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酔っぱらいの噺

作者: 浅井一希

 あー、俺の話聞いてくれる人ってのはアンタらかい?

 へえ、結構若いんだな。あの飲み屋のママの口ぶりからして、俺より年上の爺様かと思ったもんだからね。

 いや、気ィ悪くしないでくれや。こんな俺の話でも聞いてくれるってのはありがてぇんだ。誰からも忘れられたような干からびたオッサンの話なんかで良ければな、いくらでも聞いてってくれよ。

 おまえさん達、年はいくつだい? 見た目からすると、俺の息子と同い年ぐらいかもしんねえな。

 もうずっと会ってないからねえ、顔見ても分からないだろうねえ。通りですれ違っても、向こうも俺も、互いに気付けねえくらいには会ってねえんだ。

 

 15年だよ。もう死んだことにされちまってるかもしんねえな。その方が都合もいいだろ? 親父が人殺しでムショにいたなんて、子供にとっちゃ迷惑極まりない話さ。殺されたのが母親とあっちゃあ目もあてられねえ。


 言い訳も何もねえよ。殺したくて殺したんじゃねえ。気付いたら死んでた。

 アンタらまだ若いから知らねえかもしんねえな。腹上死、いや、腹下死だな、ありゃ。俺が上になってな、ヤってたわけよ。夏の暑い頃でな、あいつは最初嫌がってた。

 本気じゃねえのは長年の付き合いだ。顔見れば分かった。暑いし面倒だし、ガキはまだ3歳だ。子供の相手して疲れてるのに、ってな。

 でも、俺もその日は何でか収まりがつかなくてよ。服ひっぺがして、あいつの悦ぶとこ触ってな。なんとかその気にさせて。

 で、しばらく動いてたらあいつが言うんだよ、あんた、あれやってって。

 あいつが好きなやつだ。

 男がナカに入ってる時に女の首をちょっと絞めるんだよ。

 最初あいつにやってみてくれって頼まれた時にはびっくりしたもんさ。

 でも、夫婦も長くやってりゃ刺激も欲しくなる。色々試してみるのもいいかって、やってみたんだよ。

 そうしたら、あいつも俺もはまっちまってな。すげぇ気持ちいいのよ。苦しくなってくるとナカがぎゅって締まってな。俺も気持ちいいが、あいつも気持ちいいらしくて、何度もやってた。

 その日、終わった時に俺が見たのは、息をしてないあいつの体だった。半分裸の、廊下の床に横たわった、ぴくりとも動かない、あいつの、あいつが


 すまねえ、年とると涙もろくていけねえなあ。もちろん、自分のやったことだよ。責任はとる。だが、ガキには、子供には会わせる顔もねえ。

 そっからずっと会ってねえ。最後に見たのは、寝顔だったよ。女房に似た、睫毛の長い、女みてえな顔で。


 会わねえよ。俺が墓まで全部持って行って土へ返すだけの噺だよ。


 そのあとの話? まあ、普通にムショに入ってたよ。

 たまーに、夢に女房が出て来たな。

 あんた、あれやって、ねえ、あれやろうって。

 俺は女房に心底惚れてたんだって思い知ったよ。後にも前にも、あいつの替わりなんていやしねえ。

 誰よりもいい女だった。自慢の女房だ。それを、俺は


 あー、また悪ィね。おかわりもらっていいかい?

