1、救世幸福教教祖補佐
子供の頃はマジシャンになりたかったが、残念ながら夢は叶わなかった。
今の仕事は幸福と奇跡を作ることだ。
具体的に言うとカルト宗教の教祖補佐。エンターテイナーという点ではマジシャンと同じだな。
そこそこうまくいっていたと思う。
今日、この日。嘘で塗り固めた砂上の楼閣が炎に包まれるまでは。
「ねぇ補佐様。教祖様はどこ?」
「地獄」
「え?」
おっと。願望が漏れ出てしまった。
キョトンとしてこちらを見上げる子供に、俺は笑顔を向ける。
「“とおく”。遠くって言ったんだ。教祖様はきっと遠くて安全なところに逃げているよ」
もちろん嘘だ。
思えば嘘ばかり吐いてきた。
その集大成がこの教団。救世幸福教。
俺の嘘は、なんの取り柄もない中年男を神様にしてしまった。いよいよ笑うしかない。
無事に外へ出られたのは不幸中の幸いだった。
「ここまでくれば大丈夫だ。お前はみんなのとこへ行け。屋敷の中へはもう入るなよ」
「い……嫌だ! 補佐様も一緒にいこうよ」
俺は虚空から花を取り出し、駄々をこねる子供に渡す。
簡単な手品だ。
しかし侮るなかれ。使い方を工夫すれば無能な中年男を神に仕立てることもできる。
「俺には教祖様から頂いた奇跡の力があるから大丈夫。さぁ、みんなのところへ行って」
子供の背中を見送り、踵を返す。
ここはもうダメだ。何もかも終わり。それもこれも教祖――山寺のせいだ。
信者に手を出しまくり。刃傷沙汰の挙句、誰かが屋敷に火を放ったらしい。
とりあえず信者たちの避難は終えた。あとのことはもう知らん。面倒に巻き込まれる前に、とっととずらかるとしよう。
が、ダメだった。
視界の端に捉えてしまった。煙の向こう。小さな人影が見えた。逃げ遅れた人間がいるのだ。
「誰か避難してない子供はいるか!?」
「み……みずきちゃん。みずきちゃんがいないよ!」
煙の中は視界が悪く、慣れた場所でも迷うことがあるという。パニック状態の子供ならなおさら。このままだと焼け死ぬ。数秒の逡巡ののち、俺は屋敷の中へ舞い戻った。
「こっちだ! 出口はこっちだぞ!」
「うう」
煙の中、聞き覚えのあるうめき声が聞こえてきた。
オットセイかと思ったが、近付いてみると肥えた中年の男だった。
「テメェ山寺! こんなとこにいやがったのか」
「うあっ……ほ、補佐官殿……」
見つけたら蹴り上げてやろうと思っていたが、やめた。
山寺は既に満身創痍だった。
あちこち傷だらけ。這いまわった床にはナメクジのように血のあとが続いている。
そんな状態なのに、俺を見るなりまだ逃げようとしやがる。
「まだだ。まだ終わらないよ」
「なに言ってんだ、もう終わりだよ。全部お前のせいだぞ」
「渡さない……魂は……こんな終わり嫌だ……」
「魂ぃ? お前の薄汚ぇ魂なんかいるかよ!」
というか、こんなことしている場合じゃない。
こんなバカは焼け死のうがどうしようが勝手にしたら良いと思う。
しかし子供は別だ。バカな親に連れられてこんなくだらない場所にやってきた子供たちの命くらいは守らなくてはならない。
「出口はあっちだ。行くなら勝手に行け。俺はみずきを探――」
しかしその必要はなくなった。
俺の指さしたその先。玄関へ続く廊下の前に少女が立っていた。
「みずき! なにやってんだ」
こちらへ歩いてくるみずきを受け止めるため両手を広げる。
が、みずきは俺の体をすり抜けていった。避けたのではない。すり抜けた。まるで幽霊のように。
俺も煙を吸いすぎたのかもしれない。幻覚が見えてきた。
早く逃げないとやばい。本能が警鐘をならしている。きっと火事のせいってだけじゃない。
「そんなヤツ放っておいていこう。お父さんとお母さんも心配してる」
山寺の元へ歩いていくみずきの背中にそう呼びかける。
言いながら、ふいに疑問が浮かんできた。
みずきの父親と母親は誰だった?
