彼女の王子の座
健斗のお蔭で朱音との演奏会を一緒に見る事が出来るようになった俺は、祖父達と共に音楽堂の中へ。
まだ開演前のためかホールには友人同士でおしゃべりをしたり、家族と写真撮影したりしている生徒達で溢れていたのだが、事前に朱音が連絡していたようで人で賑わっている講堂内でも朱音の両親はすぐに見つかり合流することが出来た。
二人が待っているホールの端にある二階席へと続いている階段付近に向かって足を進めれば、若干緊張した面持ちの様子が窺える。もしかしたら、春ノ宮の祖父達がいるせいだろうか。
「お父さん、お母さん。電話で少しお話したとおり、匠君のお祖父さん達にお世話になったの」
朱音の言葉に彼女の両親が深々と腰を折った。
「朱音がご迷惑をお掛けして申し訳ありません……まさか、五王家だけではなく春ノ宮家にまで面倒をお掛けするなんて……サロンにまで招待して頂いたと……」
「いや、何も迷惑なんぞかけておりませんぞ」
「えぇ、そうです。露木さんとのお茶会はとても素敵な時間でしたわ。それに、迷惑かけたのはこちらです」
と、祖母がちらりと祖父の方を見たのだが、一体何があったのだろうか。
うちの学校はセキュリティ面でも強化されているので、監視カメラの映像が残されているはず。今すぐそれを確認したい衝動に駆られてしまった。
――おいおい。お祖父様が俺の恋愛をゴリ押しするのはサロンで何かあったからなのか? 後で、お祖母様に探ってみないと。
「本当に申し訳ありません。朱音は何も出来ない子でご迷惑を。琴音ならどこに出しても恥ずかしくないように育てましたので心配は不要なのですが、朱音ではとても……」
「朱音では五王家や春ノ宮家のような方達には不相応でして。琴音ならば教養もありますし、よき友人としてお付き合いが出来るので安心なんですが」
朱音の両親は俺達が挨拶に行った時のように、似たようなニュアンスで琴音のことだけを褒めている。
二人共憂いを帯びた瞳で頬に手を当てため息交じりで朱音を見ているのだが、相変らずだなと思った。病的過ぎる。
あからさまに朱音を卑下にする台詞に対して祖父達は違和感を覚えたらしく、纏っていた空気ががらりと変わっていく。
表面上はさきほどのままだが、俺は身内だから理解出来る。
――『親』ってなんだろうな。
朱音の両親を見ていると時々考えてしまう。
ただ一つだけはっきりと言えて感謝することは、朱音の両親がいなければ朱音と出会うこともなかったということ。……なので複雑な気分になる。
俺が聞いていても黒い感情に包まれ嫌な気分になるのだから、当事者である朱音は想像を上回るものだろう。これが毎日だ。
朱音の心情を察すると胸が痛む。
離れた方が良い。それは十分理解していて一刻も早く引き離したいのに、まだ俺は高校生のため自立出来てない。早く大人にならなければ――
朱音へと視線を向ければ、手をきつく握りしめ眉を下げていた。
俺は朱音の頭へと手を伸ばして梳くように撫でれば、彼女は目を大きく見開いて俺を見上げた。
「匠君……?」
そんな朱音俺は微笑むと、朱音の両親へと顔を向ける。
「朱音さんはきちんとしていますので心配は不要です。うちの祖父達も朱音のことは大好きですし。むしろ、色々と心配するべきは琴音さんの方だと思いますが。もっと色々見て下さい」
絶対に届かないとわかっているけど、ほんの少し希望を求めて口にした言葉。
けれども、やはりそれは朱音の両親には無意味なものだった。
「琴音なら大丈夫ですよ。あの子はとても才能のある子ですから。今回もきっとすばらしい演奏を――」
「果たしてできるのでしょうか?」
突然割って入ったのは聞き覚えのある声だったので振り返ってみれば、想像通り妹の姿が。その隣には六条院の王子様であり美智の親友でもある棗もいる。
