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7、実験大失敗



「なんだよもう」


「良いの別に」



 鬱蒼と生い茂る木の陰。

 絶妙に気になる距離から爬虫類じみた緑の目を向けてくるネムネム。その声は森を抜ける風の音に紛れて消えてしまいそうなほど頼りない。



「私の契約書にはサインしないのに雇用契約書には簡単にサインしても、あの男の子に人間だってことあっさり教えても、未だに本名教えてくれなくても」


「悪魔なんだから当然じゃん……」


「はい。別に良いですう。どうせ最後には泣いて縋って私の契約書にサインすることになるんだから」


「先生ぇ! 実験中になにボーッとしてるんですか!」



 悲鳴。柊が大きなビニール袋を押さえつけている。

 中に入っているのは黒いガスだ。覗き込むと、見開かれたいくつもの目が一斉にこちらを見た。



「うわっ……こんなのが本当に使えるの?」


「ほ、箒が発達する前はゴーストの浮力を使って空を飛ぶこともあったそうですが」



 柊が目線で示したのは、地面に無造作に投げ捨てられた本。開かれたページには気球に似たイラストが載っている。一つ違うのは、バルーンの部分にいくつもの目が描かれていることだ。

 魔法使いたちの住むこの島は別に異世界というわけじゃない。地上から観測されないよう細工されてはいるらしいが、物理的に降りることは可能なはずだ。

 今回は柊と一緒にその実験を行うことにしたのだが。



「しかしこの方法はじきに廃れ――うわっ!」



 柊の説明を聞くまでもなく、この方法が廃れた理由が分かった。

 黒いモヤ――“ゴースト”がビニール袋を突き破った。

 周囲の気温が下がったみたいだ。体の芯から冷えていくような、不快な感覚。あれに触れてはいけない……知識が無くとも、それくらいは分かった。

 明らかに人と共存できるような生物ではない。



「柊君、捕まえて!」


「むむむ、無理ですって。アレに近付くと魔力を奪われ――うわぁ!」


「危ない!」



 ガス状生物の動きは速い。まるで彗星だ。腕を掴み、引き寄せた柊の脇腹をかすめながら飛んでいく。

 向かった先にあるのは、校舎。



「マズいぞ……」



 あんなのが学校内に迷い込んだらきっと大惨事だ。

 そうなればあのゴーストの出所が疑われる……。それだけは避けなくては。

 ビニール袋を拾い上げると同時に地面を蹴る。文字通り風のように行く黒いもやを追いかける。

 しかし分が悪すぎた。木々をかき分け、木の根に足を取られながら駆けなくてはいけない俺と違い、ゴーストの煙のような体は物理的障害をほとんど受けずに飛んでいく。

 俺が森を抜けた頃、ゴーストはすでに校舎にまで迫っていた。

 脇目も振らず向かっていくのは1-Aの教室。窓ガラスを隔てた向こう側には賑やかに昼休みを過ごす生徒たちでいっぱいだ。

 ダメだ。間に合わない。

 ゴーストは脇目も振らず教室の窓ガラスに突っ込み、そして。

 煙のように消えてしまった。



「あ……あれ?」


「魔除けの結界ですよ」



 追いついてきたらしい。

 柊が木々の間から顔を出した。



「実習で魔法生物を使う以上、当然安全対策はされています」


「最初に言ってよ……」


「だからこんなことやりたくなかったんですよ。ほら、シャツが破れた!」


「あー、ごめんごめ……ん!?」



 思わず二度見する。

 木にでも引っかけたか。確かに少し袖が裂けている。

 しかし俺が気になったのは服ではなくその中だ。

 裂けた袖から覗く皮膚が酷く爛れていた。



「そ、それってゴーストのせい?」


「え? ああ、これは子供の頃の怪我なので」



 傷を隠すように体をひねる。

 あまり人に見せたくないものなのだろう。

 俺は意識的に話題を変えることにした。



「やっぱゴーストはダメだよ。他にもっと良い動物ないの?」


「無茶言わないでください。ゴースト一匹でいっぱいいっぱいです」


「……柊君、最近やる気無いよね」


「え!? そ、そんなことないです。犬飼先生の飼育室の警備を知らないからそんなことが言えるんです」



 いいや、違う。

 俺はその理由を知っている。

 今、柊の感心は地上にいるまだ見ぬ女の子たちよりもっとずっと近い場所に向けられている。

 俺はゴーストの向かった先――1-Aの教室へ視線を移す。

 白雪棺の在籍するクラスだ。

 校長の言っていた“あらゆるものを惹きつける”というのは比喩表現ではない。

 今、白雪の周囲にいるのは小動物だけじゃない。休み時間のたびに他クラスからも生徒がやってきて彼女を囲むのだ。

 今も弁当を食べている彼女をたくさんの同級生たちが見ている。

 なんだか異様な光景だ。まるで動物園のよう。

 朗らかな笑顔で対応しているが、本人はストレスに感じないのだろうか?



