10、棺
「しつこくつきまとってきた嫌いなヤツなら、そんな風に自分の周りに侍らせたりするはずがない」
「先生はなんでもご存じですね」
指に止めた小鳥の背を白雪は愛おしそうに撫でる。
チラリと見たその目には、こちらの様子を窺うような素振りがあった。
「じゃあやっぱり先生も私の心臓が欲しいんでしょう?」
……えっ、えっ? なんの話?
俺のこと猟奇殺人鬼だとでも思っているのか?
いや、まさかマジの心臓のことを言っているのではあるまい。だとするとなんかの隠語か?
いずれにせよ、間抜けにも「どういう意味ですか?」なんて聞けない。
ど、どうする? どうすれば。
「ねぇ、そうなんでしょう?」
「だとしたら、どうする?」
目的を忘れてはいけない。
今大事なのはこの質問に上手く答えることよりも、白雪をビビらせることだ。とにかくあのツルハシをこれ以上使わせたくない。
なのでとりあえず強キャラ感を出すことにした。
その選択が良かったのか悪かったのかはよく分からない。
「……やっぱり」
ただ、白雪はその死人のような青白い顔に落胆の表情を浮かべた。
「昔、あなたと同じような人がいました。優しくて魅力的で、すごく素敵な人だった」
なんだ……?
なにか語りが始まったぞ。
しかしチャンスだ。この時間を利用し、なにか策を考える。
「先生ならもうお察しでしょうが、私は他者の魔力を増幅し引き出すことができます。私に近付くと気分が高揚し、それを恋や友情と勘違いした人たちが集まってくる」
俺は白雪の独白を聞きながらも必死に頭を回す。
ネムネムは……部屋の隅でじっと俺を見つめている。契約するか? いいや、この状況でペンを持ってサインなどできるはずもない。
魔法実習準備室にはたくさんの魔法生物の瓶詰め標本や剥製が並べられているが、方々から集まってきた白雪の使い魔たちはその数を上回る。
あれが全部人間だなんて、信じられない。
「この力を狙う者に攫われかけたことは一度や二度じゃありません。お陰で私は人里離れた森の中で孤独な幼少期を過ごしました。唯一友人のように接してくれたのは、年の近いメイドだけ。私は彼女を姉のように慕っていたんです」
白雪はそう言って、肩に乗っていたリスを手元に引き寄せた。
落ち着かないのだろう。震える手でリスを撫でる。
つまり、ツルハシから手を離した。
「でもそう思っていたのは私だけ。彼女は最初から私の能力が目当てでした」
いけるか? いや、ツルハシを奪うのは無理だ。今の俺の身長は白雪の半分程度。ツルハシなんか持ち上げられない。
チラリと自分の手を見る。たぬきはイヌ科の雑食獣だ。一応ちょっとした爪と牙はある。
……いや、無理に決まっている。相手がネズミならともかく、この体格差を覆して人間に勝つことなどできない。
「彼女は私の大好物だったアップルパイに毒を盛りました。眠らせて、私の能力の源である心臓を奪おうとしたんです」
えっ、心臓?
さっきの質問……心臓を狙ってるのか、ってまさかそのままの意味だったのか?
ど、どうしよう。「だとしたら、どうする?」なんてイキッた返答をしてしまった。あれじゃあ完全に猟奇殺人鬼じゃないか。失敗した。
が、それにしては白雪の反応は薄かった。落胆こそしていたが、そんなの慣れているとばかりだ。
いや、本当に慣れているのかもしれない。
唯一信頼していたメイドに裏切られたという大きすぎる衝撃により、彼女の心は麻痺してしまったのだ。
「幸いにも別の使用人が気付き、こうして今も生きていますが……それから私は人が怖くなりました。どんなに優しく接してくれても、腹の底ではなにを考えているか分からない。でもひとりぼっちはもっと怖い。だから――」
そう言って、白雪は握りこんだリスを高く高く掲げた。
まるで親に買ってもらったぬいぐるみを自慢するみたいに。
「無害で可愛い存在に変えてあげたんです!」
嫌っているなんて大嘘つきやがって。
白雪は愉快な森の動物たちのことをとても大事にしている。
常に身の回りに置くためか、小鳥やリスなど小動物がほとんどだ。
つまり、俺でも捕れる。
「安心してください。先生のことも――」
俺は床を蹴った。
驚くほど体が軽い。
狙いはリスか、小鳥か。なんでも良い。使い魔を捕らえ、人質とする。
良いアイデアだと思った。もうこれしかない。
が、ダメだった。
白雪は動物を飼うことに慣れている。それこそ、飛んでいる小鳥を素手で捕まえられるくらい。
どんくさいたぬきの捕獲など造作もない。
「ちゃんと可愛がってあげますから」
いともたやすく俺を捕獲した白雪はこちらを見降ろしニッコリ微笑む。
しかし予想外はそれだけではなかった。
――白雪はあらゆるものを引き寄せる。
それは人間や小動物ばかりではない。
今回引き寄せたのは、もっとずっと厄介なものだった。
小動物たちが悲鳴のような声を上げて逃げ惑う。周囲の温度がぐっと下がる。
教室に立ちこめる黒いもや。見覚えがあるものだ。しかし昼間見たそれとは比べものにならないほどデカい。そして、その力も。
「ゴースト!?」
瞬間、白雪の足が床を薄氷のように踏み抜いた。
これもゴーストの力か?
