4、図書館ではお静かに
この島に来て数日。
勤務開始までの間、俺は図書館にこもり本漬けの生活を送った。
人間であると絶対にバレてはいけないのだ。
情報はいくらあってもありすぎるということはない。そこの努力を惜しむべきではないと考えた。
が、努力ほど人を簡単に裏切るものはない。
『ニンゲンハッケン! ニンゲンハッケン!』
「あらあら」
俺が卒倒しそうになっているのを横目に、校長はゆったりした足取りで植え込みへ向かう。
その手ですくい上げたのは、札のようなものに絡まった鳥だ。
「そ、それは……?」
「無魔力生物探知機です。ほんの80年前くらい前まではよく戦闘機が突っ込んできたので、あちこちに設置していたんですよ」
この人何歳なんだろう……
校長がシワ一つない手で札を破ると胸をざわつかせる音が消え、鳥も元気に羽ばたいていった。
「今は人間が迷い込むことなんてまずないので設置は取りやめてるのですが。どうしてこんなところにあるのかしら」
「純粋な好奇心からお聞きするのですが、発見された人間にはどのような処理を?」
「もちろん私が記憶消去処理を行い、地上へお返しいたしましたよ」
「……怪我もなく?」
「ええ、丁重に」
朗らかな笑顔の校長を見ているうちに、別の考えが浮かんできた。
俺はこれまでの人生で嘘ばかりついてきたが、敢えて正直に話すことで活路が開くこともあるのではないか。
きちんと説明をすれば、この人なら分かってくれるかもしれない。
何より、図書館にこもって本を読むのが嫌になっていた。
「実は――」
「まぁ記憶を消しすぎて赤ちゃんのようになってしまいましたがね」
前言撤回。教師頑張るぞ〜!
ここだってそんなに悪いところではない。衣食住の世話はしてくれるし、前任の教師のデスクも与えられた。
ここで教師のフリをしながら逃げる道を模索するのだ。
「無理に決まってるよう」
しかしせっかくの決意に悪魔は水を差してくる。
俺にしか見えないのか。悪魔を連れて廊下を歩いても好奇の視線に晒されることはなかった。
「魔法使いに魔法を教えるなんて。鳥に飛び方を教えるようなものだよ」
悪魔の営業は俺が教壇に立つギリギリまで続いた。
さっきまで悪魔がうるさかったせいか、教室内は妙に静かに感じる。
揃いの制服に身を包んだ少年少女がおよそ30人。
万一ここで人間であると露呈すればまず間違いなく“詰み”だ。
なにせここにいる全員が魔法使い。俺をひねり潰すことなど容易い。
が、臆することはない。いいや、臆してはいけないのだ。
「前任の高倉先生に代わり、占星術の授業を担当します神通です」
視線は真っ直ぐ固定し、背筋はまっすぐ。余裕のある笑みを浮かべる。
穏やかなのに自信のありそうな知識階級然とした話し方や振る舞いは、以前大学教授を相手に“仕事”したとき身につけたものだ。
やや大股で足を運び、生徒たちに書類を配っていく。
「授業は今まで通り高倉先生のプリントを使って行うのでご心配なく」
前任の高倉には感謝しなければならない。
彼はカリキュラムに則ったプリントを作成し、しっかり授業スケジュールまで立てていたのだ。
『神通光』に教師の経験はなく、また赴任も急遽決まったことだ。前任教師の資料を使うのは不自然ではない。
「まさか、教材さえあればどうにかできると思ってるの……?」
困ったような声。
教卓の裏にすっぽりと体を収めたネムネムがこちらを見上げている。
ちょうどその時、生徒が挙手と同時に手を上げた。
「先生、それより課題の解説をしてくださいよ」
「……課題?」
「高倉先生がいなくなる直前の授業で出したんです」
話を聞くに、高倉は授業の最後に課題を出すことを恒例にしていたらしい。
課題はその日の授業内容を踏まえて即興で出される。よって内容はもちろん、その存在すら俺は知らなかった。
水を打ったような静けさ。
60もの目が俺の一挙手一投足をジッと見つめている。
悪魔はここぞとばかりに営業活動に打って出た。契約書をこちらに差し出す。
「一筆書くだけ。すぐに済むよ」
「……先生、どうかしたんですか?」
俺は一つ息を吐き、ネムネムへ手を伸ばす。
そして忌々しい契約書を叩き落とした。
「失礼。虫が」
俺は空を掻くように見えただろう手の動きをそう説明し、黒板に向き直る。
