11、肝試し
前任教師である高倉から引きついだのは占星術の授業だけではない。
職員宿舎3階に位置する俺の部屋。
使っている家具や生活雑貨のほとんどがこの部屋の元主である高倉の残したものだ。
いったいどんな訳があってこんな夜逃げみたいな引っ越しをしたのかは知らないが、おかげで俺は無一文だった割に人間らしい生活が送れている。
とはいえ、この置き土産はいただけない。
ベッドの下から出てきた長い髪の毛に、俺は何とも言えない嫌な感覚を覚えた。
「高倉先生ですか? いや、短髪の男性でしたけど」
高倉の元教え子である柊君は、彼の容貌についてそう説明をした。
なるほど、つまりあの髪の毛は高倉本人のものではないらしい。
「女でも連れ込んでたかな……」
「え? なんの話です?」
「いや、それより柊君。掃除に健康増進効果があるという有名な研究を知っているかね?」
「ええ……? 本当になんの話……?」
困惑する柊。
呪いでハムスターにさせられたものの、怪我がないのは幸いだった。
呪いが解けた今は愛らしいヒゲもふわふわの体毛もすっかり消え失せている。体は小さいがそれは元々だ。
ほかの被害者たちも同様、呪いが解けて人の体を取り戻した。
白雪はひとまず謹慎処分となっている。まぁ普通に考えて退学か、少なくとも転校になるだろう。
意中の相手に人間性を奪われるという衝撃の体験をした柊君だったが、想像以上に彼は元気だった。ハムスターにされたときの記憶がないのは彼にとって幸せなことだったろう。
むしろ白雪に向いていた情熱を別のところに向けられるようになったらしい。
つまり、柊君に英雄願望が復活した。
「そんなことより! 今、密かに校内を騒がせている幽霊騒ぎはご存知ですか?」
「あぁ? なんだそれ」
「あの事件以来、見たって人が何人もいるんです。黒い髪の女の影を」
柊は目を輝かせながら嬉々として怪談話を始めた。
曰く、教室、図書館、職員室、果てには教職員の宿舎にまで出るらしい。それも複数人が目撃しており、特徴も一致している。
「僕が盗んだゴーストは一体……でも実習室から消えた数はもっと多い。なら、学校にまだ潜んでいるヤツがいるのかもしれません」
「あー、そうだっけ?」
「僕らでこの事件を解決しましょう!」
やっぱりそう来たか。柊君の悪いところが出た。
勝手にやってろと吐き捨てたいところだが、しかし今の俺の職業は教師。
頭ごなしに否定はしない。この情熱をやんわりと正しい場所に向けてやるのだ。
「それは良いな。ところで、掃除が除霊に役立つという有名な説を知っているか? ちょうどうちの排水溝が」
「また僕に雑用させようとして……こっちは真面目に言っているのに!」
「俺だって真面目に言ってる。膝をついて頭を下げ排水溝を掃除するあの動き、なにかに似ていないか? そう、除霊だ――」
あと一歩で柊君を丸め込めるというところまでいったが、残念ながら時間切れに終わった。
縛り付けて掃除の尊さを説きたいのは山々だが、そういうわけにもいかない。次の薬草学の授業では大事な小テストがあるという。
しぶしぶ柊と別れて職員室へ向かうと、小柄な女が声をかけてきた。
「あの、先日はありがとうございました」
飼育室の管理担当、犬飼だ。
あの事件の、ある意味では一番の被害者。
ゴーストが逃げ出したせいで責任問題になりかけたのだから。
「先生がゴーストを退治してくださらなかったらどうなっていたか」
「いえ、私にかかればどうということはありません。まぁ、ゴーストにしてはなかなか手ごたえがありましたが」
まぁ俺が退治したわけじゃないし、なんなら柊は俺の指示でゴーストを盗み出したわけだが、礼は素直に受け取る主義だ。
が、犬飼は礼をしにきただけではないらしい。
「……では、やはり先生も気付いておられましたか」
「ええ」
ええ?
