まったりとお誕生日のお祝い
目の前にある深く緑がかっている湖からは、魚の飛び跳ねている音が聞こえてきている。
湖をぐるりと囲むように生えている瑞々しい木々には、図鑑を見なければ名前がわからない綺麗な鳥が止まり、自然の豊かさを感じる。
今日は五王家の別荘へと日帰りで訪れている。
私の誕生日が修学旅行中なので、匠君がその前にお祝いしてくれたのだ。
何か欲しいものはある? と訪ねられたけど欲しいものはなかったため、彼はしたいことある? の質問へと変更。
シロちゃんと遊びたいという希望があったので、お願いする事に。
芝生のある公園でシロちゃんと……と思っていたのだが、匠君はせっかくだから紅葉を見ながらシロと遊んでまったり過ごそう! と、提案してくれた。
「空気がすごく美味しいね」
「あぁ、澄んでいるな」
隣にいる匠君へと声を掛ければ、彼は穏やかに微笑んだ。
私と匠くん、それにシロちゃんしかいないので貸し切り状態。
なんて贅沢な誕生日なのだろうか。
匠君のすぐ近くでは、シロちゃんが自由気ままに駆け回っている。
前足と後ろ脚を大きく動かしながら風を切り、ふわふわの毛を靡かせていた。
普段は可愛いシロちゃんだけど、走っている時はカッコいい。
「朱音。そろそろ昼も近いから、一端別荘に戻ろう。体も冷えてしまっているだろうし」
「うん」
もうそんなに時間が経過してしまったのか。
匠君や美智さんと一緒に過ごしていると、あっという間に楽しい時間が過ぎ去ってしまう。
「シローっ! 戻るぞ」
匠君がシロちゃんへと声をかければ、しっぽをぶんぶんと振りながら私達の元へと駆け寄ってくれた。
私は少し屈み込むとシロちゃんの頭を撫でたのだけれども、いつもとおり綿あめみたいに柔らかくてふわふわだ。
撫でているとシロちゃんは気持ち良さそうに、円らな瞳を細めていく。
「シロ、良かったな。朱音にいっぱい遊んで貰って」
匠君は地面に置いてあるシロちゃんの玩具を大きめの自立タイプのバッグへと片付けていく。
でも、シロちゃんはもっと遊びたいのか、匠君が片付けている玩具を再びバッグから出し始めてしまう。
「……いや、シロ。永遠繰り返すことになるって。続きはお昼終わってからにしような。遊ぶのに夢中になっていて、おやつ食べてないからお腹空いただろ?」
おやつの言葉に反応したらしく、シロちゃんは「ワンワン!」と楽しそうに吠え初めた。
「いや、おやつじゃなくてお昼なんだが……まぁ、いっか」
匠君は苦笑いを浮かべると再び片付けを始めたので、私も彼を手伝うために玩具へ手を伸ばす。
「朱音、ありがとう」
「ううん。私もシロちゃんに遊んで貰ったから。今日はありがとう。素敵な誕生日だよ」
「いや、俺の方こそシロと遊んでくれてありがとう。それに、その……お弁当も作ってくれて……俺の方が誕生日みたいだよ」
私は彼の言葉に首を傾げる。
今日はピクニック予定だったのでお弁当……という話になったのだが、いつも五王家でお世話になっているため私がお弁当を作ることを提案したのだ。
湖付近で食べる予定だったのが、今日は気温が低く寒いので別荘に戻って食べることに。
「念願の朱音の手作り! すごく楽しみにしていたんだ。早く戻って食べたいよ」
匠君がそう口にし、はにかんだ時だった。
「わんわんっ!」
と、突然シロちゃんが吠えだしたのは。
「シロちゃん……?」
警戒して吠えるようなものではなく、楽しいものを見つけた時のように弾んだものだ。
視線をシロちゃんが見ている先へと向ければ、ちょうど右斜めに通路があった。
ここからでは木々に視界を遮られ、出入り口付近しか窺えず。
「誰か来たのかな?」
「たぶんそうだと思う。シロは人が苦手だから、知らない人間は警戒するし。誰だ?」
匠君が眉を顰めると、一人の少年が木々を抜けて姿を現す。
漆黒の髪を持つ彼は、モデルのように整った顔立ちに高い身長を持つ人だった。
年は私達と同じくらいだろうか?
