12、塩で消えるものと消えないもの
「神通先生、あんた本当に強いのか?」
清川の鋭い指摘に思わず体が硬直する。
「立派な話は聞こえてくるけど、誰も魔法を使っているところを見たことがない。本当は噂ほどじゃないんじゃないか?」
大正解だ。
コイツ、見た目より賢いぞ。
「落ち着きなさい。私は教師で、君たちは生徒だ。戦う理由なんてどこにも」
「そんなもんいくらでも作ってやるよ!」
夜の校舎が明るく照らされる。またバカみてぇに火纏いやがった。
戦えだって?
右を見れば硬直している柊。
左を見ればニコニコしながら契約書を差し出すネムネム。
ダメだ。こいつらには頼れない。
「柊君は逃げなさい」
「はい! あざっす!」
ええ……
アイツ英雄になりたいとか言いながらすぐ逃げるじゃん。
「丸腰で一体どうする気ですか? このままじゃ死んじゃうかもしませんよ。でもご安心ください。私の力があればあんなの小指一本で――」
こっちは人のピンチにかこつけてマシンガンセールストーク。
本当にどいつもこいつも。
だから、自分でどうにかするほかない。
「電池君、逃がしちゃって良かったのかよ。必要になったかもしれないのに」
「なに言ってるんだ清川君。君たちもだよ。早く逃げなさい」
「……は?」
「私がなにをしにわざわざこんな時間へ学校へ来たと思ってるんだ」
炎に照らされ、3人の怪訝な顔がよく見える。
塩の入った袋を高く掲げた。俺の動きに3人が身構えるのが分かる。
「幽霊退治だよ」
清川の纏った炎が揺れる。3人の影が不気味に波打つ。
周囲の温度が下がる。得体のしれない嫌悪感に肌が粟立つ。
清川たちも明らかに動揺している。
「どうなってんだよ。退治されたんじゃなかったのか!?」
もちろんそうだ。この校舎にゴーストがいるはずはない。
たぬきにされかけたあの夜、駆け付けた職員たちによって残ったゴーストもすべて処理された。
俺がくすねたこの一体を除いて。
清川たちが俺を襲ってくる瞬間はいつか必ずやってくると分かっていた。
対策を立てておくのは当然のこと。
この暗闇の中だ。塩にヤツらの視線を集め、ビニール袋に入れていたゴーストを放すのは難しくなかった。
この一体しかくすねられなかったのが惜しまれる。
魔力を食うゴーストは魔法使いの天敵だ。
俺の感じている嫌悪感は彼らの比ではないだろう。
「なんで平然としてるんだ……!?」
「私は魔力量が多すぎてね。細かな魔力の調節が苦手なんだ。下手すれば校舎ごと君たちを消し炭にしかねない」
俺は適当なことを言った。
しかしこの状況でそれを疑う理由はない。
「力を“使えない”のではなく、“使わない”理由があるという発想を君たちは持つべきだ」
魔法使いにとって魔力を奪われるのは非常に不快なことであるらしい。
灯していた火も消え、窓から射し込む月明かりが照らし出す顔は死人のように蒼い。恐怖のあまり床に膝をつき、なすすべなく震えている。
悪ガキに説教かますには最高の環境だ。
「もう二度とこんなことはしないと約束しろ」
「分かったからコイツどうにかしてくれ!」
うんうん。怯えてる怯えてる。
コイツは意外と賢い。下手なところを見られれば俺が人間だとバレてしまいかねない。
もう二度と付きまとわれないよう念入りにやっておかねば。
「それから、花瓶も弁償してもらうからな」
「か、花瓶? なんのことだよ」
「とぼけるな。昼間のポルターガイストだよ。俺をここへおびき出すためにやったんだろ」
自分で言いながら、俺は違和感を覚えていた。
あの時間、柊は大事な小テストがあると言っていた。清川たちも同じテストを受けていたはずだ。
そんなときにあんな小細工をする暇なんてあるだろうか。
「し、知らないって! 本当に」
「俺はお前ら3人が学校に入っていくのを見かけたから追いかけただけで……ひっ」
少年たち一斉に肩をすくめる。
ゴーストが破裂霧散したからだ。
空気が軽くなり、気温が元に戻る。少年たちも動けるようになったらしい。ふらふらと立ち上がるが、恐怖はむしろ増したようだった。
3人は吐き捨てるように言いながら尻尾を巻いて逃げていく。
「ゴーストを指一本動かさずに……?」
「バケモンかよ」
……なるほど。やっぱ塩ってすごいな。
なにもしなくても、持ってるだけで魔除け効果を発揮するのか。
それにヤツら、“3人が学校に入っていくのを見かけた”なんて言っていた。確かに俺、柊、ネムネムの3人で校舎へ入ったが、ネムネムの姿は俺以外には見えないはず。
まぁ暗いから見間違えたのだろう。そうに決まっている。
幽霊なんて存在しないのだから。ゴーストはいるけど。
「ねぇ」
背後で声がする。
またクソ悪魔に違いない。またもや契約チャンスを逃した嫌がらせか?
視覚の外から声を掛けてこないようしっかり言っておかなくては。
急に暗闇で声を掛けられてビビったと思われたくない。
俺はゆったりした動きで声のほうへ振り返る。
「驚かそうったって無駄だからな。全部わかって――」
が、その時ようやく気付いた。
ネムネムが目の前にいることに。
「もう限界だよう」
ネムネムがうんざりしたように言った。
その視線は俺の背後へ向けられている。
「私のことは見えてないんだろうけど。ずっと見られているような気分になって落ち着かないよ」
どういうことだ?
ネムネムはここにいる。じゃあ俺の後ろにいるのは?
恐怖を押し殺してなんとか振り返る。
長い黒髪、青白い肌の女子生徒――噂通りの容貌。
しかし彼女は幽霊じゃない。
「すべてお見通しでしたか。さすが先生」
白雪だ。
今は謹慎中で、外出は禁じられているはず。
なにをしに来た? ……いや、まさか。
嫌な考えが脳裏をよぎる。教室、図書館、職員宿舎――幽霊の出没場所はいずれも俺の行動範囲だ。
ベッドの下から出てきた黒く長い髪の毛。清川たちの言葉。そしてネムネムの訴え。
まさか、今までずっと一緒にいたのか?
「じゃあ私の気持ちもお見通しですね?」
寒気が止まらない。歯の根が合わない。
こんな月並みなことは言いたくないが、仕方がない。
塩を撒けば消えるゴーストなんかより、人間のほうがよほど怖い。