俺は朱音の方がタイプだ!
匠君が焼きそばを買いに行ってくれている間、私はパンフレットを眺めることに。
学祭を誰かと回ったことがないため、どこを案内したら楽しんで貰えるかなぁと思っていれば、すっとパンフレットに灰色の影が差してきた。
――匠君?
私は彼が戻って来たんだと思い、顔を上げて目を大きく見開いてしまう。
目の前には歳名高校の制服である学ランを纏った少年が三人立っているんだけど、彼らは私と同じ中学であり元クラスメイトだったのだ。
しかも、そのうち一人が琴音目当てで私に近づいてきた堤下君だった。
「露木さんだよね?」
「はい」
私は頷いた。
学祭だから不特定多数の人達が来るのは充分理解している。
まさか、声を掛けられるなんて思ってもいなかったせいで、どくりどくりと鼓動が大きく跳ね血の気が引いていく――
もしかして、見知った顔があったから声をかけたのだろうか?
どうしても過去のことを思い出してしまうので、あまり気分がいいものではない。
思い出したくない過去だ。私と優しく声を掛けてくれたり、仲良くしてくれていたのが琴音に近づくためだったなんて。
自然とパンフレットを握り締めている手に力が入り、紙がぐしゃりと音を奏でた。
「へー、榊西に行ったんだ」
「なんだよ、おまえ知らなかったのかよ」
「俺も知らなかった。だって興味ないし」
けらけらと馬鹿にするように堤下君達は笑い声を上げている。
彼等の様子から昔を懐かしんで声を掛けたんじゃないということは理解出来た。
きっとまた琴音の件に関してだろうと頭に過ぎれば、それが正解だと教えてくれる台詞が聞こえてくる。
「琴音ちゃん来ているの? 露木さんの教室に来る予定ある?」
「……わかりません。たぶん、私のクラスには来ないと思います」
「いやいやいや。わかるっしょ。妹なんだよ?」
妹が学祭に来るかを把握していなければならないのだろうか。
必ずしも姉妹間が仲良しというわけではないと思うのだけれども……
「琴音ちゃんに会いたいなー。絶対もっと可愛くなっているって!」
「六条院祭に行ったら会えるかも!? って思っていたんだけど、あそこ招待制だからさー」
「俺も伝手を頼ったんだけど、無理だったんだよね」
「露木さんに六条院祭の招待状を頼もうと思って中学のクラスメイト達に番号聞いたんだけど、わかんなかったんだよなー」
「えっ……」
まさか、私が知らないところでそんなことが起きていたなんて。
仮に私の電話番号を知っていたとしても、私は招待状を渡すことは出来ない。
申請は生徒や両親がするから、私にはどうすることも出来ないのだ。
琴音は何故か中学までの友人を誰も招待してないし、両親も良く知りもしない生徒の分の招待状の申請をすることはしないだろう。
身分証明書などの提示などもあるし、外部の人を招待して何かあれば招待した人の責任になるから。
「あの……琴音のことを私に聞かれてもわからないです。あまり仲がよくないので……」
「そんなことないでしょう? だって妹じゃん」
毎回思うのだけれども、どうして私と琴音の仲が良いと思うのだろうか。
校内で話していることもほとんどなかったはず。
「ごめんなさい。本当にわからないの」
私がそう告げれば、彼らは深い溜息を吐き出す。
「まぁ、いっか。今日は達也達のクラス遊びに行く予定だったし」