……いや。
「みんな、逃げて!」
白雪が声を上げる。
ゴーストから逃るため咄嗟に魔法を使ったのだ。
が、代償も大きかった。床の瓦礫や、棚、魔法生物の標本、そして俺たち自身も下層へと叩きつけられる。
衝撃。瓦礫の降り注ぐ轟音。視界が暗くなる。
とうとう死んだかと思ったが、どうやら運はまだ俺に味方している。
瓦礫の空間に上手く収まり、下敷きになることを免れたのだ。まぁ悪く言えば生き埋めだが、死に埋めよりはずっとマシだ。
怪我もない。呪いが進行しているのが今回はプラスに働いた。体が軽かったお陰で衝撃が少なく済んだのだろう。
むしろ、一番被害が大きかったのは。
「……うう」
白雪がうめき声を上げる。
その下半身は瓦礫の隙間に挟まり、身動きが取れないようだ。
しかし彼女は気丈にも笑顔を浮かべてみせる。
「ああいうのも惹きつけちゃうんです。先生でもさすがに一人じゃ倒せませんよ」
「とにかく今は逃げるんだ。魔法で瓦礫を除去できるか?」
「ふふ、意地悪で言ってるんですか?」
白雪を心配そうに覗き込んでいたリスが、ハッとしたように辺りを見回す。
瞬間、ぐらりと地面が揺れる。俺の全身を覆う毛が逆立つのを感じる。
ゴーストだ。
本能的恐怖を感じたか。リスは弾かれたように瓦礫の隙間から逃げていった。
「もうあの子たちを惹きつける魔力すら残っていません。結局、この体質がなければ私なんかには誰も寄りつかない」
ゴーストは魔法使いから魔力と気力を奪う。
白雪の顔色は死人のように青白く、その瞳はどこまでも続く洞穴のよう。
「体は助かりましたが、私の心はあのとき既に死にました。気に病むことはありません。先生もどうぞ逃げてください」
ゴーストの狙いは白雪だ。魔力の無い俺をわざわざ襲っては来ないはず。
それに、この体なら無理矢理押し込めば瓦礫の隙間から逃げられるかもしれない。
正直今すぐにでも逃げたい……がそれでは呪いが解けないままだ。
そうこうしているうちにまた体が縮んだ。これじゃあ職員宿舎にたどり着く前に完全にたぬきになるだろう。
「なにやってるんですか?」
「君を助けたい」
俺は白雪を拘束する瓦礫を掻き分けながら答える。
少しの沈黙。しかし納得がいったように声を上げる。
「……そうでした。先生は私の心臓が目当てでしたね。そんな回りくどいことしなくても、今なら簡単に手に入りますよ」
「は!? ……あぁ」
そういえば、手違いで心臓を狙ってる猟奇サイコパス野郎だと思われているんだった。
このままでは信用されるはずもないし、呪いだって解いてもらえないだろう。
とはいえ「まさかマジの心臓とは思わなくて……」なんてダサい言い訳するわけにはいかない。
どんどん小さく毛深くなっていく体、瓦礫の隙間から漏れ出る冷気、進まない瓦礫撤去。
酷い焦燥の中、咄嗟に出た言い訳だった。
「心臓っていうのは、ハートって意味だ」
「……ハート?」
「そう。君の心がほしかった」
それはあながち嘘じゃない。
信頼を勝ち取り、父君とお近づきになるのが当初の目的だったのだから。
しかし、どうやらそういう解釈はされなかった。
「私の……心……?」
ゴーストが現れても生き埋めにされても動じなかった白雪に見えた初めての動揺だった。
「じゃあ、先生は私の体質に引き寄せられたわけでも、私の心臓を狙っていたわけでもなく……」
「ああ、そうだよ! 全部、ただお前自身のためにやってんだ。だから協力してくれ」
白雪の死人のように青白い顔にほんのり色がつくのが分かった。
目の前の瓦礫をぼんやりと眺め、そして胸に手を当てた。
「死んだと思っていたのにな」
なにのんきに言ってんだ。今、まさに死のうとしてんだよ!
俺は唇を噛み、情けない悲鳴をなんとか飲み込む。
瓦礫の向こうでゴーストが猛攻を仕掛けてきたに違いない。
揺れは酷くなるばかり。爆発音のようなものまで聞こえてくる始末だ。どうやってゴーストが爆発音なんて出すんだよ。ラップ音?
そしてとうとうゴーストの攻撃による被害は瓦礫の中にまで及んだ。
揺れにより、瓦礫たちの微妙なバランスが崩れたのだ。
棚が落ちてくる。棚とは言っても今の俺にはビルのごとくデカい。そしてこの狭い空間に逃げ場など無い。
「うわあああッ!?」
俺は咄嗟に手を伸ばした。俺のたぬき腕なんかで支えられるはずないと分かっていたが、そうせずにはいられなかった。
腕にずっしりした衝撃を感じる。
……が、それだけだった。腕が折れることも、棚に体を潰されることもない。
ゆっくりと目を開ける。棚は目の前にあった。なんのことはない、普通の棚だ。そしてそれを支える、俺の手。5本の長い指があり、肉球のなくなった、おなじみの“人間の手”だ。
つまり、呪いが解けた。
「あなたが私を生き返らせてくれました」
こちらを見上げながら、白雪がそう呟く。
そしてどうやら呪いが解けたのは俺だけではなかったらしい。
瓦礫の隙間から人の目が覗いた。ゴーストのものではない。そして騒がしい声が響く。
「見えた。いたぞ!」
「大丈夫か!?」
たくさんの人の気配。
瓦礫がどんどんとどかされ、やがて見覚えのある声とともに瓦礫の隙間から手が伸びてきた。
「先生! 無事ですか!?」
柊君だ。
俺は安堵に胸をなで下ろす。
どうやら、森の愉快な動物たちは解散の運びとなりそうである。