ブーケトス忖度
ベルの音が鳴る中、新郎新婦が階段を降りていき、両側に並んだ参列者が祝福のフラワーシャワーを浴びせる。
二人が立ち止まり、司会役の女性がマイクで告げた。
「それではこれより幸せのブーケトスを行わせていただきます。私も幸せにあやかりたいという独身女性のみなさん、前の方へお願いいたします」
参列者の中から若い女たちが前に進み出る。その中に眼鏡をかけた小柄な女――小森文乃がいた。
その日は会社の先輩である永井玲奈の結婚式だった。文乃はもともと人が大勢集まる華やか場は苦手だが、玲奈には入社以来、とても世話になったので出席することにした。
(ブーケトスかー……はぁ、憂鬱だなぁ……)
本来ならめでたい日のはずなのに、文乃の表情は沈んでいた。
ちらっとそばにいる女性に目をやる。年齢は三十代半ば、美人なのだが、化粧のケバさが目立つ。会社で文乃が所属する部署のお局様・久保田佳恵だった。
大手のマッチングアプリに三つ登録、結婚相談所にも入会し、婚活をしまくっているのに未だに彼氏ができないらしい。
先ほど会社の同僚とした会話が文乃の脳裏によみがえる。女たちが野球部の円陣のように顔を突き合わせ、ヒソヒソと声を交わした。
『わかってるわね? ブーケは絶対に佳恵さんにとらせるのよ』
『ブーケを取ったりしたら絶対イビられるよね……』
『っていうか、週明けから佳恵さんが不機嫌になるのだけは勘弁』
ようはお局様への〝忖度〟で、ブーケトスを出来レースにするための話し合いが女たちの間で行われたのである。
司会者にうながされ、若い女性たちが前方に移動させられる。その中で文乃は縮こまっていた。
(私みたいな新人がブーケをとったりしたら佳恵さんに何を言われるか……ただでさえコネ入社だって言われてるのに……)
文乃は会社の創業メンバーである常務の姪っ子だった。伯父夫婦には子供がいなかったので、文乃は子供の頃から可愛がられた(ちなみに今日の結婚式にも、伯父は仲人として出席している)。
(でも入社試験はちゃんと実力で合格したし、おじさんだって、私をコネで採用したわけじゃないって……)
だが、周囲はそうは思わない。部署では何かにつけて先輩たちから厳しく当たられた。
「ね、小森さん、もっと後ろの方に移動しようよ」
同僚の女性に小声で言われ、文乃はうなずいた。花嫁はブーケは後ろ向きに投げる。小さくて軽い花束だし、女の腕力だ。そんなに距離は出ない。恐らく前列の人間が取るだろう。
(ここにいれば大丈夫……絶対にブーケは飛んでこないはず……)
隅の方でモブになりきって存在を消していると、女性司会者の声が聞こえてきた。
「玲奈さん、ご準備の方はいいですか?」
ウェディングドレス姿の花嫁が指でOKサインを作り、参列者に背中を向ける。
「さあ、幸せは誰の手に……ご注目です。それではみなさん、ご一緒にカウントダウンをお願いします。ではいきます。3、2、1――どうぞ!」
その瞬間、花嫁の玲奈がくるっと反転し、野球の遠投よろしく花束を思い切り放り投げた。それは宙に高く舞い上がり、あろうことか文乃に向かって落ちてくる。
(くるな!……こっちにこないでぇ)
ブーケから逃れるように文乃は後ずさったが、まるで餌を狙うトンビのように白い花束が急降下してくる。
その瞬間、にゅっと白い腕が伸び、誰かの手が空中でブーケをキャッチした。体当たりをかまされたようになり、文乃は「ふぎゃあっ」と悲鳴をあげ、隣にいた男性にぶつかり、二人で折り重なるように地面に倒れた。衝撃で顔から眼鏡が外れる。
「す、すいません!」
男性に謝りながら、キョロキョロと辺りを見回す。
(め、眼鏡……眼鏡は?……)
地面に膝をつき、手を動かしてあたりを探す。「どうぞ」と男性の声がして、目の前にフレームが差し出される。相手は自分がぶつかって一緒に倒れた男性のようだが、目がボヤけて顔がよく見えない。
「ありがとうございます」
お礼を言って眼鏡をかけた文乃の頭上で「やったぁー!」と大声がした。
お局の久保田佳恵が白い花束を頭上に掲げ、臆面もなくガッツポーズを作っている(周囲はドン引きしていたが、佳恵は気づいていないようだった)。
会社の取り巻き女子連中が「幸運が空から落ちてきましたね」「私もその幸せをお裾分けして欲しいです」とお局を必死に持ち上げている。
のろのろと立ち上がった文乃のもとへウェディングドレス姿の女性が近づいてくる。
「ふみちゃん、大丈夫? ケガしなかった?」
花嫁の玲奈先輩が心配するように見つめてくる。
「大丈夫です。ちょっと転んだだけなので……」
