5、焼きそばパン買ってこい
「柊君、これは――」
「誤魔化したって無駄だぞ!」
マズいマズいマズいマズい!
なにがマズいって、コイツが俺を人間だと確信をもってやっていることだ。そうじゃなきゃこんな罠の仕掛け方はしない。
嘘や言い訳なら100は思いつくが、なにを言っても聞く耳を持たないだろう。
どうしてバレた? なにかミスをおかしたか?
いや、それを考えるのは後だ。
「人間だってバレたら困るよな? 黙っていて欲しいだろ?」
その言葉に高揚感が滲んでいるのが分かった。
「まずは……そうだ、焼きそばパン買ってこいよ」
つまり彼が普段“暴力”を使ってされていることを、“脅迫”によって俺に行おうとしているのだ。
被支配者から支配者に回るのはさぞ気分が良いだろう。
魔法使いより劣った人間なら簡単に従えさせられると思っているのかもしれない。
――なら、どうにかできるかもしれない。
「魔女狩りって知ってる?」
「……は?」
たっぷり間をおいて、俺は静かに口を開いた。
できるだけ表情を変えず、鷹揚な口調で。
「一節では6万人もの魔女や魔法使いが処刑されたと言われている。君たちは人間から逃げるため、空に土地を作ったんじゃないかな」
怪訝な顔をしたまま、柊は一瞬石のように固まった。
しばらくしてみるみる顔が赤くなっていく。馬鹿にされていると気付いたようだ。
「僕なんか簡単に狩れるって……? に、人間のくせに!」
両手を振り上げ、手のひらを天に向ける。
ブツブツと唱えているのは呪文か?
手のひらが赤く燃え、そして。
ぷしゅっ、という音と黒煙をあげながら火が消えた。
「あっ……!」
この少年のことは校長から話を聞いている。
魔力はあるのに魔法を上手く扱えない劣等生。
つまり、人間である俺と条件は変わらない。いや、大人と子供の体格差を加味すればむしろ俺の方が。
みるみる青くなっていく柊の顔を覗き込む。
「いま追い詰められているのはどっちだと思う?」
「……に、人間が勝っているのは数だけだ。せいぜい逃げる準備をしておくと良い!」
捨て台詞を残し、駆け出していく。
小さくなった背中が図書館を飛び出していくのを確認し振り返ると、日だまりのような笑顔を浮かべた悪魔が契約書を差し出していた。
「なんだよ」
「とぼけないでよう。私と契約する気になったからあんな強気にいったんでしょ~?」
「んなわけないだろ」
「ええっ!? だってだって、人間だってバレちゃったのに。悪魔の力も無しにどうするつもりなの?」
ネムネムが体を仰け反らせるのを俺は無視した。
もう図書館で調べ物だなんて場合じゃない。真っ二つに破いた“無魔力生物探知機”を握りしめ、図書館を後にする。
薄暗い廊下を歩いていると、不意に悪魔が囁いた。
「私と契約すれば全知全能の神にだってなれるのに」
「ああ、知ってる。神は死んだ。女に刺されて」
「悪魔と契約しなければきっと誰にも相手にされることなく一人で死んでいた。そんなに悲しいことはないよ」
「すげー酷いこと言うじゃん……」
だが一理ある、と俺は内心で頷いた。
誰からも気にされず、取るに足らない存在として蹴散らされるのはなによりも悲しいことだろう。
それこそ、悪魔にすら縋り付きたくなるくらいに。
*****
次の日。
早めに学校へ向かったが、遅かった。
校舎のあちこちに貼られた張り紙。俺が人間であることを糾弾した内容だ。
犯人は探すまでもないし、向こうも隠す気などない。職員室前の廊下にまで張り紙を貼る柊の姿はいっそ堂々としたものだった。
「お前の正体を暴露してやったぞ!」
俺に気づくなり、勝ち誇ったようにそう宣言をする。
その声を聞きつけ、野次馬が集まってきた。無遠慮な視線が突き刺さるのを感じる。
が、俺たちを囲むようにできた野次馬の壁がサッと割れた。颯爽と現れたのはモーセではなく校長だ。
「なんの騒ぎです?」
「あの人すごく強い魔法使いだよ。バレたら絶対逃げられないよう」
静まりかえる生徒たちと反比例するように、ネムネムがにわかに騒ぎ始めた。
契約書を掲げ、俺の周りをうろちょろとする。
「今すぐ契約を! さぁ!」
「校長先生、聞いてください! みんな騙されています。コイツは人間です」
柊の主張に校長の眉がピクリと動いた。
見開いた目でこちらを見る。唇が震えているのが分かる。
俺に魔力なんてものを感じる能力は備わっていないが、それでもなんとなく分かる。凄まじい覇気のようなものを発しているのを。正体は多分、怒りだ。
彼女は次に柊に視線を移し、言った。
「先生にコイツとはなんですか」
