6、魅惑の転校生
おなじみの図書館。
もはや嗅ぎ慣れた印刷物の匂い。
しかし本の山に埋もれるようにして座っているのは俺ではない。
柊が分厚い書物から顔を上げ、面倒そうに答えた。
「先生が人間だって分かった理由ですか? それはもちろん、魔力を感じなかったからです」
「ま、魔力……? それって、みんなに分かるもん?」
だとするとマズい。
魔力の有無など誤魔化しようがない。
が、幸いにも柊はドヤ顔で首を横に振った。
「普通はできませんよ。魔力を奪われるイジメをされてきたので、その人の現在の魔力量がなんとなく分かるようになったんです」
悲しい特技だな……
とはいえ、彼を仲間にできたのは大きかった。
本でいちいち調べずとも、彼に聞けば常識的な事柄ならばすぐに答えをもらえる。本での調べ物をするにしても、全く知識の無い俺がするよりよほど早い。
「それで、分かった? 地上へ戻る方法」
「いやぁ、それこそ悪魔の力でもなきゃ無理じゃないですかね……」
柊は苦笑しながら頭を振った。
曰く、魔法使いたちはこういった空に浮かぶ島で生活をしており、地上へ降りることなく生涯を終える者がほとんどであるという。
「僕のじいちゃんばあちゃんはハネムーンで地上へ行ったらしいんですけど、今は規制が厳しくて。よほどのコネがなければ無理だと思いますよ」
「コネ……かぁ」
絶望的だ。
この世界に足を踏み入れたばかりの俺にどんなコネがあると言うのか。
「それより、いい加減教えてくださいよ」
「……なにを」
「え、英雄になりたいんです僕は」
思わず笑っちゃうようなセリフを真剣な表情で言う。
ヒーローに憧れるのは人間も魔法使いも同じか。
「ちょっと、なに笑ってるんですか!?」
「君は魔法使いだ。鍛錬を積めば、きっと魔法が使えるようになる」
「それまでただ頑張れって? そんなの言われなくたって分かってますよ」
「そうじゃない。ここではできて当然の低級魔法でも、地上で披露すれば拍手喝采。君は一躍ヒーローだ」
柊の目が開かれる。
逡巡するように視線を動かし――そして、意を決したように口を開く。
「お、女の子は。人間の女の子は可愛いですか?」
……魔法使いと人間の寿命にどれほどの差があるのかは分からないが、見た目や言動を鑑みるに彼らの年齢は高校生と同じくらいか。思春期まっただ中。
「どんな子がタイプだ?」
「色が白くて、声が綺麗で、いい匂いがして――」
「35億」
俺は少年の肩に手を置き、重々しく言う。
「地上にいる女の数だ。そんな女、掃いて捨てるほどいるさ」
「さんじゅうごおく……」
「魔法使いはモテるぞ」
知らんけど。
しかし俺の適当な言葉は少年の心を鼓舞したようだ。
目の輝きが違う。
俺はニッコリ笑って彼の肩をポンと叩く。
「一緒に地上へ行こう。そのために、分かるな?」
「はい! 頼まれていた調べ物してきます!」
しめしめ。柊少年は本当にわかりやすくて良い子だ。
さて。俺は俺でできることをしなくてはな。
俺は通常業務を片付け、そして行動を起こした。
数少ない魔法使いの知り合いのうち、一番権力のありそうな人間の元へ向かったのだ。
が、早計だったかもしれない。
業務の報告を終え、地上への渡航について切り出すと校長は静かに顔を上げた。
「どうして地上なんかに行きたいのですか?」
「そ、それは」
「まさか――」
まずった。
軽い調子で尋ねたのだが、怪しまれてしまったか?
言い訳を頭の中に並び立てていくが、それを披露するより早く校長が口を開く。
「ロンドンの次は地上へ留学に?」
「……ええ」
校長の顔に浮かぶのは、感嘆の表情。
「あなたの知的探究心にはいつも驚かされます。今は無理でも、勤勉なあなたならいつかは地上へ行けるかもしれませんね」
「いや、勤勉だなんて」
「謙遜しないで。教師としての業務を抱えながら図書館に通われて勉強するなんてなかなかできることじゃありませんよ」
図書館通いがこんなところで効いてくるとは。
ともすれば疑われてもおかしくない行動だが、良い方に解釈してくれたらしい。
胸を撫で下ろすが、しかし信頼は時に新しい厄介ごとを運んでくる。
「やはり神通先生にお願いすべきでしょうね」
校長がそう切り出した。
「少々季節外れですが、我が校に転校生がやってきます。彼女を支えてあげてください」
支える?
転校生とはいえ一人の生徒をそこまで気にするものだろうか。
その訳について、校長はこう説明した。
「彼女は特異体質で、事件にも巻き込まれやすいの」
「事件とは?」
「……彼女は魅力的な子です。あらゆるものを惹きつける。良いものも、悪いものも」
なんとも要領を得ない答えだ。
が、追求するどころではなくなった。
視線。窓の外。窓枠に並んだ小鳥たちがつぶらな瞳をこちらに向けて歌い出す。
おかしい。なにかおかしい。
外だけじゃない。室内にもあちこちに小さな気配。
校長室を蝶が舞い、リスが走り、ウサギが跳ね、モモンガが飛び交う。
なんだここは。天国?
