おかえり、ただいま
俺の日課の一つには、夜の電話がある。
朱音に毎日決まった時間に電話をかけて色々話をするのだ。
彼女の声が聞きたくて仕方ないということもあるし、朱音との繋がりを持っていたいという願望もある。
それに、声でも朱音に何かあれば読み取ることが出来る場合もあるし。
朱音の家は不安定だから……
だが、今は朱音が修学旅行中のため、タイミングが掴めず電話をかけることが出来ないのだ。
自室にて。手にスマホを持ったかと思えば、またテーブルに置くというのを数回繰り返している。
「なぁ、シロ。朱音に電話をかけても良いと思うか? 同室の豊島さん達と話をしているかな?」
おもちゃで遊んでいたシロは、俺の問いにボールを咥えるとこっちにやって来た。
きっと朱音という名に反応したんだろう。朱音はシロといつも遊んでくれるから。
シロは真っ白なしっぽを揺らしながら、俺が手にしているスマホを一瞥。
だが、ディスプレイは省エネモードになり真っ暗のままだ。
朱音の声が聞きたい。彼女が戻って来たら、翌々日から今度は俺が修学旅行となり、またすれ違い生活となってしまう。
俺がいない間に五王家との距離が近づいたらどうしよう!? という焦りはある。
「スマホ見ていても仕方ないよなぁ……」
俺は腕を伸ばしてテーブルへとスマホを置くと、リビングにいる家族の元へと向かうことに。
今日は父もいるから、きっと気がまぎれるだろう。
「シロ。リビングに行こう」
立ち上がれば、突然室内に電子音が響き渡った。
それと同調するように、シロも吠え始める。
「誰だ?」
首を傾げながらテーブルへと向かい屈み込みスマホへと手を伸ばせば、ディスプレイに映し出されている名前が飛び込んできて目を疑った。
まさか、俺の想いが伝わって……?
しかも、朱音からの電話なんてかなり珍しい。
「シロ! 朱音だ。もしかして、以心伝心か?」
俺が朱音に電話したかったように、朱音も俺に電話をかけたかったとか? などと自分に都合の良い方向に考えつつ、俺はすぐに電話に出る。
すると、ずっと聞きたかった彼女の声が耳朶に届く。
「もしもし匠君……?」
遠慮がちな朱音の声に、俺は心が柔らかくなる。
「うん、俺。ちょうど朱音に電話をしようか迷っていた所なんだ。待っていて。こっちから折り返すよ。俺、通話かけ放題のプランだし」
「ごめんね」
「全然。じゃあ、すぐかけるから待っていて」
俺は一度スマホの通話をきった。
そして、朱音へと電話を掛け直したのだが、彼女が出るまでのほんの数秒の出来事がやたら長く感じてしまう。
「もしもし匠君、折り返してくれてありがとう。今、大丈夫?」
「平気! 朱音は?」
「私も大丈夫だよ。いま、お風呂上がってロビーにいるの。浴衣が着慣れなくて……」
「お、お風呂!?」
声が上ずってしまったのは致し方ないだろう。
朱音の湯上りの浴衣姿はかなり見たい! いいな、朱音のクラスメイト。
「うん、お風呂。岩風呂だったから、豊島さん嬉しそうだったよ」
「豊島さん、岩風呂好きなのか」
「そうみたい」
朱音の声が心なしか弾んでいるようで何よりだ。
「あのね、その……私の誕生日を豊島さん達が覚えてくれて、サプライズでお祝いして貰ったの。すごく嬉しくて、ちょっと泣きそうになっちゃった」
「良かったな」
「うん。匠君もメッセージありがとう」
朱音に誕生日おめでとうと直接言えないと思っていたため、俺はアプリでメッセ―ジを送っておいたのだ。
きっと美智達も送っているだろう。
「お祝いして貰って嬉しかった時、どうしてかわからないけど匠君のことが浮かんだの。匠君に一番に伝えたいって。嬉しさを分かち合って欲しいって思ったんだ。あの……自慢したいとかじゃなくて……その……なんて言えば伝わるんだろう……」
俺は目を大きく見開いてしまう。
――朱音が嬉しかったことを一番に俺に伝えたかったなんて!