「くそっ、悪い虫どもめ、棺ちゃんにベタベタと……もう耐えられない!」



 本人じゃないのにストレスを感じているヤツはここにいる。

 なにやら決心を固めたらしい。1-Aの教室を睨みながら、堅く握りしめた拳を振り上げた。



「きょ、今日、棺ちゃんに告白します」


「ええ? 君たちそんなに仲良かったっけ」


「図書館で運命的な出会いを果たしました」



 たったあれだけで告白? 正気かよ。

 とはいえ、チャンスが欲しいのは分かる。

 このままうかうかしていれば近付くことすらできない。

 それは俺も同じだ。結局初めて会って学校を案内して以来、彼女とは言葉も交わせていない。



「棺ちゃん……前の学校ではいろいろ苦労したらしいから、ここでは幸せに暮らして欲しいんです」


「なんか知ってんの?」


「ストーカー被害ですよ」



 やっぱりな、という言葉を飲み込む。

 可愛くて目立つ子だから、そういう系統のトラブルだろうというのは予想がついていた。

 だが一つだけ引っかかる部分がある。



「白雪さんの前の学校って、女子校だったよね? ストーカーっていうのは」


「それが、犯人は男性教師だそうですよ!」



 ぶんぶん拳を振るいながら、柊は全身で怒りを表現してみせる。



「犯行がバレるのを恐れたのか、失踪して今も見つかっていないとか。許せませんよ!」


「おお……よく知ってるね」


「ええ。ヤツから逃げるために彼女はこの学校へ転校してきたんです。可哀想に。僕が守ってあげないと」


「似た事件が起きないと良いけどな」


「僕が起こさせませんよ!」



 お前が起こしそうっつってんだよ。

 しかし困った。

 柊君がなんか絡みづらいキャラになってしまった……っていうのもだが、白雪に関心が向いているせいで俺の“頼み”へのやる気が明らかに薄らいでしまった。

 どうにかしなければ。

 ……なんて考えていたが、それどころではなくなった。

 本当に似た事件がこの学校で起きてしまったのだ。


 その日を境に柊君は姿を消した。




*****




 その事件は教師たちにも衝撃が走った。

 広いとはいえ、一つの島。人一人隠れるにはあまりに狭い。

 しかしいくら探しても柊君の痕跡は見当たらなかった。



「近隣の島にも連絡を入れましたが手がかりは掴めていません。先生方、柊君に変わった様子はありませんでしたか?」



 柊君が姿を消してから丸二日。

 数度目の緊急職員会議に集まった教師たちの顔にも疲れが滲んでいる。

 ひときわ憔悴しているのが飼育室の管理を行っている犬飼だ。自信がなさそうに背中を丸めており、小柄な体が一層小さく見える。指紋だらけの眼鏡を持ち上げ、消え入りそうな声で言った。



「その……実は飼育室からゴーストが数匹いなくなっていて。失踪の当日、柊君が飼育室のあたりをうろついていたという証言も……」



 犬飼の報告は職員一同に衝撃を与えたようだった。

 部屋のあちこちからヒソヒソと声が聞こえてくる。



「ゴーストですか。魔力と気力を奪い、人を死へ誘うと言う――」


「ちょっと、不謹慎ですよ。それに実習用のゴーストでは魔法使いの命を奪うまではできません」


「……いや、例の張り紙事件もあるし、少し不安定な子でしたから。その、もう島の中にはいないのかも」


「柊君が身投げしたとでも言うんですか!?」



 俺の声に職員室は水を打ったように静まりかえる。



「彼は変わった。夢に向かってひたすら邁進していたんです。なのに……!」


「神通先生、気持ちは分かりますが落ち着いてください」


「……失礼。取り乱しました」



 俺は校長の呼びかけにそう答えながら、彼らに背を向ける。



「神通先生! 一体どこへ」


「決まっています。柊君を探すんです」


「もうみんな限界です。今日は休んで、また朝になってから捜索しましょう」


「事故や災害の発生後、72時間を超えると生存率が急激に低下するとされています。タイムリミットは迫っているんです」



 煌々とした光の漏れる職員室を後にし、窓から差し込む月明かりを頼りに廊下を歩く。

 昼間の喧噪が嘘のように静かだ。

 聞こえるのは自分の足音と、悪魔の囁きだけ。



「罪悪感に苛まれてる?」



 闇の中に悪魔の緑の目が浮かぶ。



「ゴーストって昼間実験に使ったヤツしょ? そのせいであの男の子がいなくなったなら、あなたのせいだよね」


「お前の力があれば、どうにかできるのか?」



 立ち止まり、ネムネムに向き合う。

 その緑の目が輝くのが分かった。差し出したのは契約書とペン。浮き立つ気持ちを無理矢理抑えたような低い声で俺の質問に答える。



「もちろん。私と契約すれば簡単にあの男の子を助けてあげられる」


「……そうか」



 俺は手を伸ばし、ネムネムの額を指ではじいた。



「つまり、柊は死んでないってことだな!」


「え? え?」



 ちょっと赤くなった額を押さえながら、ネムネムは目を白黒させている。

 まだ状況が理解できていないようだ。

 俺は彼女の肩に腕を回し、キョトンとした顔を覗き込む。



「助けてあげられる……ってことは柊が生きていて、それでいて身動きが取れないような状況にあるってことだ。そうだろ?」


「あわっ」



 口元を手で押さえるが、今更そんなことをしたって仕方がない。

 半人前の悪魔に俺はありがたいアドバイスを授けた。



「弱みにつけ込むような迫り方は悪くなかったが、上手くいきかけて油断したな?」


「だ、だとしても! あなた一人の力で解決できるはずない」


「誰が一人でやるっつった?」



 柊君は本当に使える少年だ。

 手詰まりだった俺に千載一遇のチャンスをくれたのだから。



「せ、先生」



 ほら、こちらから出向くまでもない。

 正面玄関に白雪はいた。

 相変わらず賑やかな子だ。彼女の足下をリスが駆け回り、小鳥が舞っている。

 しかし月明かりに照らされているその顔は死人のように青白い。

 堅く拳を握り、ハムスターの乗った小さな肩を小刻みにふるわせている。



「柊君……本当は風邪なんかじゃないんですよね? 私、私――」


「大丈夫だ。俺が助け出してみせるから」



 白雪棺の信頼を勝ち取るついでにな!



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