第1章 青春の続きを
和歌山市と海南市の境に位置するJR黒江駅の駅員に他県で買って来た切符と疲れを渡して、わずかな荷物と希望の詰まったリュックを肩にその青年が改札をでたのは1994年7月の上旬の昼下がりのことであった。
眩しい光と木々の匂いに抱かれて再びよみがえるのは少年の日々の喜び、悲しみ、そしてあの日々の怒り、そう青春の続きを、、、、
その青年こと岡原友弘20歳は高校を卒業後、遠くの町の会社に就職したものの、本日めでたく退職し、地元に帰ってきたのである。
家まで5分ばかりの道を歩きかけたとき不意になつかしい声をかけられて振り向くと、見慣れぬ車の窓越しに幼なじみの川崎徹の顔が見えた。
「迎えにきてやったぞ!」
「迎えって?、家まで5分もないだろう。」
「気にしたら負けだ、せっかくだからドライブに付き合え。」
呆気に取られる間もなく友弘は徹の車の助手席に乗り込む。
学生時代、友弘はその容姿から実写版”ジャイアン”と呼ばれるくらいだったのに、この2年の間にすっかりと痩せて身長180センチのノッポさんになってしまっていた、身長165センチの徹と並んで車のシートに座ると、その分だけ助手席を後ろに引かなければならず、レバーを引くと椅子の後ろから「痛い!」と声がした、あわてて振り返ると、後部座席に古河好仁が座っていた。
「あっ!ごめん、助手席が空いていたから徹一人だと思っていた。」
苦笑いしながら「友弘の巨体のために助手席を空けてやってたのに、やることよう!」
「ちょと足が長すぎたかな、以後気を付けまーす。」
おちょけながら再びレバーに手を掛け少しシートを戻そうとしたとき、徹自慢のゼロ4スタートの加速Gにより、当然シートは後ろにさがる、「痛たたた!」という好仁の声に加害者である徹は気付いていないようだ。
3人を乗せた黒いスカイラインGT-Rは、直線距離にして約200メートルの道を大きく迂回して一路意味のないドライブに出動するのであった。
この車の持ち主、川崎徹は家が裕福なので子供の頃からクーラー、ビデオ、ファミコンなど、当時一般の子供が欲しがっていた物全て親に買ってもらっていた俗に言う”坊っちゃん育ち”、パパの経営する㈲川崎産業の次期跡取りで、当然この車もパパにおねだりして買ってもらったのである。
古河好仁は、中肉中背、自分の意見をはきっりと言わない、典型的な普通の日本人である、親友である友弘達に対しても相手の目の色を気にしていて、周りが調子に乗っている時は一緒になって馬鹿をするが、普段は全く無口である、もちろん普通商社に勤務。
徹の運転は相変わらず荒い、道路の交通標識の制限速度には”50”と書かれているが彼の目には更に”×2”という文字がみえているのだろうか。
「おい、もう少しゆっくり走ったら、跳ばしすぎるぞ。」
「そういうことは車にいってくれ!、俺が跳ばしているのではなく、このGT-Rが早すぎるのだから。それはそうと、今夜はおまえのために歓迎会を予定してやったぞ。」ハンドルとミッションを忙しなく操作しながら徹は恩着せがましく言う。
「本当?で何処でするの?」宴会好きの友弘はシートから身を乗り出して、徹と好仁の顔を交互に見合わす、後部座席の好仁は意味ありげに含み笑いを浮かべている。
徹は言葉を続けて、
「それは当然おまえの家に決まっているだろ、確か物置に”スーパードライ”の大ビンが2ダースほど残っているだろう?、早く飲まないと賞味期限が切れてしまうかもしれないからなあ、みんなで手伝ってやろうと思っているのさ。」
そのスーパードライは、3ヵ月前のトンネル落盤事故で亡くなった友弘の父親のために買い溜めされていたもので、多分、一度に両親を失い天涯孤独になった友弘を徹は彼なりのやり方で励まそうとしての事だろう、友弘は笑みを浮かべながら、
「つまみは自腹を切れよ、まさか仏壇のお供え物をつまみにする気じゃないだろうな、お父さんとお母さんが化けてきても知らないぞ。」
「大丈夫!俺は飲み手を失い物置の片隅でひっそりと悲しんでいるビール達の魂を慰めてやるのだから、感謝されることはあっても、化けて出られる筋合いはないね。」
「でも、食い物はスーパーで買って来た方がいいと思う。」好仁が口を挟む、それに対して徹は「何故?」と首をかしげる。
「だって、友弘は3ヵ月前に葬式に帰ってきてから、ずっと県外の会社にいたんだろ?。」といい終えた好仁は少し気まずそうな顔をしている、きっと”葬式”という言葉が友弘につらいことを思い出させたと思っているのだろう。
「そうだなあ、3ヵ月も放っていた物を食って、俺達まで死んだらいい笑い者だろうな。」
その言葉が友弘の口から出たのなら好仁の気も楽だったが、友弘以外の口から出ていたので好仁の表情はもっと気まずそうになった。ルームミラー越しにそれを見ていた友弘は、「あはははは!」と大笑いをしてその場の空気を取り持つのが精一杯だった。
同情されたくなかった、今の自分は確かに同情されるべき立場なのかもしれない、でも自分が立直れることを知っている、今現にこの町帰ってきて新しい一歩を踏み出したばかりだ、そこへ「かわいそう」などと言われることの方が恐い、もしそんな事を言われれば今まで無視していた悲しみの波に飲み込まれ、それを言った人の旨に甘えたまま、自分の足で歩くことが出来なくなってしまうのではないだろうか、そんなぐらいなら「アホだ!」などと笑ってくれる方がはるかにましだ、そしたら開き直ることが出来るのだから、、、、、。
