花の名
「大中、集中しろ!」
「話聞いてるか?」
「体調でも悪いのか? 辛いなら保健室にでも行ってきたらどうだ?」
これらは、今日ぼくが先生に掛けられた言葉だ。
最初の方こそ怒られていただけだったが、あまりにも聞かないので、怒鳴られるどころか心配されてしまった。
たしかに心配されるだけの状態にあるけど。
今日の朝の出来事。
ずっと頭の中で考えていたら、やっぱり夢だったんじゃないかと思うようになってきた。
でも昨日、家に帰って気を失ってしまった事は覚えているし、起こしに来た母さんにも『何故昨日は慌てていたのか』と聞かれて嘘をついた事は事実だ。
一刻も早く真実を確かめたくて、ぼくは昨日のように走って帰った。
「ただいまー!」
「おかえりー」
のんびりとした声。
いつものように母さんに迎え入れられる。
そして、一日にやる事をすべて終えたところまでは(ずっとぼーっとしてたけれど)いつもとおなじような日だった。
でも、もう寝ようと自分の部屋のドアを開けると、
「おかえりなさーい!」
天使がにっこりと笑っていた。
ああ、夢じゃなかったんだ。
「そう、夢じゃないよ。幻覚でも無いからね」
釘を刺される。
「じゃあさっそく、死亡回避のお話をしようか」
え、名前は?
「それは後でのお楽しみにしよう」
「分かった」
ぼくが頷いたのを見て、天使は話し始める。
「天使はね、大体は死んだ人の魂を天界っていう異世界に送り届ける仕事に就くんだけれど、それだけじゃないの。その中で理不尽な死を迎えそうな子供の死を回避させる事がわたしの仕事」
へえ。
あれ? でも、そんな仕事をする天使の話なんて、聞いたこと無いけど。
「しっかり口止めして、延命出来たら記憶を消すからね」
なるほど。でも、ぼくの他に理不尽な理由で死ぬ子供は沢山いるよ。戦争とか、無差別殺人とか、テロとか、事故とかでさ。というかこっちのほうがぼくより理不尽でしょ。
「いきなり物騒な話になったね。まあいいや。今ミライが言ったのは、仕事に含まれないの。多すぎるからね。それに、まだこの仕事は日本以外にはあまり普及してないし、難しいものだから延命に失敗する事の方が多いから」
そうなんだ。哀しいことだね。
「そうなの。だから、成功を増やせば、いろんな国や地域に普及するだろうし、それには延命する本人の努力が不可欠なんだよ」
それは頑張らなきゃ。
「え、こんなことでやる気になるの?」
「そりゃそうだよ。ぼくの命が救われたら他の子供も理不尽に死ななくて済むかもしれないんでしょ? やる気にならない訳無いじゃん」
「自己犠牲の精神があるんだね。この場合は犠牲じゃないけど」
ジコギセイ?
「人の為には自分が損してもいいやって思ってるってこと」
そんな言葉があったんだ。
確かに、ぼくなんかより生きるべき人はいるし、その人達の為なら死んでいいかも。
「悲しい事を言わないで」
「言ってはない」
「……思わないで」
呆れた声で言い直すが、すぐに取り直す天使。
「よし、それじゃあ具体的にどうやって回避するか考えよう。まず、期限は再来週の火曜日。ピアノが終わって、家の玄関を開けたら、倒れて、ベッドに寝かされてそのままぽっくり」
「死ぬ事をそんなに軽く言わないでよ」
「ごめん。えっと、つまり再来週の火曜日までにピアノをやめればいいの。単純でしょ?」
「単純だけど、かなりの難題だよ」
ぼくは溜息交じりに言う。
「ああ、確かにそうかも。ミライのお母さん、簡単にはやめさせてくれなさそうだもんね。でも、やめないと死んじゃうから、無理にでもやめよう」
こんがらがるな、その言い方。まあ、いいや。
問題は、どうやって納得させるか、という事。
「そうなんだよね……。とりあえず『やめたい』ってしつこく言ってみたら?
「結局のところそれ以外に無いかも。作戦立てたり、プレゼンするのは苦手だから」
「とりあえず明日は、『しつこく』作戦でいこう!」
「作戦とは言えない気がするけど」
「はいはい。ねえそれよりさ、名前、早く考えよ!」
***
『花、華、桜、バラ、椿、梅、桃、スミレ、菊、菜の花、パンジー、コスモス、蘭、スズラン、藤、ヒマワリ、レンゲ、……』
ノートに、花の名がたくさん並ぶ。
「全部綺麗な花だよね! どれが良いかな~」
楽しそうにしている天使。
「ミライは、どれが良いと思う?」
「うーん……ヒマワリとか、明るい感じの花が良いと思う」
「じゃあそれをピックアップしていこう」
「うん」
『華、桜、バラ、コスモス、ヒマワリ、菜の花』
かなり絞られた。
「んー……この中で好きな花は、ある?」
聞いてみる。
「菜の花。明るくて、可愛いから」
じゃあ、『ナノハナ』ちゃん?
「それはちょっとなあ……」
じゃあ、『ナノハ』とか、『ナノカ』とか、『ナノ』とか?
「ナノハが一番原型に近いから、ナノハが良いな」
ということで、天使の新しい名前は『ナノハ』になった。