「そうだな。同じ学区だからそのうち見かけるかもしれないしさ」
私を偶然見かけたから琴音がいるかもという軽い気持ちだったようで、あっさりと引いてくれ私はほっと胸をなで下ろす。
「というかさ、露木さんって高校になってもやっぱり一人なんだな。中学も一人だったし」
「あー、そうだったそうだった! 勉強か本読んでいるだけだったな」
「人に囲まれている琴音ちゃんとは違ったよなー」
安堵したのもつかの間。嫌な気分にどんどん浸食され視界がだんだん沈んでいく。
日の差し込まない深い森に取り残されるかのような感覚に陥りかけると、「朱音!」と馴染みのある声で名を呼ばれたため私の心に光が射しこんで来た。
「匠君……!?」
弾かれたように顔を上げれば、肩で息をしている匠君の姿があった。
彼は私と視線が交わると腕を伸ばし、私の頭をぽんぽんと優しく撫でるように触れ微笑んだ。
大丈夫だと言葉をかけられなくても、匠君の存在と彼の仕草で体の強張りが取れ安心する。
「――で、朱音。この人達は?」
「中学の頃のクラスメイトなの」
突然現れた匠君の姿に、堤下君達は目を大きく見開いている。
「六条院生!」
「っつうことは、琴音ちゃんと同じ学校じゃん。なんで露木さんと?」
「あー、そういうこと。あれじゃね? おまえと一緒」
堤下君は「あー、それなら納得するなぁ」と言いながら匠君へと顔を向け、口を開く。
「無理無理、諦めよ。露木さんは琴音ちゃんへの紹介とかしてくんねーから。琴音ちゃん狙いで露木さんと仲良くしても時間の無駄だって」
「琴音……?」
匠君は眉を吊り上げ瞳を細め、今にも掴みかかりそうなくらいに激しく怒っているように感じる。纏っている空気がいつもと違って圧迫されそう。
彼は僅かに動かした手を強く握りしめ、鋭い刃物のような視線を堤下君達へ向ければ、爆発しそうな怒りを彼らも感じているのか顔を引き攣らせた。
「琴音狙いで朱音に近づいたことがあるのか……! 琴音が好きなら朱音を巻き込まずに自分で勝手にやれ。朱音を傷つけるな」
「お、お前だってそうだろうが」
「俺が琴音を? くだらない戯言だ。俺は琴音のことはどうでもいい。そもそも琴音を知ったのは朱音と出会ってからでその前は詳しくは知らなかった。名前を言われても顔が浮かばないくらいにな」
「琴音ちゃんだぞ? 学校でも人気で目立って可愛いのに知らないわけないだろ」
「それは中学までだろ? 六条院の女子生徒には、女王と姫と王子がいる。そもそも毎回何故朱音と琴音がセットなんだよ。琴音狙いって勝手に決めるな。俺にだって決める権利はある。琴音よりも俺は朱音の方がタイプだ! 朱音の方が断然可愛い。はっきり言って迷惑だ」
腕を組んだ匠君は堤下君達に向かってきっぱりと告げた。
――わ、私の方がタイプって言ったの……?
匠君の発言に対して、堤下君達と遭遇した時とはまた違った心臓の高鳴りを感じる。きっと真っ赤になっているって見なくても断言できるくらいに顔が熱い。
言われたのが初めてだったし、その台詞を聞けるなんて想像もしてなかった。
なので、動揺してしまい視界がくらくらしてきた時だった。
「ちょっとー。そこの学ラン三人組。うちの生徒に何か?」
という不機嫌さを含んだ少女の声が飛んで来たのは。
――この声は小鳥遊さん?