町は黄昏を迎え、やがて空は無数の星座たちに支配されてゆく
そして3ヵ月ぶりに岡原家の窓に明かりがともる、かつて友弘の部屋であった四畳半の部屋にはまだ会社の寮から送った家具や荷物が届いておらず、昼の間意味の無いドライブで地球の環境と資源に危害を加えた3人の他に、木村輝也、大山勤、中田清治の合計6人が宴会を開くには充分な広さである。
次々と悲しきビールの魂が天に召されてゆく、アーメン。
「で、友弘の再就職先はもう決まったのか?。」と木村輝也が真面目な話を切り出したのは9本目のビールが天に召された時だった。
彼は高校を卒業後和歌山で指折りの大企業”ノーリツ工機”に勤務、身長176センチの均等のとれた体格で、比較的裕福な家庭に育っている割にあまり無駄遣いをせず、また物事に対しても冷静沈着な方で人格面では徹とは対照的である。
「まだ決まっていない、まあトンネル事故の方は伯父さんに任しているから、安心して就職活動が出来るからすぐに見つかるだろう。」友弘が召されゆくビールのために火を点したのはロウソクではなくタバコであった。
「もし見つからなかったら、うちのトイレ掃除に雇ってやろうか。」と徹は言い終えると、近くのスーパーで買ってきた焼き鳥をくわえながら串を引き抜く。
「時給100万円以上なら、そうするよ。」
どうやら真面目な話をする状況ではないと、友弘はモードを”冗談”に切り替える、その隣にはビール瓶を2本口にくわえ屋根を仰ぎながら一気飲みをする好仁の姿があった、こちらさんはモードが”レッド・ゾーン”に入っていらっしゃるようだ。更にその隣では大山勤と中田清治の2人が向かい合ってグラスを交わしている。両者とも大学生で現在長い夏休みで和歌山に帰省中であるらしい。
大山勤は高校の頃まで好仁に負けず劣らずな大人しい性格の持ち主であった、容姿もヒョロ長い体格に少し長い髪、牛乳瓶の底を刳り貫いたような黒縁眼鏡のはずが、大学に入ってから彼は変身した、少し肉が付いて中肉中背、茶髪にパーマ、眼鏡をやめてコンタクト・レンズに銜え煙草、授業をサボってバイトに合コン。何が奴を変えたのか?。
その対角線上に立ちはだかったのが中田清治である。高校の頃は勉強よりスポーツ系であったのに、大学に入ってからムシムシと勉強にのめり込み大学院へ進もうと努力している、もっと驚いたのは1ヵ月の生活費はたったの2万円だそうで、最近痩せてイメージで言えば眼鏡を掛けていないことを除けば高校時代の勤である。
この2人を見比べると大学とは一体どういう所なのか、友弘たち”高卒生”には今世紀最大の謎であった、2人の話に耳を傾けようとするが「タンイがどうの」、「レポートがこうの」「、、、、。」全く理解できない。
友弘は気を取り直して話を合わそうとしたが、どうもついていけそうにない。
「お前は大学に行かないのか?」
以前、父親の宏利にそういわれたのは高校3年の今頃の季節の夕方だった。
自動車学校から帰ってきたばかりの友弘に、父親はビールを飲みながら話を続けた。
「父さんの時代は、大学はおろか高校も満足にいけなかった、だからお前にはきちんと大学を出ていい会社に入って欲しいのだが。」
「今年は、景気がいいので高卒でもいい会社に入れるんだよ、それに僕の学力では東大に入れるわけではないのだから、下手に進学して卒業する頃になって景気が悪くなって就職するところがなくなるかもしれないから、今のうちに就職しておこうと思うんだ。」
父さんは少しがっかりした表情で、グラスにビールを注ぎながら
「お金のことなら心配しなくてもいいんだよ、それ位の貯えなら家にもあるのだから、」
そういいながら、父さんは僕の前に空のグラスを置き、ビールを注ごうとした。
「僕は麦茶のほうがいいよ。それにそんなお金があるのなら、父さんや母さんの老後や葬式代に置いておいたら?。僕はよその町で、自分自信で生活するつもりだから・・・」
今にして思えば、あの時大学に行っていれば、父さんもあの車を買っていなかっただろう、そうすればあの事故に巻き込まれず、今もきっと・・・
友弘は右手のグラスに入ったビールを一気に飲み干し、首を左右に振り嫌な考えを振り払った。
ふと我に帰ると、みんな輪になって共通の話題に盛り上がっていた。話によると最近、近くにやっとコンビニが出来たらしく、そこでアルバイトをしている女の子に、徹は気があるらしい、
「・・・いつもこの時間帯にレジに立っている、小柄でショートカットの子の方なんだ」昔から徹は、好きな子の話をするときは、少し得意げな表情をする。そのくせに、いざ告白するといつも振られてばかりいる。
「ああ、もう1人の方の背の高い子なら、家の近所に住んでいるぞ。」勤の声に、好仁は酔っていることを忘れて勤を見つめる。 どうやら、好仁はもう1人の背の高いほうの子に気があるのだろうか。
「行くぞ!」徹の目的地を省略したこのセリフで友弘は、全てを理解した。
なるほどこういう訳か、今日の午後にスーパーで買ってきた食い物が少なかった理由がやっと分かった。