「ご無沙汰しております。朱音さんのお父様、お母様」
「ご、ご無沙汰しております。さきほどの言葉は一体どいう意味なのでしょうか……?」
突然現れた美智の存在と不穏な台詞に、朱音の両親は動揺を隠しきれず声が震えている。
「音楽は心から奏でるもの。心に波があれば不協和音となりますわ。果たして演奏が出来るのかどうか。心配ですわね」
「もしかして琴音ったら体調でも悪いのかしら? あなた」
「あぁ」
美智の言葉に朱音の両親は顔を真青にし、慌てて簡単な別れの挨拶をすると、すぐに場を立ち去った。
『娘』として心配なのか、それとも以前父が言っていた『変身ベルト』として心配なのか。琴音のことはあまり同情できないが、娘が心配という部分が微塵もなければ不憫だとは思う。
「お兄様! なんども連絡したんですよ? 私だけではなく、お祖父様達も!」
眉を吊り上げた美智は、仁王立ちになりながら俺の前に立った。
「悪かった。忙しくてスマホ鞄に入れっぱなしだったんだよ。次から気をつける」
「まぁ、いいじゃないか。美智。もう過ぎ去ったことだ。それにそのお蔭で僕は露木さんと知り合えたんだから。ね?」
「ちょっと待て棗! 何、軽々しく朱音の肩に手を回してんだよっ!? 俺だって……!」
「俺だってなにかしら~?」
美智はいつものようににやにやとしながら俺に訊ねてきた。
うちの家族は俺をにやにやして楽しんでいるのか! と叫びそうになったら、視線の端にもう一人にやにや隊が増えているのに気付く。
――春ノ宮の祖母までっ!?
まさか祖父もかと思い顔を向ければ、「そ、そう簡単に女性の肩に手を回すのは如何なものか?」と言って「僕も性別は一緒ですよ」と棗に言われていた。
棗の家とも春ノ宮家は懇意にしているというか、隣なので昔から棗のことも知っているが棗を男として接してしまっているようで俺以上に焦りが窺える。
――本当にどうしたんだ? 俺が焦るならわかるが祖父が……?
「お兄様、これからずっと朱音さんといられるのですか?」
「そのことなんだが、今は健斗のお蔭で一緒にいられるんだ。健斗が自分の休憩時間を俺にくれて」
「まぁ! 健斗様が?」
「あぁ、だから演奏会終わったら戻らなければならない。俺の休憩まで朱音のことを頼みたいのだがいいか?」
「あの……私、どこかで……」
美智は不安げにしている朱音へと手を伸ばしぎゅっと抱きしめた。美智も朱音と六条院祭回りたかったようで、顔を輝かせている。
「美智さん?」
「ふふっ。朱音さんと一緒に六条院祭を楽しめるのね! お兄様ばかり朱音さんと楽しむなんてずるいと思っていたから嬉しいわ!」
「僕も仲間に入れて欲しいな」
と、棗が朱音と美智を一緒に抱きしめ始めたのだが、仲が良いことは良き事だがどんどん俺が追い詰められている気がする。
俺と朱音の距離が縮まれば、周りも縮まる上に好感度も上がっていく。
特に美智。朱音の王子役はたとえ妹といえ渡すつもりはない。
「匠兄さん。姫君達のエスコート役と護衛は任せてくれ」
「騎士止まりで頼む」
「騎士かぁ。露木さんの王子はもういるのかな?」
「王子?」
棗の問いに首を傾げた朱音が美智をちらりと見たのは気のせいだろう。幻覚だ。絶対に!
俺はじわりじわりと背中に美智の影を感じてしまっていた。
「つ、露木さん。王子は傍にいるとは思わないか? ほら、すぐそこに」
祖父の言葉に、朱音は再度美智を見てしまったのが決定的な瞬間だった。
やばい。このままだと美智が朱音の王子になってしまう!!
「朱音。ちょっと大事な話がある」
「大事な話?」
「俺が朱音の王子に立候補してもいいか?」
「あら? 王子って立候補制ですの?」
おい、美智。普通に聞いただけだよな? 挙手しないよな?
押すなよ押すなよじゃないぞ!