よく分らんが、とりあえずうなずいておく。
嫌な予感がする。きょろきょろとあたりを見回しここから逃げる言い訳を考えるが、間に合わなかった。
「お察しの通り、魔法実習室で暴れたゴーストは明らかに人の手が加えられたものです。実習用のゴーストにあんな力は出せません」
「おっしゃる通りです」
「それに加えて生徒たちの間に広がっている幽霊騒動……なにか嫌な予感がするんです」
俺も嫌な予感がしている……
犬飼は分厚い眼鏡を押し上げ、上目遣いに俺を見た。
「そこで、神通先生にぜひ力を貸していただきたいんですが」
ほらきた!
ふざけるなよ。俺に貸せる力なんかねぇよ。無力な一般人だぞ。
俺は面倒ごとから逃れるために必死に頭を回した。
「でも先生。ゴーストは確かにあのとき倒しましたし、これ以上何かやる必要は」
「しかし実際に怖がっている生徒がいるんです。ゴーストは魔法使いの天敵ですから」
「なら必要なのは私ではなく専門家のカウンセリング――」
それ以上言い訳を口にすることはできなかった。いや、そもそも彼女は最初から俺の言葉に耳を貸す気なんかなかったのだ。
犬飼は俺の手を取った。恐ろしく硬い意志を感じる視線。そして根拠のない自信に溢れた言葉。
「先生が見回りをやって下されば、生徒たちも安心するはずです。一晩で良いので」
こりゃあ崩すのは骨が折れそうだ。
しかしできなくはない。俺は唇を舐め、本腰を入れた――いや、入れようとしたその時だった。
はじめは地震だと思った。俺が体験したことのあるものの中ではそれが一番似ていたから。
花瓶が割れ、書類が舞い、灯りがチラチラと瞬く。しかし地面は全く揺れていない。
直感で分かった。地震なんかじゃない。なにかもっととんでもない事が起きている。
「――撤回します」
犬飼は肩をすくめ、鳥肌の立った腕をさすりながら呟く。
「一晩では済まないかもしれません」
*****
「なーんだ、結局来てくれたんですね」
闇夜の校舎に柊の嬉しそうな声だけが響く。
俺はそのあとをトボトボ続きながら吐き捨てるように言った。
「幽霊なんているわけないだろ。あんなもん目の錯覚と思い込みだよ」
「へぇ?」
柊はこちらを振り返り、ニヤニヤと指を指す。
「じゃあそれはなんですか?」
「塩」
「そっちは?」
「十字架」
「準備万端じゃないですかぁ」
気楽なもんだ。
昼間のポルターガイストについて柊には教えていないから無理もないが。
まぁ恐らくなんらかのトリックだろう。
くまなく調べてなんの痕跡も見つけられなかったが、トリックに決まってる。
幽霊などいるはずがないのだから。
「ねぇ……」
「あああああぁぁぁッ!!」
俺は振り向きざま塩を浴びせかけた。
暗闇に浮かんだ緑の眼が瞬く。塩まみれなったネムネムが悲鳴を上げた。
「なにすんの!?」
「先生、大丈夫ですか?」
突然の行動に柊がぎょっとしている。
ネムネムが見えない彼には俺が急に奇行に走ったように見えたに違いない。
俺はスッと表情を整え、冷静を装った。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花ってね。暗闇ではなんてことないものが恐ろしく感じたりするんだ」
「そ、そう……ですよね」
柊が目をこする。
何度かそうして、やがて暗闇を指さした。
「あれも気のせいですよね」
闇夜に浮かぶシルエット。
足音が徐々に大きくなってくる。
思わず卒倒しそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。
窓から差し込む月明かりが浮かび上がらせたその正体は、噂とはずいぶんと違ったものだったからだ。
柊と同じ制服を纏った、大柄な少年たち3人。謹慎処分は解けたらしい。足元の石化が解けている。
「清川……」
柊君が小動物のように体を縮こめて俺の背中に隠れる。
俺は思い出していた。
心霊スポットで本当に怖いのは幽霊じゃなくヤンキーだということに。
「リベンジマッチだ」