教団に在籍している子供は、信者の娘や息子たちだ。子供一人で入信したなんて話は聞かないから、絶対に教団内に親がいるはずだ。いるはず、なんだが。
「み、みずき……?」
「契約期間は終了だ」
あどけない声。しかし子供らしからぬ無機質な口調。
その足元では死にかけのセミのように山寺がもがいている。
「い、嫌だ。そうだ。契約。契約の延長を」
「無能なお前を肯定し付き従う信者、美しい女たち、優秀な詐欺師の補佐。お前の力では到底手に入れることのできないあらゆるものを与えた。対価はお前のすべて」
火の手が迫る。この場所に蔓延るあらゆる悪しきものを燃やしていく。
その熱さが俺を正気に戻してくれたのかもしれない。
頭にかかったモヤが晴れていくようだった。
俺はどうしてこんなところで、こんなバカな人間の補佐なんて仕事をしていたんだ?
「さぁ、支払いの時間だ」
みずきの瞳が、爬虫類のそれのように金色に輝いて見えた。
炎が渦を巻き、二人を包む。地面が揺れ、腐敗臭が鼻を突き、そしてこの世のものとは思えない悲鳴が上がる。
あまりの不快感に眩暈を覚える。たまらず地面に倒れ伏した。
気付いた時には、山寺の姿は消えていた。ただ、床に残った人型の黒いシミだけが炎に赤々と照らされている。
しかしみずきの姿はまだそこにあった。
どうやら、まだ仕事が残っているらしい。その金色の瞳をこちらに向ける。
「助けてほしいか?」
足に鈍い痛み。さきほどの衝撃で天井の一部が落ちてきたらしい。直撃は免れたが、足が瓦礫に挟まって動けない。
炎が肌を舐める。煙がのどを焼く。
目の前には炎に照らされた契約書。
「私の力があれば、今すぐに死ぬことはない」
「君は――」
喉が焼けるように痛むが、せき込まずに喋ることができた。
教団に入る前にもさんざん幸運のツボだのなんだのを売ってきたが、正直そういったオカルトじみたものは信じていなかった。今、この瞬間までは。
「悪魔か?」
「話が早くて助かる。さぁここにサインを」
古今東西、悪魔と契約して良い結末を迎えた人間はいない。
今まさにその結末を見たばかりだ。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
「い……」
「い?」
「嫌だーッ!!」
俺は叫んだ。ふざけるなと思った。
悪魔との契約が、じゃない。いや、それもあるけど。
俺が気に食わないのは悪魔にここまでしてやられたことだ。
俺がくだらない男の下で働く羽目になったのはこの悪魔に操られていたから。ついでに言えばこの火事も、この瓦礫が落ちることになった揺れも、全部悪魔のせい。
にもかかわらず、助けてほしければ契約しろ?
こんなの詐欺じゃないか。
人を陥れて契約を迫るのはなにも悪魔の専売特許ではない。
俺は必死になって口を回した。
「俺はもうすでに悪魔との契約を終えている。残念だったな、売約済みだ」
俺は皮膚を炙る炎に耐え、笑みを浮かべてみせる。
悪魔と違い、人間は超常現象じみた力抜きで人間を騙してきたんだ。
騙しの能力なら人間のほうが長けている。
「魂を横取りしようだなんて知られたら不味いんじゃないのか? 黙っていてやるからこの瓦礫を――」
「どうしてそんな嘘を吐くんだ?」
息が止まる。心臓が脈打つ。
キョトンとして、悪魔は首を傾げた。なぜそんなことを言っているのか本当にわからないといった感じだ。
しかしやがて納得したように手を打つ。
「そうか。私を騙して助かろうとしたのか。さすがは詐欺師だな」
「よし、契約する。不老不死。不老不死だ!」
「ダメだ。お前とは契約しない。たった今そう決めた」
少女が無感情に言い放つ。
炎に包まれていく。燃えるように熱い。息が吸えない。
俺は賭けに負けたのだ。
意識が遠くなってきた。視界がぼやける。どこか遠くから声がした。
「代わりに別の悪魔を紹介してやろう。次はもっと上手く嘘をついてみせるんだな」