが縮んだんだよ。人間には魔法が効きにくいけど、効かないわけじゃない」



 絶望。最悪の状況再更新。

 つまり、呪いは今も進行中ということだ。

 このままではいずれ本物のたぬきになり、白雪と森の仲間たちのメンバーにされてしまう。

 人間でなくなってしまうかもしれないという前代未聞の状況に、俺は当然焦っていた。

 しかし俺よりも焦っている人間……いや、悪魔がここにいる。



「このままじゃサインすらできなくなっちゃうよ! お願いだから早く契約して」



 ネムネムが半泣きになって俺の肉球にペンを押し付けてくる。

 おかげで少し冷静になった。

 冷静になって考えた結果、ここを一人で切り抜けるのは無理という結論に至った。

 俺はコイツの手を借りるしかない。



「ネムネム、取り引きしないか」



 ネムネムの顔がパアッと輝くのが分かった。

 虚空から契約書を取り出し、嬉々として差し出す。



「よ、良かったぁ。じゃあここにサインを」


「違う。契約はしない。取り引きだ。俺の頼みを聞いてくれたら何か見返りをやる。魂以外で」


「えっ、契約しないのに頼みを聞けってこと? そんな図々しいこと言う人はじめてなんですけど……」


「まぁまぁ、落ち着いて。“フット・イン・ザ・ドア”って知ってる?」


「なにそれ。たぬきのくせに偉そうに……」



 交渉術の基本中の基本だ。

 まず小さな取り引きを行うことで、次に続く大きな取り引きを承諾してもらいやすくなるというテクニック。

 例えば、急に十万円の契約を持ち掛けられても門前払いだが、「10分だけお時間ください」「今なら2週間無料で契約できます」などハードルの低い小さな取り引きを間に挟むことで本命の契約を取りやすくなる。



「つまり! 魂と引き換えに万能の力を与えるなんて馬鹿デカい契約を取りたいなら、まず小さな取り引きから始めろってことだ」


「なんだか丸め込まれている気がする」



 実際にそうなのだが、しかしネムネムは俺の提案に興味を示したようだ。



「……じゃあ一応聞きますけど、あなたは私に何をしてほしいんですか?」


「白雪が今どこにいるのか教えてほしい」



 大したことは要求できない。

 “本命の契約”前の“小さな契約”という前提が崩れてしまうからだ。

 とにかく、今優先すべきは職員宿舎へ行って呪いを解くこと。

 そのためにヤツの場所を把握し、この場所から逃げ出すのだ。


 ネムネムは不服そうにしていたが、どうやら丸め込むことに成功したらしい。

 どこか諦めたような顔で、こちらを指差した。



「うしろ」


「え?」



 ヒュッ、という風を切る音。散らばる毛。衝撃音。

 視線を落とすと、床に突き刺さったデカい刃物が見えた。なんだっけこれ。岩を砕いたりする……そうそう、ツルハシ。

 俺は床を蹴って逃げ出した。が、動物愛護団体もびっくりの蹴りで壁に叩きつけられる。

 色々と策を弄したが、なにもかも遅かったのだ。

 白雪が見下ろしている。

 小鳥が、リスが、ハムスターが。次々に教室へ雪崩れ込んでくる。

 もう逃げられない。



「なんでまだ呪いを解いていないんですか?」



 白雪が怪訝な顔で首をかしげる。

 そうだ。彼女は俺を“エリート魔法使いの神通”だと思っている。

 彼女は警戒しているのだ。俺になにか考えがあるのだと。



「君の力になりたいからだ」



 それに乗らない手はない。

 俺は優しく語りかけた。口と頭を回すのだ。回せなくなる前に。



「なんでこんなことをするんだ?」


「……嫌だったからです。みんな、しつこくつきまとってきて」


「そうか。なんで嘘つくんだ?」



 白雪が目を見開き、そしてスッと細めた。

 窓から差し込む月明りがその顔を青白く染める。

 火傷の痕があるハムスターを掌の上で転がしながら微笑んだ。



「さすがですね。先生」




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