四月に降る雪
何物にも染まることを拒むように、街は白に包まれている。
自室の窓から見える光景に、透は小さくため息をついた。
昨日の昼過ぎから降り始めた雪は、朝を迎えた今も降り続けている。
今はもう四月だというのになぜ雪が降るのか。
とりあえず午前中にはやみ、午後には気温も上がるらしいがどうなることやら。
おかげで予定外の事態に陥った。
いや、そう思っているのは自分だけだろう。
すくなくとも一昨日から、雪は予報されていた。
にもかかわらず、早く帰れという透の警告を無視してこの家に居続けた幼馴染は、元から帰る気などなかったのだろう。
高校3年生になる幼馴染――緋月は、今父親と進路のことでもめている。
その原因の一端は透にあるので、彼の家に連絡するのは正直嫌だったが、二十歳を超えた大人の責任として彼の家に電話をかけた。
幸い母親が出たので特に何も言われなかったが、もし父親が出ていたら、延々と小言を言われただろうと思う。
ただ、表情のない顔で親の言う通りの大学を選ぼうとした彼に、
「お前、それでいいの」
と聞いただけだったのだが、緋月は何か目覚めたらしい。
おかげで彼の父親には、顔を合わせれば睨まれるようになった。出入り禁止になる日もそう遠くはないだろう。
緋月は今、台所で朝食の準備をしている。
断ったが押し切られてしまった。
「泊めていただいたんですし、それくらいしますよ」
親の教育の賜物か、本人の趣味かわからないが、緋月の作るご飯はおいしい。
どこかのアイドルのように顔もいいので、さぞモテるだろうと思うが、それを言うと嫌そうな顔をされてしまう。
「女の人は、いつか刺してきそうで苦手です」
そんなことを目を伏せて言われてしまった。
何があったのか想像は難しいが、そのあとに続いた男子校にすればよかったという呟きは理解できなくもない。
透自身、女子生徒同士の自分を巡るわけのわからない騒動に巻き込まれた経験があるが、女性不信になりかけた。
今でも女性は苦手だし、姉以外とは正直関わり合いにはなりたくなかった。
部屋がノックされ、緋月が現れた。さらさらとした黒い髪に、眼鏡をかけた一見真面目そうな少年。
彼のエプロン姿はすっかり見慣れてしまった。
「用意できましたよ」
「ああ」
ダイニングにいくと、テーブルにご飯や焼き鮭、味噌汁等が用意されていた。
ラジオだろうか。彼の趣味であるクラシック音楽が、オーディオから流れている。
姉の結婚で一人だけになるはずだったのに、この幼なじみは姉と入れ替わるように、この家に入り浸るようになってしまった。
ひとりでは広すぎる家。
しかも両親は一階でケーキ屋をやっていたため、普通の家よりかなり広い。
2階だけでも4LDKある。
だから別に緋月が来たところでどうってことはないが、さすがに未成年をしょっちゅう家に泊めるわけにはいかない。
止めても聞かないと、自分に言い訳をし、結局は受け入れてしまっている透がいるのも事実だった。
食事をとりつつ、緋月が雪はどうかと尋ねて来る。
「だいぶ積もってる」
たぶん10センチは超えているのではないだろうか。
このあたりでこの積雪はかなり珍しい。
電車もバスも余裕で止まる。
「雪かきしないとですね」
当たり前のように緋月が言う。
確かにやらないといけないことだが、彼に手伝わせる気などなかった。
「お前はいい。俺がやるから」
透がそういうと、緋月はニッコリと笑う。
「何言ってるんです?
二人でやった方が早いですよ。それに、透さんひとりじゃ時間かかってしょうがないでしょう」
遠回しに非力と言われている気がするが、事実なので何も言い返せない。
緋月は鮭から骨を外しながら、
「雪を何とかしないと、僕帰れませんし」
と言った。
帰れないではなく帰る気がないだけだろう。
この雪なので厳しいものはあるが、親に迎えに来てもらおうと思えば来てもらえるはずだ。実際、以前はキレた緋月の父親が迎えに来て、家の前でよく揉めた。
なんとか彼の父親を説得し、この家に時々泊まることを認めさせはしたが、緋月と父親の溝は深まるばかりのように思える。
緋月の着替えはいくつか置いてあるし、携帯の充電器などもちゃっかりおいてある。
雪など関係なく、彼はなんだかんだと理由をつけてここに泊まる。
「緋月」
「なんです」
「あまりここに来るな」
そう言うと、緋月の顔が一瞬こわばる。が、いつもの笑顔になって首を振った。
「だって、透さん、放っておくと何日もご飯食べないじゃないですか。
この間だって二日食べてないとか言って」
また何も言い返せないことを言われてしまう。
正直一人だとご飯を食べるのが面倒になり、菓子以外何も食べない日が続くことがよくあった。
あまり食べることに興味はない。自分にとってはどうでもいいことなのに、緋月はそれを良しとしない。
「ちゃんと食べないとまた痩せますよ? レディース着られたって喜んでいる場合じゃないですよ」
それは心配なのか。ここにくる口実なのか。
透にはわからないが、食べていたら来なくなる、というわけはないだろう。きっと別の理由をつけてくるだけだ。
俺に構うな。
という言葉をいえば、彼は傷つくだろうか。
父親の過剰な束縛に気付かせたのは透だし、緋月はそれから逃げようともがいてる。
だからといって、面と向かって親に向かうこともできずにいる、と言うのも事実だろうと思う。
ここが、緋月の居場所なのだ。
まだ高校生である彼が行ける場所など、限られているのだから。
「帰らせようと思えば、車で送ることくらいできたじゃないですか。
透さんの車、スタッドレスでしょ?」
結局はそうだ。自分も彼の家出の共犯者だ。
口では帰れと言いながら、心のどこかでいてくれればいいと思ってる。
4月に降る雪はすぐに溶けてしまう。
いつまでも溶けなければいいのに。
雪がやみ、青空をのぞかせはじめた外を見つめ、緋月はそう呟く。そんな緋月の言葉を聞こえないふりをして、透は彼の背中に向かって言った。
「今日は帰れ。送って行ってやるから」
緋月はこちらを振り返り、拗ねたような顔を一瞬見せたが、あきらめたように笑って頷いた。