観覧車
――朱音が尊のことが好き?
体中の血の気が引き、自分がちゃんと地面の上に立っていられているのか感覚がなく、心も体も揺れ動いている。
ついさっき自分の耳に聞こえてきた豊島さんの言葉が脳裏に刻印されリフレインしていく。
尊は同性の俺から見てもかっこいいし、頼もしいからモテる理由もわかる。
――だが、朱音のことは誰にも渡したくない。それがたとえ、親しき友人であろうと。
ぐっと手を強く握り、口を開こうとした瞬間だった。
「……えっと、それは恋愛感情として?」
きょとんとした顔をした朱音の口から届いてきた台詞は、俺達の間に絡まるように纏っていた気まずい空気を和らげるように広がっていく。
尊に対する嫉妬や彼女の口から聞かされる答えへの不安など、俺の心は自分でも感情の整理ができない。
ずっと見ていたいといつもは思っているのに、今は朱音の姿を見るのが怖いとも思う。
朱音が尊のことを好きなら、この先どう接していいのかを考えると胸と胃が痛いし、未来が黒く塗り潰されてしまっている。
「佐伯さんのことは人として好きだけれども、恋愛感情はないよ」
「やっぱり、そうだよね!」
朱音の台詞に対して、誰よりも安堵した表情を浮かべながら尊が声を上げた。
「迷路内での露木さんと話した会話と内容がかみ合ってないから驚いたよ。露木さん、好きな人はいないようだったからさ。豊島の勘違いで本当にほっとした」
「ごめんっ! 露木さんが佐伯のことについて語っていたから、もしかしてって思っちゃったの。危うく修羅場になるところだったわ」
豊島さんは「ごめんね」と両手を合わせるようにして朱音の前で謝っている。
「匠、大丈夫か?」
「え、あぁ、なんとか」
尊の言葉に、俺は頷く。
――良かった。
全身の力が抜け地面にしゃがみ込んでしまいそうになったが、手に昼食が乗ったプレートがあるので、なんとか両足に力を入れて踏ん張る。
「ううん。私も豊島さんのことを勘違いしかけていたから」
「露木さんも?」
「うん。私も豊島さんと同じように、豊島さんが匠君のことをよく話すから好きなのかな? って、ちょっと思っちゃったの」
「私が五王さんを? ないない絶対にないよ! だって、五王さんって時代が時代なら殿だもん!」
「殿……」
豊島さんは首を左右に強く振った。
「……なぁ、尊。俺達、もしかしてタイミング良かったんじゃないか?」
「かもしれないな」
危うく楽しい遊園地が四人の関係がこじれ、誤解で四角関係に発展する所だった。だが、早めに誤解が解けてくれたので俺はほっと胸をなで下ろす。
昼食と休息をとったあと、俺達はまたアトラクションに乗って遊んだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、最後は豊島さんの提案で観覧車に乗ることに。
空がオレンジ色に包まれ、纏わりつく空気が肌寒く、風が髪や衣服が靡かせていく。
あまり強くないので、突風でも吹かなければ途中で観覧車も止まらないだろう。
「意外だな。観覧車って定番だから結構並んでいると思ったんだけど」
観覧車乗り場は、人が全く並んでいないためすぐに乗れそうだ。
「ねぇ! 観覧車の中は狭いから、ニ対ニに分かれてゆったり乗ろうよ! 露木さんと五王さん、それから私と佐伯でさ」
にっこりと微笑みながら提案した豊島さん。ちょっと強引な優しさに対して、俺は心の中で両手を上げ喜んだがきっと尊もだろう。
「うん、そうだね」
尊が豊島さんのことを好きだと知っている朱音は、とくに気にすることもなく頷くと足を進めていく。
最初に俺と朱音が観覧車に乗ることになり、俺達は遊園地のスタッフの方に誘導され、赤い色で塗られた観覧車へ。
「じゃあ、お先に」
「またね」
尊達に手を振ると、扉が閉められ空の散歩に。
ゆっくりと動く観覧車と違い、俺の心は妙にそわそわと忙しない。
――観覧車ってこんなに狭かったか!?
対面するように朱音と座っているのだが、距離感が思いのほか近いように感じる。突然脳裏に密室という二文字が浮かび、気恥ずかしくなってしまう。
「夕日綺麗だね」
朱音が窓の外へと視線を向け、微笑んでいるのが可愛い。
観覧車が地上に着くまでずっと朱音と一緒にいられるなんて幸せだ。
このまま時間が止まってくれればいいのに。
朱音に見惚れていたら、突然何の前触れもなく彼女がこちらを向いたので俺の心臓が高く跳ね上がる。
――もしかして、見過ぎていたか!?
視線を彷徨わせながらどうやって誤魔化そうかと思案したが、ここは困った時のシロ頼みにすることにした。
「シロが温泉に入っている写真さ、よかったらあとで送ろうか? 朱音、気に入っていたようだあったから」
「ほんとう? 嬉しい!」
朱音がぱーっと顔を輝かせた。
「年賀状にしてもかわいいね。来年、戌年だから」
「年賀状。あぁ、それいいかもな」
温泉でほっこりとしている写真も良いかもしれない。
そういえば、尊達もあの旅館訪れているみたいだった。今度出会ったら良いって思う。
シロは尊には懐いているし、ノノとも何度か一緒に遊んで仲が良いから。
きっと新しい家族のロロンとも、シロはすぐに仲良くなれるだろう。
「朱音、冬休みの予定とかどうなっている? さっき言っていた旅館、休みの時の方がゆっくり出来るかなって思って」
「冬休み……短期のバイトをしようかなって思っているの。あとは、棗さんと美智さんで女子会で棗さんの別荘に遊びに行く予定なんだ」
「えっ、もう棗達に誘われたの!?」
早めに朱音との約束をと思っていたのに、まさか棗に先を越されるなんて!