「わかるよ。ありがとう、教えてくれて」
顔が緩んでいくのが抑えきれなかった。
俺も綺麗な風景を見たら朱音と一緒に見たいって思うし、朱音が好きそうな食べ物を食べたら彼女と食べたいって思うから。
誰でもなく最初に彼女の嬉しいを分け合いたいと思うのが、俺だというのが誇らしい。
恋愛面で芽が出たことが如実に現れたため、俺は過去の自分に報告したい衝動に駆られてしまった。
「明日だよな? 朱音が帰ってくるのって」
「うん。四時半に学校の昇降口にバスが到着する予定なの」
「誰かと一緒に帰る約束とかしているか?」
「約束はしてないよ」
「なら、迎えに行ってもいいか? 朱音に会いたいんだ。その……朱音が迷惑でなければだけれども」
明日の放課後の予定は事前に空けている。
勿論、朱音を迎えに行きたいという思惑があったためだ。
「迷惑じゃないよ。じゃあ、その時にお土産渡すね」
「楽しみにしている。お土産も、朱音の修学旅行での思い出話も」
「うん」
少し照れたような彼女の声音を聞き、俺は電話を切りたくなかった。
このままずっと話していたいのだが、やはり彼女もクラスメイト達の時間があるだろう。
結局俺は、後ろ髪引かれながら少し話をして通話を終えた。
スマホを手にし、ぼーっとしている俺を不思議そうにシロが見詰めている。
「なぁ、シロ。これって恋愛面で良い兆しだよな? どうしよう、すっげぇ嬉しい! このまま順調に進んでくれっ!」
シロを抱き締めれば、シロが楽しそうに吠えた。
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翌日の放課後。
俺は五王の図書館にて過ごし、到着時刻より少し前に榊西へと到着。
校門が見える路肩には、保護者らしき人達の車がちらほら窺える。
俺は混雑を避けるために学校から少し離れた所に車を停車して貰い、朱音を出迎えるために立っていた。
ほんの二・三日だけ会ってないというのに、長い間会っていなかったように寂しさが募っていた。
早く彼女に会いたいと思いつつ、校門の傍にいる人達へと視線を向けている。
そこには整列している生徒達の前で先生が話をしているのだが、俺が注目しているのは朱音だ。
他クラスと一緒と聞いていたが、どうやら三クラス同時だったらしい。
旅疲れで居眠りをしている生徒もちらほら窺えるが、朱音は真面目に先生の話を聞いている。
俺の視線に気づかず、姿勢を正しているのが実に彼女らしい。
一方、朱音のクラスメイト達は俺に気づいているらしく、ちらちらとこちらを見て気にかけてくれているようだ。
朱音の後ろにいる人は、俺のことを伝えようと先生の様子を探りつつ、朱音へと手を伸ばしている。
やがて話が終わったようで生徒達がバラバラに散らばり始めた。
大半は校門から出て、迎えに来て貰った保護者と合流したり、友人同士で駅や自宅に向かって足を進めている。
中には校舎に向かっている子達もいて、もしかしたら部活のメンバーにお土産を配りに行ったのかもしれない。
朱音には事前に迎えに訪れるということを伝えてあるが、彼女は俺に気づいていない。
そのため、電話をかけようとコートのポケットからスマホを取り出しかければ、朱音のクラスメイト達が彼女を囲んだ。かと思えば、一斉に俺の方へと顔を向け出す。
どうやら朱音に俺が来ていることを教えてくれたらしい。
俺に気づいた朱音は、ふわりと笑うと小さく手を振った。
――可愛すぎて抱きしめたいんですけどっ!
今すぐ駆けだして抱きしめたい気持ちをぐっと堪えながら、俺は彼女の元へと向かう。
歩道を渡るためにそちらに向かって行けば、ちょうど歩道を渡り終えた朱音と合流出来た。
「朱音! おかえり」
「ただいま」
目尻を下げて微笑んだ朱音を見て、朱音が帰って来たんだなぁと思った。
「匠君の顔を見たら、戻って来たんだなぁって思ってほっとしちゃった。学校に着いても思わなかったのに」
「俺の……?」
「うん」
どうしよう! なんか俺に都合が良いように現実が進んでいるため、動揺が隠しきれない。
もしかして、これはまた夢なんじゃないか。
朱音とラブラブな時間を過ごしていると思えば、数秒後に目が覚めて夢だったという夢オチエンドを今まで幾度繰り返しただろう。
朱音を抱き締めていたのに、目を覚ませば困惑したシロだったり……
「こじらせ過ぎてこれが現実なのか夢なのかわからなくなってしまった。なぁ、朱音。これ現実?」
「え?」
「……いや、なんでもない。荷物持つよ」
「大丈夫だよ」
「疲れただろ? 新幹線とバスの移動だったからさ」
「ありがとう」
俺は朱音のキャリーを預かった。
――このキャリーの感触はある。ということは、やっぱり現実だよな。
「匠君……?」
キャリーをじっと見ていると、朱音に声をかけられ我に返る。
「ごめん。じゃあ、行こうか」
俺が促がせば、突然手に温かいものが触れてきたので体が大きくビクつく。
馴染んだそれは、誰の手なのかすぐ理解出来た。
顔を向ければ想像通り、俺の空いている手に朱音が手を繋いでいる。
――あ、やっぱり夢だ。朱音から手を繋いでくれるなんてあるわけがない。
だが、夢だろうが現実だろうが、好きな子から急に手を繋がれれば動揺するに決まっているじゃないか。
「ど、どうしたの……?」
「急に手を繋いでごめんね。ちょっと確認したくて」
「確認?」
「うん。修学旅行で手を繋いだ時に、違和感を感じて……それがすごく気になっていたの。理由はわからないけど、匠君と手を繋いだ時と他の人と手を繋いだ時はやっぱり違った」
「待って! 他の人ってどういう意味!? もしかして、誰かと手を繋いだのっ!?」
「あのね……」
朱音に事情を聞き、修学旅行のイベントハプニングの恐ろしさを学んだ。
だが、そのお蔭で俺にとって嬉しい方向へと話が進んでくれたようで、俺は心の中で小岩井君にお礼を告げた。ありがとう。小岩井君。妹さんとこれからも仲良く。
――これは俺に風向きが向いてきたぞ!
波に乗ってアプローチを! と、俺が口を開きかけた時だった。
朱音の方が先に言葉を発したのは。
「今度は匠君が明後日から修学旅行だね」
「あ」
そうだった。すっかり幸運の訪れで忘れてしまっていたが、今度は俺が修学旅行だった。
しかも、六条院は海外なので長めだ。




