温室(前編)
朱音視点で前編・後編。
音楽堂で匠君と別れた私は、美智さんと棗さんに六条院の案内を受けていた。
食堂で昼食を摂ったり、研究発表を見学したり……模擬店などがメインのうちの学園祭と違うし美智さん達の人気に驚き緊張したけど、二人のおかげで楽しむことができた。
その後、匠君が迎えに来てくれる時間が近づき、待ち合わせ場所であるサロンに移動しまったりとしている。
「そろそろお兄様が迎えに来てしまいますわ。どうして楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうのかしら?」
テーブル越しに座っている美智さんは片手を頬に添え、ふうっと深い溜息を零す。
サロン内は匠君のお父さんと一緒に訪れた時と違い、席がほどんと埋まり多くの人達で賑わっていた。
「本当だね。もっと早く露木さんに会いたかったな。こんなに楽しい時間を過ごせるのだから」
美智さんの隣に座っている棗さんが真っ直ぐ澄んだ瞳で見つめてきたので、照れてしまい直視することが出来ず。
「棗。女子生徒のハートなら構わないけど、対象者が朱音さんではお兄様が泣いちゃうわ」
「仕方ないじゃないか。本当のことなんだからね。美智にもっと早く紹介して欲しかったよ。しかし、匠兄さんの狼狽した姿を初めて目撃したけど、春ノ宮家のご当主とそっくりだったね」
クスクスと笑っている棗さんに対し、美智さんが同意するように首を縦に動かす。
「私もお祖父様があんな風になるんだって初めて知ったの。お兄様、絶対にお祖父様の血を強く引いているわ」
美智さんは手元にあるチョコレートパフェをスプーンですくいながら言った。
二人の言う通り、私も匠君のお祖父さんと匠君はそっくりだって思う。
「露木さんが食べているケーキおいしそうだね」
「はい、美味しいです」
棗さんの言葉に手元へと顔を向ければ、苺のシフォンケーキがあった。
生地の中にドライ苺が入っていて、トッピングの生クリームにはソースがかけられ生の苺ものせられている。
「よかったら一口ちょうだい」
棗さんは少し前に体を向けると唇を開いたので、ちょっと驚いてしまう。
もしかして食べさせて欲しいってことかな? と思い、私はケーキを一口サイズに切ってフォークですくい口元へと運ぼうとすれば、「もうそこまでの関係にっ!?」という絶叫に近い声により私の手がぴたりと止まってしまう。
この声って……と、声の主に聞き覚えがあったため左手を向けば、想像通り匠君の姿が。
「あら、お兄様。相変わらずのタイミングの良さというか……」
「ど、どっ、どういう展開になれば短時間で親密さが進展するんだっ!? なんて羨ましい!!」
「普通に一口ちょうだいって言っただけだよ。匠兄さん、生徒会の仕事お疲れさま」
「あぁ、お疲れ。朱音の件では世話になったな」
「いいよ、僕も楽しかったから。ねっ、露木さん。今度一緒に遊ぶ約束したんだよね」
「はい!」
棗さんに微笑まれ、私も笑みを浮かべた。
「棗のコミュ力の高さに動揺が抑えきれない……進展が早すぎる……」
匠君はそう言いながら、空いている私の隣へと座ったかと思えば、私が手にしているフォークをじっと見ている。
「疲れた時って甘い物食べたくなるよな!」
「何か注文する?」
私が端末に手を伸ばせば、「一口だけ食べたいだけだから大丈夫」という返事が聞こえた。
「お兄様の唐突なアピール。棗の存在が強かったようですわね」
「いいだろ、別に」
匠君は美智さんの言葉に不機嫌そうに眉をぴくりと動かせば、そっぽを向いてしまう。
――疲れると甘いものを食べたくなる人っているよね。匠君もそういうタイプの人なのかも。一口なら……あっ、でも私のじゃなくて美智さんの方がいいかな? 兄妹だし。
ちょうど美智さんも甘い物・パフェを食べているため、私は美智さんの手元へ視線を向ければ、「苺が食べたい」と匠君が言った。
「苺?」
と首を傾げて匠君の方へと顔を向ければ、頬の血色が良くなっているようでほんのりと赤い。