そもそも、別荘とはいえ三人で泊りに行くような間柄になっていたのに驚愕と共に、まさかそこまで親しくなっていたとはという焦りに襲われる。
俺の方が朱音と出会ったのが早いはずなのだが……
「うん、スキーするの。私、やったことないから、美智さん達が教えてくれるって」
「スキー……」
スキーは一応滑れるが、俺はスノーボードの方が得意。
「朱音! 俺、スノーボード出来るから良かったら今度――え」
ガタンという音と衝撃のせいで、俺の言葉が途中で遮られてしまう。
周囲を見回せば、今までゆっくりと移り変わっていた風景が固定されてしまっていた。
「なんだ?」
首を傾げれば、ちょうど観覧車のスピーカーから放送が流れた。
「お客様にご連絡です。ただいま観覧車は突風のため停止しました。席を立たずにしばしお待ちください」
さっきのは突風だったのかとぼんやり考えていると、ふとある人物のことが頭に過ぎってしまう。
――尊っ!?
確か、観覧車が苦手だっていっていたはず。
しかも、原因が突風で止まったから。
慌てて後方にある尊達が乗っている観覧車を確認するため振り返ろうとすれば、「匠君……」と弱々しい声音が聞こえて来たので意識を正面へと向ける。
すると、瞳に涙をいっぱい浮かべて戦慄いている朱音の姿が飛び込んできた。
――そりゃあ、朱音も怖いよな。
尊のことも気にはかかるけど、迷路の時などに感じた豊島さんの頼もしさもあって彼女がいれば大丈夫だろうという信頼がある。
そのため、俺は心の中で尊のことを頼むと任せることに。
「きっとすぐ動くよ。そっちに行くから待っていて」
俺は立ち上がるとゆっくりと朱音の方へと向かい、揺らさないように慎重に歩くと朱音の隣へと座る。
「ごめんね……」
「いや、全然」
「あのね……手……握ってもいい……?」
朱音の口からそんな言葉が出てくれて歓喜だが、状況が状況なので不安定な朱音の声が痛々しい。
朱音の恐怖が少しでも軽減されるように朱音の手を握ると、開いている手を伸ばして抱きしめた。
「大丈夫、風も弱まっているし。俺がいる」
「……うん、ありがとう」
朱音が身をゆだねるようにしたので、ポンポンと軽く宥めるように背を撫でた。
俺がすっぽりと包み込めてしまうほどの小さくか細い朱音の体で、今まで色々と重いものを背負ってきたのだろう。
早く軽くしてあげたいのに、まだ高校生なのが歯がゆい。
「……ん?」
何の前触れもなくジャケットのポケット内でスマホが震動し始めたため、俺は朱音を抱き締めていた手を離してスマホを取り出せばメッセージが一件届いていた。
それは豊島さんからだった。観覧車が止まったけど大丈夫? という心配してくれている内容で、あちらの様子も少し書かれている。
やっぱり想像通り尊が怖がったようだが、豊島さんによって落ち着いているらしい。さすが豊島さん。
ちょうどメッセージが読み終わると同時に、観覧車のスピーカーから放送が入る。
『お待たせいたしました。安全確認ができましたので、観覧車を操作致します』
放送を聞き、俺は席へと戻るべきかと考えながら視線を彷徨わせていると、「匠君」と朱音に声を掛けられた。
「ここにいて貰ってもいいかな……?」
そう簡単に切り替えなんて出来ないだろう。
動くとはいえ、朱音の表情はこわばったままだ。
「もちろん」
と言いながら、あれ? と、ここでふと気づいてしまう。
俺と朱音がまだ手を繋いだままでいることに。
――あっ、手を離すタイミングが! どうするべきか……朱音が特に何も言ってないから、まだもう少しこのままでいたい……
結局、俺達は手を繋いだまま空中散歩の続きを楽しんだ。
手を繋ぎながら二人でおしゃべりをしているなんて、傍から見れば恋人同士のようだろう。
もう少しだけ二人で一緒に居たいなぁと思っても、時間が来てしまい観覧車は地上に。
朱音と共に降り、邪魔にならないように乗り場の脇で豊島さん達を待っていると、「お待たせ!」と元気に右手を振る豊島さんと挙動不審な尊の姿が。
尊の視線は彼の右手に向けられている。
なんだ? と首を傾げ尊の視線を追い、俺は目を大きく見開いてしまう。
豊島さん達も手を繋いでいたからだ。
もしかして二人……? と思ったが、次に届いた豊島さんの反応に察した。
「いやー、びっくりしたね。観覧車が止まっちゃってさ」
「そ、そうなんだ。俺、軽くパニックになっちゃって豊島に励まして貰って……」
尊が繋いでいる手をちらちらと見ているのを見ると、どうやら俺達と同じ状況だったのだろう。
「あっ、ごめん。繋いだままだったね!」
尊の視線に気づいた豊島さんが手を離せば、尊はちょっと寂しそうな瞳をした。
――わかる、その気持ち!!
俺は未だに繋いでいる朱音との手へと視線を向ければ、気づいた朱音が「あっ、私もだね! ずっとごめんね」と手を離してしまう。
朱音さえよければ、俺はこのままでも……と思ったが、口に出せず。
トラブルはあったけど、こうして俺達四人での遊園地は楽しく幕を閉じた。
ここまでお読み下さりありがとうございました(*^^*)
これにて遊園地編は終わりです。
次から修学旅行編(朱音の誕生日)となります。