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琴音

食事の後、少しばかりお茶を飲みながら話をし、匠くんのお父さんに送って貰って家路についた。

私が暮らしている家は、ハウスメーカーの建売分譲住宅地の一角。

そのため、この周辺は家々が密集。

徒歩八分ぐらいでコンビニや駅があり、立地条件が良いのが売りだそうだ。


そんな住宅地にある、『露木』という表札が掲げられている煉瓦塀の前に私は佇んでいた。

その奥には長方形の箱のような外観を持つ建物。そしてその隣には駐車スペースがある。

今はお父さんの車はないから空いている。けれども、匠くんのお父さんの車は駐車スペースではなく、家の脇の道路に停車。シルバーのため闇夜に染まり、あまり目立たず。


ただ、ハザードランプだけがカチカチという不規則な音を奏で、地面にオレンジとイエローの中間の光を点滅させていた。

その車の前には匠くんのお父さん、それから匠くんと美智さんが。

私はというと、そんな彼らよりもわずかばかり前にいた。


私達が見上げる家には明かりが灯されておらず、家族がまだ帰宅してないことを告げている。

今、何時だろう? と、鞄からスマホを取り出し見れば、時刻は八時半を少し過ぎたばかりだった。

この時間でも帰宅してないということは、もしかしたら買い物をしているのかもしれない。


「……どうやら不在のようだね」

その投げかけられた言葉に、私は振り返り匠くんのお父さんへと顔を向ける。


「一人で大丈夫かい?」

「大丈夫です。慣れていますので。今日は送って頂きありがとうございました。お食事もごちそう様でした。それに絵本も……」

「こちらこそ、うちに来てくれてありがとう。絵本気に入ってくれて嬉しいよ。三冊で足りるかい?」

「はい。全部大事にします」

私は手にしている深紅の紙袋へと視線を向ける。

この中身は匠くんのお父さんが描いた絵本。

最初は匠くんに貰った1冊だけが入っていたんだけれども、匠くんのお父さんが、「あと、五冊! いや、せめてあと二冊持って行って!」と追加され計三冊に。


「はぁ!? 渡したのかっ!?」

「ちょっとお待ちください。どういう事ですのっ!?」

どうやら匠くん達は知らなかったようで、目を大きく見開いたかと思えば、眉を吊り上げた。

そして、二人はキッと匠くんのお父さんを鋭く睨むと、そのままガシッと匠くんのお父さんの腕を掴んで「また暴走して!」「何を考えているんですか!」と揺すり始めてしまう。


「あの絵本を三冊もなんて場所とるし不要だろ」

「お兄様のおっしゃる通りですわ。お父様。朱音さんの迷惑になるような事はやめて下さい」

「ねー、酷くない? 朱音ちゃん。いつもこうなんだよ。反抗期なのかなぁ? それに、絵本は元々二人のために描いたのに。それなのにこの子達、中身ぱらっと一回見ただけ。……ねぇ、待って。ほら、二人してそんなに強く掴んだらスーツが皺になっちゃうよ。朱音ちゃんの前でかっこいい大人でいたいのに~」

そう愚痴っぽく言いながらも、どこか愉しげな表情を浮かべている匠くんのお父さん。

それを見て、あぁ親子なんだなぁって思った。

なんだかんだ言いながらも、匠くんも図書館で絵本を読もうと思っていたし……


絵本のクオリティは然る事ながら、絵本を二人のために描いたという愛情は伝わっている。だって、あんなにも楽しそうに描かれているのだから。


――……羨ましいなぁ。


浮かんだそんな感情。

諦めているはずなのに、ふとした瞬間に胸を過ぎってしまう時がある。

もうお父さん、お母さんと縋り付く年齢ではないのに。


「いい加減にしなさい、二人共」

「誰のせいだと思っているんだ!?」

「ほら、近所迷惑だよ。朱音ちゃんに迷惑かけちゃうからさ」

「……それは困る」

「えぇ、それはちょっと……」

「ほんと、ごめんね。こんな騒がしい二人で。出会ったのも縁だと思うので、良かったらこれからも二人をよろしくね」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