苺に興奮しているのだろうか。今度、匠君の家に何かお菓子を持って行くときは苺のものにしようと頭に過ぎった。
「匠君、良かったら食べる……?」
「いいのかっ!?」
ぱあーっと顔を輝かせた匠君。
小さな子供が強請った玩具を買って貰えた時の様に良い笑顔だ。
きっとすごく苺が食べたかったのだろう。
どれくらい食べたいのかわからないので、皿ごと彼の方へと差し出そうと手を添えた瞬間、匠君が身体をこちらに向け唇を開く。
――うちの学校でも回し飲みとかしている子達もいるけど、六条院でもあまり変わらないのかな? 棗さんもそうだったし。
豊島さん達とみんなで違うクレープ注文した時、一口頂戴と回して食べたことはある。だから、私はある程度仲が良い関係ならあまり気にするタイプではない。でも、異性とは初めてだ。しかも、食べさせるなんて。
――私が気にしすぎなのかな? ちょっと女子同士と違って恥ずかしい。どうしよう……急に意識しちゃったら顔が……
過剰に反応してしまっているのか、顔が熱い。
それでも不自然にならないように苺の刺したフォークを端正な顔立ちをしている匠君の口元へと持って行けば、ぱくりと食べた。すると、周りが騒がしくなってしまう。
波紋のように広がるざわめきに、私は体が大きくビクついてしまった。
「もしかして、いつもあんな風に!?」
「えぇ、そうでしょうね。だって、美智様や棗様も普通にしていますし、流れるように自然な動作でしたもの。羨ましいですわ!」
近くの席の人達の言葉しかはっきりとは聞こえないんだけど、私が匠君に食べさせたことを言っているようだ。
「えっ……」
「気にしなくていいよ。匠兄さんが目立つだけだから。なんせ、六条院の獅子王だからね。そう言えば、美智に食べさせて貰った時も凄かったよね。サロンにいた子達に写真撮られたりしてさ。写真は美智の親衛隊に強制削除させられていたけど」
「棗が六条院の王子様だからでしょう」
「美智だってそうじゃないか。六条院の女王様」
「お兄様が幸せそうで何よりですわ。勇気を出したかいがありましたわね」
美智さんの言葉のとおり、匠君は顔を緩めておいしそうに食べている。
「朱音が同じ学校ならこんなことが毎日……!!」
「そうなったらお兄様、棗のことでハラハラとしてそうですわ。そしてお祖父様も毎日六条院に通ってこっそり柱の陰に隠れてお兄様を見守ってそうですわね」
「その件についてなんだが、お祖父様は一体どうしたんだ? 急に俺を応援しまくって。ああいうキャラじゃなかったよな」
「私も不思議に思っておりましたの。だって、お祖父様ったら私達に着いてくる予定でしたのよ?」
「えっ!? それでお祖父様達は?」
「お祖母様が止めて下さったので大丈夫です。朱音さんと一緒にお見送りしましたので安心なさって」
私は匠君のお祖父さんがいてもよかったけど、お祖母さんが「若い子達の邪魔をしてはだめよ」と連れて帰ってしまった。
どうやら匠君のことが心配だったらしく、「匠がいない今、わしが!」と。
「応援してくれるのは嬉しいけど、どうしたんだろうなぁ。後でお祖母様に電話してみるよ。今日のお礼もあるし」
「その方がよろしいかもしれません。お話は変りますがお兄様。朱音さんをご案内なさるのはどちらに? 私、友人達の部活発表は見学致しましたので」
「被らないから大丈夫だ。温室に行く予定だ」
「六条院って温室もあるの?」
私は首を傾げながら彼へと顔を向けた。
「あるよ。食堂の傍にあるのは学校管理だけど、俺が行こうと思っているのは植物研究部が管理している所なんだ。うちのクラスに部長がいて、ちょっと借りられることになった。そこで少しゆっくり話しをしようと思うんだけど、朱音他に行きたいところとかある?」
「ううん。匠君にお任せするよ」
「そっか、よかった」
温室は行ったことがないので、ちょっと楽しみだ。
テレビで見た植物園は鳥がいたけど、さすがに学校内にはいないだろう。
しかし、温室まであるなんて六条院内は広いだけあって色々な施設があるんだなぁと感心した。