ゆっくりと顔を向ければ、クラスメイトの小鳥遊さんの姿があった。
腕には実行委員という深紅の腕章を付けている。
「露木さん、大丈夫? 他校生に絡まれているみたいって連絡が入ったんだけど。あっ、彼が噂の五王さん? クラスの売り上げ気になって、さっき教室立ち寄ったら聞いてさ。いやー、会えた良かったわ」
小鳥遊さんは匠君の存在に気づくと声音を変え笑い出す。
「五王ってまさか……」
「だったらどうなんだ?」
五王だと知った堤下君達は、ばつが悪そうに顔を顰め出す。
「露木さん、この人達を出禁にする?」
「はぁ!? なんでだよ。俺達いま来たばっかなんだけどー。友達のクラス行ってねぇし」
「あなた達がいま来たばかりとかこっちには一切関係ないしどうでもいいので。実行委員の仕事をするまでよ。一回目は要注意で済ませてあげる。ただし、二度目はないわ。何かあったらそっちの学校に連絡入れてやるから」
「……っ」
堤下君達はむすっとした表情を浮かべ小鳥遊さんの方を一瞥すると、舌打ちをして足早に校舎の方へ向かっていく。
それを眺めながら小鳥遊さんは「あいつら出禁にすれば良かった。忙しいのに騒ぎ起こしてめんどい」と言った。
「あいつらのこと忘れて、気分転換に美味しい物はどう? うちの部活の焼きそばでも是非。ハートの目玉焼き付いているんだよ。焼きそばのソースが代々の秘伝の作り方でさ、麺もわざわざ製麺所に特注でこだわっているんだ」
「小鳥遊さん陸上部だったよね」
「え、焼きそば……あっ!」
匠君は声を上げると、屋台の方へと顔を向けた。
私もその視線を追うと、ちょうど匠君のお父さんが白いビニール袋を手に持ち、私達の方へ向かっているところだった。
――匠君のお父さん来て下さっていたんだ!
「ごめん、朱音。俺、父さんに焼きそば任せて来ちゃったんだ。ちょっと行ってくる」
「うん」
匠君は小鳥遊さんに軽く会釈して挨拶すると、匠君のお父さんの方へ駆けだした。
「小鳥遊さん。ありがとう」
「いえいえー。私は自分の仕事をしたまでだから。でも、無事で良かった。結構他校生に絡まれている子達多くてさ。ナンパ目的で来ている人もいるし。仕事増えるから即出禁にして欲しいわー。露木さんも気を付けて……って、王子様いるから大丈夫そうだね」
小鳥遊さんの言葉に匠君の方を見れば、彼はお父さんと合流し何か会話をしている。受け取ったビニール袋を広げながら楽しそうにおしゃべりしていた。
「うん。いつも助けてくれてとても頼りになるの」
私は彼を見ながら微笑んだ。
匠君が来てくれた。王子様みたいに――
「いいねー。駆けつけてくれる王子。私は実行委員だから駆けつける側だよ。じゃあ、そろそろ行くね」
「うん、じゃあまたね」
小鳥遊さんが離れていくのと入れ違いに、匠君と匠君のお父さんが合流した。
「朱音ちゃん、ごめんね。間に合わなくて……」
眉を下げている匠君のお父さんに私は首を左右に振る。
「いいえ! 来て頂けて嬉しいです」
「ほんとごめんね。焼きそば食べる時間くらいはあるから、一緒に食べようね。美味しいからってオススメされたから僕の分の追加で買ったんだ」
「さっき小鳥遊さんから聞きました。麺もソースもこだわっていて美味しいって。目玉焼きがハートみたいです」
「そうなんだ。朱音、見てくれ。焼きそばに目玉焼きついているんだけどハートなんだ!」
匠君は満面の笑みを浮かべながら、手にしていたビニール袋を開いて私に見せてくれた。
中には焼きそばが入ったパックが三つ入っていて、ハート型の目玉焼きが存在を誇示している。
どうやって焼いているのだろう。型があるのかな?
「朱音と一緒に食べる焼きそばがハートってテンション上がるよな!」
時々、匠君は些細な事で子供っぽくなる時がある。
いつもの彼と違ってギャップを感じるため、そういう所が可愛いと思うし良いなぁって思う。
「匠のこういうところ可愛いよねー」
「はい! 可愛いし良いなぁと感じます」
「えっ!?」
匠君は裏返った声を上げてしまったので、私は首を傾げてしまう。
――どうしたんだろう?
「本当!?」
「うん」
「進展があったと言っても過言ではないよな。ハートの御利益か?」
と匠君は呟き焼きそばへと視線を向けた。




