15、緊急事態
それは学生ならば一度は夢想したことのある光景だったろう。
「授業は終わりだ」
教室に暴漢が乱入。
普段澄ました顔をしている教師が狼狽え、教室は緊張と焦燥が満ちた非日常に染まる。
そんな中、休み時間を机に突っ伏して過ごす系男子が隠された能力を発揮して華麗に暴漢を撃退――なんてことになればそいつは明日からカースト逆転一躍ヒーローだ。
それを狙ったのだろう。
柊君の英雄願望には一周回って頭が下がる。
しかし現実は妄想のようには上手くいかない。
柊君渾身の右ストレートはあっさりひねり上げられ拘束。立派な人質のできあがり。
暴漢は柊君を盾にし、事件は不法侵入から立てこもりへと発展した。
「くそっ、無理にでも突入するか……」
「そんなことしたら生徒の命がどうなるか」
生徒たちは避難。教員たちも校舎外へと集まった。
魔法使いたちは人間よりずっと人口が少ない。警察のような治安維持機関もなくはないようだが、連絡一つですぐに駆けつけてくれるような便利なものではないらしい。
柊君も以前言っていたが、魔法使いの世界は弱肉強食。トラブルが起きれば自分で処理するほかない。
しかし我々教員は動けずにいた。
人質がいるから、というだけではない。
犯人が立て籠もったのは地下に位置するシェルター。
魔力を遮断する物質で作られており、外からの干渉を受け付けない。
「どうしてよりによってシェルターに。内部の人間でもないと知らないはずなのに」
「まさか内通者が――」
「今はそれを論じている暇はありません」
俺は大きめの声で周囲を牽制した。
「とにかくこの状況を打破しないと」
とはいえ、犯人の目的も謎。
無理に突入することもできず硬直状態に陥っている。
事態が動いたのはそんな時だった。
沈黙を貫いていた犯人からメッセージが届いたのである。
内容は、丸腰の職員を一人シェルターへ寄越せというものであった。
これは犯人を取り押さえるチャンス。しかし一歩間違えれば大惨事も起こしかねない危険な任務だ。
ここで重要なのは、誰がいくかということである。
色々意見は出たが、
「神通先生にお願いすべきでしょう」
という校長の鶴の一声により、俺はシェルターに足を踏み入れることとなった。
まず目に入ったのは柊君の悲痛な表情である。
椅子に縛り付けられ、口はガムテープで封じられている。確認できるのは目元だけだが、彼の絶望感は十分に伝わってきた。
ただの人間である俺が目の前にいる立てこもり犯を倒せるなんて思えないのだろう。
まぁそれは実際そのとおりだ。しかし俺と立てこもり犯が通じているとは、さすがの柊君も推理できていなかったらしい。
男は俺を見るなり軽く手を上げる。
「上手くいってるみたいだな」
「ええ」
「あとはランランの様子だ……ちょっと見てくる」
柊君がガムテープ越しにハッとするのが分かった。
男がシェルター内の別室へ行くのを確認し、俺は柊君のガムテープを取る。
彼は人質にされた生徒とは思えないほど落ち着き払っていた。
「これも先生の作戦なんですよね?」
「え?」
「もったいぶらないで教えてくださいよ。地上へ行くためにあの男を利用しようってことですか?」
「え?」
「……え? もしかしてなにも考えていないんですか?」
「なに言ってんだめっちゃくちゃ考えたよ。考えて考えて、死なないために嘘を重ねまくって、気付いたらこうなった。助けて」
もう泣きそうだった。どうしようもなかった。とにかく自分の寿命を一分でも一秒でも伸ばすのに必死で、それ以上のことを考えていられなかった。
気付いたらこの男は学校に立てこもっていて、さらに気付いたら俺も学校に乗り込まされていた。あとは気付いたら事件が解決していた、という展開を待つのみだ。もうそれしかない。
「なにやってるんですか!? アンタ賢いんじゃないのかよ」
「お前バカだろ。本当に賢いヤツは詐欺師になんかならないの」
「バカはお前だ!」
うるさいうるさい。そんな言葉聞きたくないね。
しかしもうこっからの論破は不可能。
俺はガムテープを拾い上げて物理的に柊君の口を塞いだ。
ちょうどそのとき、男が帰ってくる。目的を果たしたらしい。
「顔色が悪いな。安心しろ、ランランは元気だったぞ」
柊君が怪訝な顔でこちらを見上げた。
男が口にしたパンダみたいな名前のそれが気になったのだろう。
本当、パンダだったら良かったのにね。白黒でふわふわで可愛いし、火も噴かないし。
しかし男にとってランランは自慢のペットであるらしい。胸を張ってまったく安心できないことを言った。
「うちのドラゴンはスタミナも火力もある。この島全部を焼き払うのに半日もかからない」
もう柊君の顔を直視できなかった。
“俺も悪魔憑きを探してこの島に潜入しているがなかなか尻尾を出さない”
始まりはそんなシンプルな嘘だった。
その嘘を信じさせるためにありとあらゆる嘘を重ねに重ね、挙げ句の果てに「悪魔憑きをあぶり出すためにドラゴンに島を焼かせる」というとんでもない作戦すら立案してしまった。どうしよう。
「あ、あのう……やっぱり島を焼くってのはやりすぎじゃないですか? そこまでしなくても」
「いま悪魔が憑いているヤツより俺たちのほうがずっとヤバくて愉快な魔法使いだってことを見せつけてやるんだよ」
「いや、でも、島を焼いて本当に喜びますか……?」
「悪魔はサディストだからな」
そうなの?
俺はチラリと視線を上へ向ける。蛇のような緑の瞳と目が合った。とんでもないものに憑かれたもんだ。
こんなのと契約したがるなんて頭が沸いてる。
「お前だって悪魔の力が必要なんだろ? 約束通り、俺が契約したらおまえの妹も助けてやるから」
「ああ、まぁ……」
無論俺に妹などいない。この男を丸め込むために適当言った嘘の一つだろう。多分。
俺はもはや自分のついた嘘を把握できていない。
これ以上嘘を重ねれば整合性が取れなくなる。
幸い、このシェルターはドラゴンの炎にも耐えられる。あとはもう外の奴らがどうにかしてくれるのをここで祈るほかない……
が、さすがは柊君だ。諦め癖のついた俺などとは違う。
最後まで足掻こうという姿勢が大事な時もある。しかし今回はそれが最悪の形で発揮された。
粘着力の弱まっていたガムテープを自力で剥がし、こんなことを言い出したからだ。
「島を焼いたって、悪魔の力なんて得られない」
「……は?」
男が怪訝な顔で柊君を見る。
マズい。そう思って手を伸ばすが、人の口などそう簡単に塞ぐことができないのは俺が一番よく知ってる。
「悪魔憑きはこの人なんだから!」