13、見渡す限り敵だらけ
「復学ですか!?」
「ええ」
校長は鷹揚にうなずき、微笑みを携えながら事もなげに言う。
白雪棺の処遇についてだ。
思わず己の耳を疑った。
退学も転校も無し。謹慎処分を終え、学校へ戻るというのだから。
「彼女はまだ若い。一度の失敗で才能の芽を摘んでしまうのは惜しい」
「いや、一度の失敗ってレベルじゃ」
「あら? 先生も白雪さんの更生を信じていたのでは?」
キョトンとした顔で、校長は首をかしげてみせる。
「白雪さんが自発的に呪いを解くよう誘導したんでしょう? じゃなきゃ、先生ほどの魔法使いがあの程度の呪いを解けないはずありませんから」
「さすが先生。お見通しでしたか」
俺はしたり顔でそう言った。
そう言うしかなかった……
肩を落とし校長室を後にする。
そんな俺を嘲笑うかのように、白雪は姿を現した。
「先生っ」
思わず身構える。
端から見れば、どうして俺の腕に鳥肌が立っているのか分からないだろう。
しかし彼女は名実共に魔女だ。そして彼女の呪いを防ぐ手段を俺は持ち合わせていない。
「なんで……」
自慢の口もうまく回らない。
しかし白雪は俺の意図をくみ取ったようだ。
「校長先生から呼ばれているんです。島内でもぐらが大発生しているらしくて」
「そ、そう。まぁ頑張って」
正直なにを言っているのか分からなかったが、もう何でも良い。
俺は曖昧な笑顔を浮かべた。廊下に立ち塞がる彼女を迂回するように先へ進む。
「あ、そうそう」
すれ違いざま、白雪は呟いた。
すぐ後ろで朗らかな声がする。
「先生って、家だと独り言大きいんですね」
背筋が凍る。振り向くことができない。
俺は一目散に駆け出した。そうするしかなかった……
*****
「えっ、棺ちゃん復学したんですか!?」
「なに喜んでんだよ……」
柊の嬉々とした表情に思わずため息が出る。
覚えていないとはいえ、柊だって白雪の呪い被害者だ。怖いとは思わないのか。
尋ねると、彼は苦笑しながら呟いた。
「魔法使いは実力主義ですから。呪いをかけた方より解けなかった方が悪いんです」
いじめられっ子が言うと説得力が違う。
確かに白雪はかなり魔法が使える方であるらしい。
この部屋を見ればよくわかる。
ゴースト出現でむちゃくちゃになった実習準備室。しかし事件の形跡は全く残っていない。倒れた棚も割れた瓶詰め標本もなにもかも元通り。これも彼女の魔法によるものである。
が、ヤツが優秀であればあるほど俺は困る。
思わず頭を抱えた。
「困ったなぁ……どうしたもんか……」
「なにが困るんですか? さすがにもう呪いをかけたりはしないと思いますけど」
「……あんな事件を起こしたんだから警戒するに越したことはないだろ」
俺は咄嗟にそう言い訳をした。
白雪にどうやらつきまとわれているという話を柊にはしていない。いや、できない。
「それなら、いっそ棺ちゃんを仲間に引き入れるってのはどうですか?」
ほら、この調子だ。
柊君は自分をハムスターに変えた魔女にまだ好意を抱いているらしい。
彼女にストーカーされてるなんて知られたら敵が二人になる危険すらある。
……いや、敵ならさらにもう一人いたな。
俺がこの島に閉じ込められることになった元凶。ネムネムだ。
「そんなことできるわけないよね」
にっこにこの柊君の顔をジッと覗き込みながらネムネムが低い声で呟く。
「あの魔女が好きなのはあくまでエリート魔法使いの“神通先生”なんだから。詐欺師のクズだって分かってて一緒にいてあげるの私ぐらいだよ」
いやお前が呼んだんだろ……
しかしもちろん返事はしない。
俺以外の人間にネムネムの姿は見えず、声も聞こえない。
さっき白雪に言われた“独り言”はおそらくネムネムとの会話を目撃されたものだろう。
今はいつどこで白雪に見られているか分からない。
よって最近では家でもネムネムとの会話を避けるようになった。
そのせいか、ここのところ妙な絡み方をしてくる。
「ねぇ、あのときの約束を果たしてよ」
「……なんの話?」
柊と別れてすぐ、さっそくネムネムが妙な絡みをしてきた。
白雪もきっと今は授業を受けているはず。周りに人影はない。
俺はできるだけ唇を動かさずそう答えた。するとネムネムは不服そうに頬を膨らませる。
「あの魔女の居場所、教えてあげたでしょ。対価が欲しい」
白雪にたぬきにされかけた夜のことを言っているのだろう。
彼女から逃げるためネムネムに契約を持ちかけたが、結果的には全然役に立たなかった。
対価など一文たりとも払いたくはない。とはいえ取り引きを持ち掛けたのは俺だ。今後ネムネムに頼らざるを得なくなることもないとはいえない。
「じゃあ、なにが欲しいの?」
ネムネムがパッと顔を輝かせた。
しかしすぐには口を開かない。なにやらもじもじとして、そしてようやく一言だけ呟いた。
「爪」
爪……?