様変わりした校長室へ足を踏み入れた少女もまた、天使のような容貌をしていた。
「失礼します」
艷やかな黒髪にリボンのごとく生きた蝶が止まる。白く滑らかな肌をリスが駆け上がる。掲げた細い指に小鳥が止まる。
まるで歩くふれあい動物園。
なるほど、少なくとも小動物たちは彼女に惹きつけられている。
黒髪を耳にかけ、丸い目を細めて彼女は笑った。
「白雪棺です。よろしくお願いいたします」
「ちょうど良かった。今あなたの話をしていたのよ。じゃあ先生、案内して差し上げて」
冗談じゃねぇぞ。
ガキの面倒なんか見てる時間ねぇよ。
「いや……私みたいな新参者よりもっとふさわしい人間が――」
「白雪さんのお父様もあなたと同じくヘルメス先生に従事していたんですよ。ねぇ?」
校長の言葉に白雪は朗らかな笑みを浮かべる。
「ええ。今も交流があって、一昨年なんかは一緒に地上へ行ったんですよ。学術研究のためとはいえお父様たちばかりずるいです」
「ふふ。あなたも研鑽を積めばそのうちいけますよ」
「俺も行きます」
「え?」
キョトンとする白雪へ、俺は満面の笑みを向けた。
「学校の案内でしたよね? さっそく行きましょう」
コイツは利用できる!
なにやら社会的地位のありそうな、かつ地上への渡航経験のある父親とのつながりを作るのだ。上手く取り入ることができれば、案外早く地上へ戻れるかもしれない。
そのために白雪棺の信頼を勝ち取り、彼女との距離を縮める。
しかし白雪は小動物だけじゃなく人間も引き寄せるらしい。
季節外れの転校生。しかも美少女だ。
どこから漏れたか。噂は瞬く間に学校中を回ったらしい。野次馬があっという間に俺たちを取り囲んだ。
「可愛~い! お人形さんみたい」
「いえ、そんな……」
うるせぇな。これじゃ案内どころじゃない。
俺は苦笑する白雪の顔を覗き込み、囁いた。
「もう少し静かなところへ行きたくありませんか?」
「え?」
「ついてきて」
白雪の腕を掴み、階段を駆け下りる。
当然野次馬たちも追いかけてくる。が、足音が止まった。
行き場を失った野次馬たちの困惑の声が聞こえてくる。
「あれ? どこ行った?」
「おかしいな。さっきまで……」
ざわめきが少しずつ遠ざかっていく。
すぐ横でクスクスと笑い声が上がった。
「ダメダメ。気付かれるよ」
「だって。こんなに近くにいるのに。案外気付かないものなんですね」
階段下のスペースからそっと顔を出す。
野次馬の姿はすっかり見えなくなっていた。
とはいえ、また教室の方へ行けば元の木阿弥だ。
なら人気のない施設を案内すれば良い。
つまり、図書館だ。
「お気遣いいただいてありがとうございます。前の学校はもっと小さな女子校だったので……ちょっと疲れてしまいました」
「うん、そんな感じがしたからさ」
嘘だ。彼女の様子など正直あまり見ていなかった。
とはいえ好感触。
しかし、前の学校は女子校か。おっとりした振る舞いと良い、お嬢様然とした子だ。
彼女は膝の上に乗せた手を固く握りしめる。
「前の学校でもいろいろあって……ここでの生活もちょっと不安なんです」
「なにかあったの?」
朗らかな表情に、丁寧な振る舞い。問題があるようには見えないが。
俺の質問から逃げるように、白雪は視線を足下へ落とした。
「私が悪いんです。誰にでもいい顔をしてしまうから」
「……無理しなくて良いよ。なにかあればすぐ相談して。きっと力になるから」
「ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げる。
が、視線が何かを探しているのが分かった。そそくさと立ち上がる。
「あの、私、ちょっと……」
「興味を引くものがあった? 良かったら案内するよ」
「いえ、あの、お手洗いへ」
「あ、ああ失礼。そこの棚の奥」
俺の指さした方へ白雪が歩いて行く。
その背中を眺めながら、俺は頭を回した。
季節外れの転校。校長の言葉。そしてさっきの話。
間違いない。彼女にはなんらかの問題があるのだ。それを解決してやれば、きっと彼女からの信頼を勝ち取ることができる。
なにがあったんだ? 恵まれた家柄の物腰柔らかで可愛らしい少女が、転校に追いやられるほどのトラブルは――
と、そのとき。
ドサドサという音が俺の思考を中断させた。
「あ、ご、ごめんなさ」
聞き覚えのある声。
柊君だ。人間の女の子に会うため、調べ物に精を出しているらしい。感心感心。
しかし気合いを入れて本を抱えすぎたようだ。床に膝をつき、散らばった本を慌ててかき集めている。
そんな彼に本を差し出す少女が一人。
「“人間の生態と文化について”」
「あわっ……そ、それは」
白雪が長い黒髪を耳にかけ、膝をかがめて微笑んだ。
「面白そう。私も今度読んでみようかな」
本を受け取り、白雪がヤツの前から姿を消しても、柊はぼーっと突っ立ったままだった。
あまりにも見事な棒立ちだったのでもっと近くで見たくなった。
虚ろな瞳の前で手のひらを振る。
「おーい、大丈夫か? 柊くーん」
夢でも見ているような目。
だらしなく開いた口から言葉をこぼす。
「……好き」
なるほど。
彼女を襲ったトラブルがなんとなく分かった気がした。