瞳でそう訴えれば、美智が肩を竦めてしまう。
「朱音。王子が姫を守る様に、俺は朱音の傍でずっと守っていきたいんだ。だから、王子役は誰にも渡したくない。立候補してもいいか?」
「私がお姫様なんてとても……」
「朱音は世界中でたった一人だ――」
これからだという時だった。周辺を包み込むようにチャイム音と共に校内放送が入ったのは。
『放送部からのご案内です。まもなく音楽堂にて音楽科の発表会が~』
「放送部っ!!」
俺よりも早く祖父がツッコんでしまったので美智が「あら、お祖父様もツッコみを入れるのね」と呟かれていた。
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ステージ上からピアノの軽やかな旋律が空間を包み込み、座席に座っている俺達へと届いてきている。
席に祖父、祖母、朱音、俺の順で四人並んで座り、すでに始まった音楽科の演奏を聞いているのだが、正直演奏よりも隣の朱音が気になって仕方がない。
何度も足を訪れた音楽堂だが、こんなにも近かったのか? と思ってしまうくらいに――
最初は緊張気味だった朱音だったが、幕が上がると演奏へと集中していった。
さすがはクラスでも選ばれた者達だけあり感情を揺さぶる演奏。
琴音をはじめとして若干名ほどリズムが狂い調子悪そうな者達がいたので、美智達によってお灸をすえられた奴らの顔がわかったのでチェックしている。
やがて演奏も終盤に入り、美智達の番が。
ステージに堂々と現れた美智と棗の姿を見た朱音が顔を輝かせたのに対して、ちょっとだけ動揺が走ってしまう。
きっと美智と棗ファンも朱音と同じような反応をしているはず。
例年ならば生徒よりも保護者が多いはずなのに、今年は生徒の割合の方が高いし、二階席末まで埋まった上に立ち見までという盛況ぶりなので二人目当てが多いはずだ。
なんせ、六条院の女王と王子で三大派閥を持つ者達だから……
――美智はピアノで棗はバイオリンか。ん?
バイオリンを持っている棗がふとこちらを見たので、俺は意識を奪われてしまう。
なんだ? と思っていると、ふわりと微笑んだ。それには会場から黄色い悲鳴が上がり、異例の注意を促すアナウンスが流れてしまった。
――俺に? いや……違うな。もう少し……って、おい! まさかっ!?
視線は俺よりもわずかに左に向かっていて、座席は朱音がいる場所だ。
急ぎ朱音の方へと顔を向ければ、きょとんとしていたがやがて照れたような仕草をしてため衝撃が走ってしまう。
――おい、ライバルキャラ増えてないかっ!?
俺の周りはどうして朱音の好感度が高い者達ばかりなのだろうか。いや、それは全然俺としては嬉しいけど、俺が埋もれてしまわないか心配になってしまう……
しかも、朱音がこんな反応をするなんて。
「ど、どういうことなんだ……? 棗の王子様に当てられてしまったのか……?」と、彼女へと手を伸ばしかけた手が大きく振るえている。
けれども、それが朱音へと触れることはなかった。それは朱音と祖母を通り越して、祖父と目が絡み合ってしまったせいで。
「お」
上がりかけた声を押し殺したため、言葉が放たれることにはならず。
お祖父様は顔を強張らせ、俺と同じように前かがみになり朱音へと手を伸ばしかけていて、傍で祖母が口元を覆って笑いを堪えていた。
――さっきも思ったけどなぜ、お祖父様が俺と同じ反応を!?
と、思った時に演奏が始まった。
だが、朱音のことが気になり過ぎて正直演奏が耳に入って来なくて気がついたら演奏が終わり周りから溢れんばかりの拍手で称えられていた。
恋愛面は少しずつと思ったけど、やっぱり時には押しも必要なのかもしれない。
このままでは朱音の王子様が美智や棗になってしまうではないか。
朱音の王子様は誰にも譲らない! と改めて強く決心した。
王子への立候補はかき消されたので、どこか二人っきりになれるところで話をするべきだ。スローペースで頑張ると決めていたが、恋愛は押す時は押さねばならないのかもしれない。
――しかし、二人きりになれる所ってどこだ? 生徒会室なら個室だけど役員以外入室禁止だし。
俺は急ぎ頭の中で構内図を描き密室になれる場所を探しまくった。