ファーのついた厚手のカーディガンとデニム姿というラフな格好をしている。
「え、吉良!?」
匠君の呟きに合せてシロちゃんが少年の元へと駆け出してしまう。
シロちゃんが辿りつくと、彼はあどけない笑みを浮かべながら屈み込みシロちゃんを撫で始めた。
「匠君の知り合いの方?」
「そう、友達なんだ。父さんの友人の子供。ファナティックレーベルって知っている?」
「大手音楽プロダクションとしか……」
「そこの長男で跡取り。別荘をこの辺に買ったのかな?」
匠君が首を傾げながら、シロちゃんにまとわりつかれる形でやってくる吉良さんを見ていた。
「匠じゃん。久しぶり。一ヶ月振りくらいか?」
「久しぶりだな。そんなに経つのか。おじさんこの辺に別荘買ったの?」
「違う違う。俺、レコーディングに来たんだよ。でも、もう少し曲を練りたいって納谷がさ。だから、完成するまで息抜きに散歩に出たんだ」
「スタジオ……あぁ、あるな。でも吉良の所と提携しているレコード会社のではなく、ライバル会社の所と提携しているレコード会社だぞ。そもそもレコーディングってどういう……え、まさか!」
匠君が目を大きく見開く。
「そう。俺、デビューすんの。バンドマンになるのを親父が許してくれなかったから、こっそりメンバーと一緒にライバル会社のオーディション受けたら合格。今は家を出て会社所有のマンションで生活中だよ」
「道理でな! 先週うちに父さんの友達が集まった時に、おじさんだけ酔っぱらうまで飲んでいて珍しいって思ったんだ」
「だろうね。期待していた跡取りがまさかのライバル会社からメジャーデビューだもん。跡取りは姉貴がやるよ。ずっとやりたがっていたけど、俺がいたから出来なかったから今すっげぇ燃えている」
「そうだったのか」
「まぁ、しょうがないよね。夢だったし。それより、匠は彼女と紅葉デート中?」
「そう見えるかっ!?」
溢れんばかりの笑顔を匠君が浮かべれば、吉良さんが喉で笑った。
「その反応で察した。匠にも難攻なものがあるのか。頑張れ」
「勿論だ」
「彼女の方、始めましてで合っているよね?」
吉良さんが私へと視線を向けたので、私は慌てて自己紹介を始める。
「はい。露木朱音と申します。匠君と美智さんと仲良くさせて貰っています」
「美智とも?」
「はい。美智さんもですが、五王家の方達にもよくして頂いて……」
私がそう口にすれば、「わふっ!」とシロちゃんが吠えたので、私は屈み込んでシロちゃんと目を合せて「うん、シロちゃんも仲良くしてくれているよね!」と頷く。すると、シロちゃんが頬を舐めた。
シロちゃん可愛い。
「露木さんっていうんだ。俺、浦波吉良。匠と同じ年だよ」
「では、私とも同じ年ですね。よろしくお願いします」
「よろしく」
吉良さんが手を差し出したので私も手を伸ばせば、がしっと匠君に腕を掴まれてしまう。
そのため、私は彼へと顔を向けて首を傾げる。
「そう簡単に朱音と手を繋ぐのは……まだ早いんじゃないかな」
匠君の言葉に、浦波さんは噴き出して笑い出す。
「早いって、いつならいいんだよ。手を繋ぐじゃなくて握手だぞ、握手! 今までと違うんだな」
「ちゃんと未来も考えている」
「そっか。なら、その時は俺がお祝いの歌を唄ってやるよ。おじさんと一緒に」
「なんで父さんとっ!?」
「おじさん、親父とバント組んでいたんだよ。当時の映像を親父に見せて貰ったんだけど、おじさんってすっげぇギターと歌が上手いよ。学園祭でライブやったらしいし」
「知っている。予告なしのバンドライブだろ」
もしかして、六条院祭で匠君のお父さんに伺った学園祭ライブのことだろうか。
匠君のお母さんに告白した時の。
――高校生だった匠君のお父さんの姿を見てみたいなぁ。きっと今みたいに素敵だと思う。
匠君と同じく生徒会長をしていたそうで、親子二代で六条院の生徒会長。
匠君のお祖父さんも生徒会だったのだろうか。
「露木さん、ロック好き? まだまだ先の予定だけどライブするから、良かったら来て。美智にもチケット送るから匠と三人で」
「はい!」
ライブ行ったことないのでちょっと不安だけど、匠君や美智さんがいれば安心だ。
……と、思った時だった。自然の音が沢山の場に、電子音が奏でられたのは。
「あ、ごめん。俺のスマホ」
浦波さんがカーディガンのポケットからスマホを取り出し操作を始める。
メッセージアプリかメールだったらしく、ディスプレイを目で追っていくと再びポケットへと戻す。
「納得のいく曲が完成したって。意見聞きたいからすぐ戻って来いってさ」
「そっか。あっ、CD発売されたら買うよ」
「私も買いますね」
「ありがとう。でも、勝手に送りつける予定だったからさ」
「いいよ、ちゃんと買う」
匠君が言うと、浦波さんは「匠らしいな」と微笑んだ。
「じゃあ、またね。匠、露木さん。それから、シロ」
「クゥン」
シロちゃんは手を振った浦波さんを寂しそうに見つめると、ぽふっと前足で浦波さんの太ももに触れた。
さっき会ったばかりなので、別れるのが寂しいのかもしれない。
「今度、匠の家に遊びに行くからその時遊ぼうな」
浦波さんは言葉を発しながら屈み込むと、左右からわしゃわしゃとシロちゃんを撫でた。
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浦波さんを見送った後。
私達はシロちゃんの玩具を片付けて、別荘へと向かっていた。
左右には鮮やかな朱に色づいた木々が、間の通路を歩いている私達を見守ってくれていた。
「浦波さん、すごいね。夢を叶えて……」
隣を歩く匠君へと告げれば、彼は大きく頷く。
シロちゃんは私達を別荘に誘導してくれているかのように、リードに繋がれ先頭を歩てくれている。
「あぁ、すごいって思う。昔から、ミュージシャンになるって言っていたから。まさか、ライバル会社からのデビューとは思わなかったけど」
「そういえば、聞いたこと無かったけど、匠君の夢ってなに?」
「二つあるかな。一つは会社を継げるくらいの力と能力を持つこと。そして、二つめは……」
言葉じりを弱めて匠君が足を止めてしまったので、私もぴたりと止まる。
どうしたのだろう? と、じっと匠君を見詰めれば、真っ直ぐな瞳と絡む。
「匠君……?」
「いや、その……!」
顔を真っ赤にしている匠君は、胸元を押さえながら瞳を彷徨わせ出す。
やがてゆっくりと深呼吸すると、私へと視線を向けた。
「ふ、ふっ、二つめの夢は……結婚することなんだ」
突然の匠君の発言に、私は一瞬どきっとしてしまう。
匠君は二つめの夢を口にしているだけなのに、まるで自分に言われているかのように思ってしまったからだ。
「絶対に叶えるよ」
「うん。応援するね」
急速に早まる血流を、私達の間に吹き抜けた風が冷ましてくれた。