 盆だからかね。俺はそういうのは信じちゃいなかったが、久々に昨日、夢にあいつが出て来てよ。

 あれやろう、一緒にイこう、って、色っぽい顔でな、言われるままにヤる夢だったよ。

 未練って言うのかね。塀の中で反省して懺悔して後悔して後悔して。

 それでもまだ夢に出て来やがる。

 これ以上、俺に何が出来るってんだよ。畜生、俺はあの時、なんで、あいつの様子に気付けなかったんだ。


 アンタらまだ若いから、充分気をつけてほどほどにな。

 酒うまかったよ、ご馳走さん。



**********



「付き合ってくれてありがとう」


 帰り道、いつものように感情の分からない声で一鷹が言う。

 瞳花は首を横に振りながら、隣の一鷹を見た。


「なんか、かわいそうな人だったね。顔色も悪かったし」


「そう?」


 相変わらず、一鷹はクールだ、と瞳花は思う。


「だって、言わば事故でしょ、奥さん死んじゃったの」


「事故といえば事故。でも殺したんだから」


 殺人だよ、と事も無げに言ってしまう一鷹に、瞳花はまたいつものように釈然としないものを感じる。


 瞳花には、あの人の顔に死相が出ていることが分かった。

 正直に言ってしまえば、来月の終わり、あの人は死ぬ。


 瞳花は人の死期が分かる子供だった。一鷹と一緒に暮らすようになって、よりはっきりと自覚し、時期も確実に分かるようになっていた。


 一方、一鷹は幽霊が見えると言っている。

 瞳花には霊は見えない。だからと言って霊がいないとは言い切れないし、一鷹が見ているものが幻覚とは思えない。瞳花に人の死期が分かるように、一鷹には死者の世界が分かるのだろう。


「何が見えたの?」


「あの人が奥さんを殺した後、セックスしてるところ」


 以前、一鷹が言っていたことを思い出す。

 霊は、見える人に、強制的に自分が見せたいものを見せてくる、と。

 子供に未練がある母親は子供の顔を。

 財産に未練がある者は、その在処を。

 叶えたい夢に未練がある者は、その夢を。


 そして、自分を殺した相手を恨んでいる時は。


「最初はいつものセックスだったのかもしれない。けれど、途中で何かがあったんだ。それは十中八九彼女が悪い。多分、不倫してるのがバレたんだろうね。あの人はかっとなって彼女の首を本気で絞めたんだ。そして逃げようとする彼女を追い掛けて、今度は殺すつもりで首を絞めた。そして我に返って彼女ともう一度セックスをして、救急車を呼んだ」


 瞳花は口の中がからからに乾いているのを感じる。

 頭の中で、知らない女が首を絞められて殺され、その体を、先程話していた男が若い頃の姿で犯している。

 死者への冒涜、と言えるのかも分からない。夫婦のことは、外側からでは分からない。本当に愛しあっていたのかもしれない。それが二人の自然な姿だったのかもしれない。


「あの人の子供さん、大丈夫かな」


 瞳花はようやくそれだけを口にした。

 そんな一鷹をちらりと見て、一鷹は一瞬苦い顔をした。

 それだけで、瞳花には伝わってしまう。

 あの人の子供も、既に亡くなっているのだと。


「子供も死んでる。ドラッグ摂取で交通事故を起こした。他人を巻き込まずに逝ったことだけは救いだよ。あの人が子供の死を知らないのは、子供が既に戸籍を抜かれているせいだろう」


 犯罪者の家族ではよくあることだよ、と一鷹は言った。


 霊が見えるせいで、他人の死を数多く知ることになった一鷹は他者に思い入れをしないようにしている。

 そうしなければ、こうして色々な死を見聞きしているうちに、自分自身が生きていることがあやふやになってしまうから。


 そう、努めている。懸命に、今、他者と自分の境界線を明確にしている。

 これから生きていくために。


「瞳花、何考えてるの?」


 咎めるような響きに、瞳花は少し嬉しくなって、一鷹の手の中に自分の手を滑り込ませた。

 一鷹の不機嫌の原因は、いつも瞳花の心配癖だ。一鷹は心配されるのを嫌う。特に瞳花からの気遣いを毛嫌いしている。


 それが一鷹の精一杯の強がりで、本気の思いやりで、婚約者である瞳花に未だにキス以上のことが出来ないでいることも含めて、多分、愛情なのだ。


 だから瞳花は笑顔になる。

 不機嫌そうな一鷹の顔を覗きこんで。


「一鷹と私はどんなセックスするんだろうなあ、って考えてた」


 一鷹がパッと瞳花の手を振り払う。顔がみるみる赤くなり、口をパクパクさせている。

 だが、瞳花がニヤニヤとその様子を観察していることに気付いたらしく、ぷい、とそっぽを向いた。


「女がそんなこと口にするもんじゃない」


 歯切れ悪く呟いたのを、瞳花は聞き逃さない。


「いいじゃない、他の人の前では言わないんだし」


 無理矢理腕を組むと、瞳花は一鷹を見上げる。

 赤くなったまま居心地悪そうにしているが、嫌がってはいないと判断して、瞳花は踏み出した。

 一鷹は渋々ついてくる。


 月明かりの下、二人は他愛もないことを言い合いながら、同じ家に向かって歩いていった。

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