「これはホロスコープを使う問題ですね。つまり対象者が生まれたときの天体を導き出して――」
ペンを走らせる音が教室に満ちる。
ネムネムは教卓の下でポカンとするばかり。
次に口を開いたのは授業が無事終わった後だった。
「あのう……もしかして以前は教師の仕事をしていたんですか?」
「え? うん」
「ほえ~。どうりで妙に自信あると思いました……」
嘘に決まってんだろバカめ。
嘘を上手につくコツは本物の情報の中にそれを織り込むこと。
東洋占星術・西洋占星術はもちろん、風水、タロット、姓名判断……霊感商法をやってるときにそういうのは一通り齧った。教科書と書類があれば授業はまぁ大丈夫。
とはいえ、いつボロが出るとも限らない。
さっさとこの島を出る手段を見つけなくては。
そのためには放課後ものんびりはしていられない。
この学校の図書館を最初に見たときは驚いた。
建物の壁すべてが本棚で作られ、一生掛かっても読み切れないほどの本が並べられている。
しかし生徒からの人気はイマイチらしく、閉館間近ともなればほとんど人の気配はない。
しかしこの日、図書館へ続く廊下には珍しく人がいた。
清川とその取り巻きたちだ。
反抗的な視線と敵意が集まるのを感じる。謹慎処分を受けていると聞いていたが、もう解けたのか。
今すぐにでも逃げたいが、それでは逆効果だ。不良に絡まれなくなる一番の方法は彼らより遥かに強くなること。無理ならそのように見せること。
背筋を伸ばし、前を見て歩く。お前らなど歯牙にもかけない、という態度を全力で“演出”する。
とはいえ生理現象は止められない。
背中を汗が伝い、心音が高鳴る。
万一ここで襲われたら俺に対抗する手立てはない。
ヤツらとすれ違うその瞬間。
「……チッ」
舌打ち。ガツガツという足音が遠ざかっていく。
やはりまだ謹慎処分は解けていなかったようだ。
石化した靴と足が一体化してしまっている。
アイツらには要注意だ。この前の件で恨まれている可能性が高い。今だって足のことがなければ無事では済まなかったかも。
ましてや、人間だなんてバレたらどうなるか。
やはりうかうかとはしていられない。
図書館はやはり閑散としていた。司書の姿もなく、周囲を気にせずに作業ができる。
禁帯出の本を手に取る。
昨日読みかけていたものだ。魔法使いから見た人間について記されている。
人は自分たちと獣との違いを度々論じてきた。それは言語によるコミュニケーション能力の有無だったり、火を起こし扱えるか否かだったり、宗教や神という概念を理解できるか否かだったり。
しかし魔法使いのそれはもっと単純だ。魔法を扱えるか否か。
つまり魔法を扱えない人間という生物は、魔法使いによく似た凄く賢い猿くらいの認識らしい。めちゃくちゃ失礼な話である。
今のところ得られた情報と言えばそんなところだ。
本だけで情報を集めることへの限界も感じ始めていた。
本は欲しい情報をピンポイントで探すのが難しい。一冊読むのに時間もかかりすぎる。
しかし他に方法がないので仕方がない。
さっそく続きを読もうと栞を手にしたとき、不意に違和感を覚えた。
紙の手触りが違う。
あれ、と思った瞬間に紙が指へ巻き付いた。マズい、と思ったときには遅かった。
『ニンゲンハッ――』
聞き覚えのある警告音が途切れる。
ヤバかった。紙を破るという解除方法を知らなかったら本当に終わっていたかもしれない。
いいや、まだ安心はできない。
俺はあたりを見回す。いつの間にか姿を表していたネムネムと目があった。
「わ、私じゃありませんよ。契約のために人間を陥れるのはダメ……いや、やってる悪魔もいるかな、黒よりのグレー……でも私は誠実な悪魔なので」
なにやらごちゃごちゃと言い訳をしているが、別にネムネムを疑っているわけじゃない。
彼女がその気なら、俺を陥れる良いタイミングはもっとたくさんあったろう。
別にいるのだ。
少なくとも昨日から俺をつけ狙い、巧妙に罠を仕掛けたヤツが。
まさか清川が? いや――――
「やっぱり」
弱々しい声。
素早く振り返り、その姿を視界に収める。
見知った顔。
先日清川にイジメられていた少年、柊だ。
青白い顔に恐怖とも興奮ともつかない表情を浮かべ、震える指をこちらに向ける。
「に、人間」
……面倒なことになったぞ。