「ごめんね。ブーケをふみちゃんの方に投げたんだけど……普通に投げればよかったかな」
後方に文乃がいたのに気づき、玲奈さんは自分にブーケを渡そうと、ああやって〝遠投〟をしたのだ。道理で遠くまで飛んできたはずだ。
「ひどいわよね。突き飛ばすなんて……」
玲奈さんが苦々しい顔で久保田佳恵と取り巻き連中の方を見る。
「ごめんね、ほんとはあのひと、呼びたくなかったんだけど……会社で何を言われるかわからないから……」
今後の社内での付き合いを考え、しかたなく招待状を出したという。玲奈先輩自身はサバサバした女性で、佳恵とも距離をとってうまく付き合っていた。
「披露宴会場のテーブルでは、会社の人とは席を離しておいたから楽しんでね。大丈夫、席が足りなくて、ふみちゃんを別のテーブルにしたことはみんなに説明しておいたから」
「ありがとうございます」
玲奈さんの細やかな配慮に文乃は心から感謝した。お局様や先輩たちに気遣わずに食事ができるのは本当に助かった。
玲奈と別れ、教会の隣にあるレストランに入った。文乃の席は、会社の同僚たちとは離れたテーブルだった。前方のテーブルには、仲人を務める伯父夫婦の姿も見えた。
(さっきのブーケトス、おじさんたちにも見られたのかな……恥ずかしい……)
席に着くと、隣の男性から声をかけられた。
「さっきはブーケ、残念でしたね」
高級そうなスーツを着た若い男が座っていた。きりっと整った眉毛の下に涼やかな目、額からすっと通った鼻筋、形のいい上品そうな唇……見たこともないイイ男だった。
いたずらっぽい目を向けられ、きょとんとする文乃に男が言い足した。
「さっき眼鏡を拾ってお渡しした者です」
「あ……すいません。お恥ずかしいところを……ありがとうございました」
眼鏡が外れていたし、転倒したショックで気が動転していた。声から男性だろうとは想像していたが、こんなイケメンだとは思っていなかった。
「眼鏡をかけていない顔も素敵でしたよ」
男は文乃の顔を見て笑った。さらっと自然な言い方で、特にキザっぽく聞こえないのは、本人のかもしだす爽やかな雰囲気のせいだろう。
文乃は真っ赤になって顔をうつむかせた。
「僕は西城といいます。小森常務と同じ大学で、ボート部の後輩です。OB会では先輩によくお世話になってます」
「あ、おじさんの……私は新婦の、玲奈さんの会社の後輩なんです」
「同じ後輩つながりですね。実は僕、本当は別のテーブルだったんですけど、レストランの手違いで席が足りなくて……」
テーブルセッティングをやり直すのが大変そうだったので、彼だけこちらのテーブルに移動してきたのだという。
「そうだったんですか。お友達の方と一緒になれなくて残念でしたね」
「いえ……実は同じテーブルにいる大学の先輩が苦手なんです。不幸中の幸いで、こちらに来させていただきました」
「あ、私も同じなんです! 会社の先輩で苦手な人がいて……」
「当ててあげましょうか? ブーケトスであなたを突き飛ばした女性でしょう」
文乃は「そうです」とつぶやき、西城は笑った。
その後、披露宴の間、文乃は西城と親交を深めた。二人とも好きな小説や映画に共通点が多く、後日、改めて映画でも見に行こうという話になった。
仲睦まじく話す若い二人の姿を、前方の丸テーブルに座った常務の小森が満足したように見つめていた。
ブーケトスが行われる三十分ほど前、小森は文乃以外の会社の女性社員たちを別室に集め、指示を出した。
「いいか、全員でうまく誘導して文乃を西城君のそばに立たせろ。――永井、おまえはブーケを文乃に向かって投げろ」
花嫁である玲奈にそう命じ、次にお局の久保田佳恵に目を向ける。
「久保田――おまえは文乃を突き飛ばして、西城君に抱きつかせろ」
「でも常務、小森さんが怪我をしたら……」
ためらう佳恵に、職場と同じような厳しい上司の目を向ける。
「そこは適当に加減しろ。ブーケは文乃がとれなくてもいい」
テーブルのグラスを手にとり、楽しげに話す姪っ子と大学の後輩を見つめる。
(男女の出会いってのは、そういうアクシデントがあった方がいいんだ……)
披露宴で文乃と西城が同じテーブルになったのも、偶然ではなく小森の指示だった。すべては二人を出会わせるためである。
(西城君は大手広告代理店の出世頭……文乃の相手として申し分ない。可愛い姪っ子には悪い虫がつく前に最高の男を紹介してやらないとな……)
満足げにシャンパングラスを呷る小森の視線の先には、忖度しているつもりが、実際は周囲に忖度をされていた無邪気な文乃の姿があった。
(完)