まぁ悪魔に差し出すものとして体の一部というのは定番かもしれない。
目とか心臓じゃないだけ良いか。
「分かった分かった。爪切りある?」
「うん」
ネムネムが俺の手を取り、どこから取り出したのか爪切りを近付けてくる。
ん? 爪切りにしちゃデカいな。
……いや、爪切りじゃない。
俺は慌てて手を引っ込める。
「それペンチじゃねぇか! なにすんだよ」
「爪剥がし」
「生爪!? 待ってくれよ。切ったヤツじゃダメなの?」
「それじゃあ痛くないじゃん」
「痛くしたいのか……?」
ネムネムは引っ込めた手を物欲しそうに見ながらペンチをカチカチ鳴らしている。
そうだった。そういえばコイツ悪魔だった。人間を痛めつけたいのかもしれない。
「生爪はさすがにやらん。というかお前の助言まったく役に立たなかったし」
「ケチ!」
そう吐き捨てたがネムネムは意外にもすぐに引き下がった。
そしてすかさず代替案を挙げる。
「じゃあ私とお散歩して」
「散歩……?」
「うん。歩きながら今後のことについて話したい」
生爪の次が散歩か。
要求の内容に差がありすぎて目眩がしてくる。
だが話したい事があるのは俺も同じだ。
「ああ、分かった」
俺はネムネムと共に校舎を出た。
生徒たちは授業の真っ最中。校舎の外ともなれば人気はない。ここなら静かに話ができるはずだ。
ネムネムが妙なことを言い出す前に、俺は口火を切った。
「契約って、俺とじゃないとできないのか?」
ずっと思っていたことだ。
悪魔との契約を魅力に思うやつもいるだろう。それこそ喜んで魂を差し出すヤツだって少なくない。
「地上に戻してくれたら代わりの人間を紹介する。それでどうだ?」
俺は地上へ戻りたい。ネムネムは契約者を見つけたい。
今のままではどちらの望みも叶わない。
それはネムネムにとっても本意ではないはず。
しかし返事はなかった。こちらをちらりと見たきり、背を向けてすーっと森の中を進んでいく。
俺は慌てて彼女の背中を追いかけた。
「待てよ! ――――うわ」
なにかを踏み抜く。浮遊感。
危なかった。咄嗟に伸ばした手が木の根を掴んでいなければ穴の底へ叩きつけられていただろう。
誰だこんなところに穴を掘ったのは。
……多分アイツだな。
穴の底。ピンクの鼻がチャーミングな、茶色い毛玉が見える。
もぐらだ。
ただし牛ぐらいデカい。
「えっ、なに? なに?」
「生徒たちが悪戯で巨大化させたモグラ」
ネムネムがこちらを見下ろしている。
その目ですべてを察した。
「お前……わざとここに連れてきたな……!」
声を潜めて怒鳴った。足下に潜む毛玉を刺激しないためだ。
ネムネムの狙いは明白だ。俺を危険な場所に追い込み、契約を迫る気なのだろう。
「こんなことしなくたって、もっと簡単に契約してくれるやつが――」
「あなたじゃなくても良いけど、あなたが良い」
爬虫類じみた緑の目が射貫くような視線を放っている。
動くことができなかった。蛇に睨まれたカエルはきっとこんな気持ちなのだろう。
「あなたの魂が絶対にほしい」
俺は生唾を飲み込んだ。
なんだか妙なことになってきたぞ……