自分が怒られていると理解するまで、数秒の時間を要したようだ。
柊はぽかんと口を開き、そして目だけをせわしなく泳がせる。
「えっ……で、でも」
「良いんです校長」
俺はすかさず二人の間に体を入れた。
そして柊の胸ポケットに手を伸ばし、一枚の紙を取り出す。
「それは……無魔力生物探知機?」
「ええ。これの誤作動で勘違いさせてしまったようで」
言いながら、俺は素早くその札をちぎってみせる。
校長は頭痛を堪えるように額へ手を当てる。
「最近よく見ると思ったら、あなたの仕業だったんですか? 許可なく魔法具を設置するのはやめなさい」
しかし柊は認めない。胸ポケットを気にしながら、必死に声を上げる。
「そ、それは俺のじゃない。ポケットにそんなもの入れてなかった!」
「なにを言っているんです。あなたのポケットから出てきたでしょう」
「それは……魔法で……」
「じゃあどちらにせよ人間の疑いは晴れたかな?」
魔法使いたちは“手品”というものに馴染みがない。そんなことをする必要がないからだろう。
無魔力生物探知機は昨日図書館で柊に仕掛けられたのを糊で繋げたものだ。しかしもう破いてしまったのでそれが露見することはない。
口をつぐみ、視線を足下に落とす柊。
黙り込む彼とは対照的に、人の話し声がさざ波のように広がっていく。
「アイツなんでこんな騒ぎおこしたの?」
「さぁ。目立ちたかったんじゃない?」
珍獣でも見るような視線。
人がどんどん集まってくる。この事件の顛末はすぐさま学校中に知れ渡ることになるだろう。なにせ柊は校舎中にあの張り紙を貼って回ったのだから。
「とにかく張り紙を剥がしなさい」
「で、でも校長先生! 本当に――」
「それ以上続けるならあなたの口を利けなくするほかありません」
心底悲しそうに呟く校長。しかし決して脅しではない。
柊が息を飲むのが分かった。俺は素早く彼の肩に手を置き、笑顔を浮かべる。
「まぁまぁ、その辺で。あとは私が指導いたしますので」
異論を唱える者はいなかった。
柊すらそうだ。ここで喚いても状況を悪くするだけだということはどんなバカでも分かる。
しかし誰もいない空き教室に入るや否やすぐに喚きだした。
「どういうことだよ! なんで魔力のないお前が魔法を使えて! 俺は……」
少しの沈黙。
やがて糸の切れた人形のようにストンと崩れ落ちる。
「なにも間違ったこと言ってないのに」
「大事なのはなにを言ったかじゃなく誰が言ったかだ」
俺は彼を椅子に座らせ、しゃがみ込んで目線を合わせる。
「お前の話なんてだれも信じない」
人間の世界のスクールカーストとは訳が違う。
この世界で魔法が使えないというのは人間扱いされないと言うこと。
それは俺より、彼の方がよく理解しているだろう。
いっそ劣等生として開き直ってしまえれば楽なのに、真面目な性格と座学の優秀さ、そして魔力量の多さという恵まれた素質からそれもできない。
別のなにかで挽回したいと足掻いたのだろうが、たった今それも失敗した。
「人間を発見して、英雄になれるとでも思ったかよ」
言いながらその顔を覗き込む。
色の失せた唇が小刻みに震えているが、口を開く様子はない。
呼吸に合わせて大きく上下している肩に、俺は手を置いた。
「なれるよ」
「……え?」
「先生を見ろ。人間なのに教師ができているだろ。魔法が使えないお前がのし上がる方法を、俺から学べるとは思わないか?」
ぽかんと口を開く柊。しかし当然、すぐ首を縦に振るようなことはしない。椅子を蹴るようにして立ち上がり、猜疑心の宿った目をこちらに向ける。
「ぼ、僕をを絆そうとしたって無駄だ!」
「バレた?」
俺は認めた。
下手に嘘を吐くよりも思惑を明かした方が信頼を得られる。
さらに言えば、彼が求めているのは救いの手ではなく“承認”だ。
「本当のことを言うと、柊君の力が必要なんだ。君が本当は誰よりも優秀だってことを俺だけは知ってるから」
“俺だけ”という部分を強調して言う。
今後、彼は嘘つきの烙印を押されることだろう。
おかしくなったイジメられっこが新任教師に言いがかりをつけたというのが大多数の認識だ。
皮肉にも、彼が嘘を吐いていないことを知っているのは当事者である俺以外にいない。
俺は柊の背中を力強く叩く。
「さ、行くぞ」
「ど、どこへ」
「焼きそばパンだよ。一緒に買いに行くぞ」
こういう孤立した人間を囲い込むのは難しくないということを、俺はカルト宗教で学んだ。
クソみたいな時間だと思ったが、学びはどこにでも転がっている。
世の中に無駄なことなどなにもないな。