「絵本第二弾作ることにしたから、原案完成したら見せるね」

と、匠くんのお父さんが告げたんだけれども、その時の匠くんと美智さんの表情。それがなんともいえず……


「さぁ、朱音ちゃん。そろそろ中へ入ろうか。風邪ひいちゃう。桜が散った頃だと言っても、まだ夜風が寒い季節だからね」

「はい。今日は本当にお世話になりました。匠くんと美智さんもありがとう」

「なんだか最後まで煩くて悪かったな。またうちに来てくれ」

「えぇ! 是非! 甘味処も一緒に行きましょうね!」

「はい」

「後で連絡致しますわ。その時、朱音さんのご予定をお伺いいたしますわね」

「俺も後で電話するから。あと、それから図書館のあの部屋も好きに使ってくれて構わない」

「え? でも個人席空いているから大丈夫だよ?」

「いや……その俺も行くしさ。六条院から近いから結構頻繁に……って、なんだよ?」

匠くんは言葉尻を弱め機嫌の悪そうな表情を浮かべながら、顔を自分が立っている左側へ。

そこには匠くんのお父さんと美智さんがいるのだけれども、二人共口元に手をあてそっぽを向いていた。その肩は小刻みに震えている。


「なんでもありませんわ」

「そうそう。なんでもないって。五王の図書館なんて、年に数回しか行かないくせに~。とか思って無い。本当に思ってないって! 全然思って無いからっ!」

「その言い方なんだよっ!? 朱音の前で止めろって!」

「あっ、朱音ちゃん。僕、将来お父さんになるかもしれない。よろしくね」

「え? えっと、それはどういう……?」

もしかして、匠くんに妹か弟が出来るという事なのだろうか?

でも、それなら将来ってつかないだろうし……


「その時が来たら改めてご挨拶するね」

匠くんのお父さんの言っている事はよくわからないけれども、私は「はい」と頷く。

すると匠くんのお父さんは匠くんの腕を軽く肘で小突きながら、「ねぇ、無意識? それとも意識しているの?」と告げ始めてしまう。

だが、その一方の匠くんの顔が凄く険しい。

鬱陶しいと思っているのが、言葉として音を放たなくても垣間見られるぐらいに。


「……朱音。父さんの言っている事は気にしないでくれ。いや、もうスルーして。それより、風邪ひくと悪いから入った方がいいから」

「でも、お見送りするよ」

「いや、それは気にしなくていい。俺達は朱音が家の中に入ったのを確認してから帰るよ」

「でも……」

「危ないから駄目だ」

「そうですわ。さぁ、家の中へ」

美智さんと匠くんに促され、私は首を縦に動かし、三人にお別れの挨拶をし玄関へと向かった。

本当にいいのかな? という思いを抱きつつ、鞄から鍵を取り出し、差し込み施錠を外す。

するとガチャンという音が響いたので、私はまた道路側へと体を少し向け三人に手を振る。


「またな」

匠くんの言葉に私は「うん、またね」と返事をすると、深々とお辞儀をし、玄関扉の取っ手を掴んで引き、中へと足を踏み入れる。

真っ暗な空間の中でひっそりと静まりかえった玄関内。まるで世界と切り離されたかのように、自分以外誰の存在も感じない。洞窟の中のように、冷たく圧迫されているかのよう。

いつもは一人で帰宅すると、こういう雰囲気が苦手だった。

けれども、今は不思議な事に心が穏やかに落ち着いている。






「あっ……」

ドライヤーで髪を乾かし終えると、玄関付近が賑やかになっていたのに気づいた。どうやら両親と琴音が帰宅したようだ。

匠君のお父さんに送って貰ってから、一時間ぐらいは経過しているはず。

……ということは、九時半過ぎという所だろうか?


私は使い終わったタオルを洗濯籠に入れ、そのまま洗面所の扉を開け廊下へと出て電気を消す。

そして左側――玄関の方を見た。

するとやはり三人は今戻ってきたようで、満面の笑みを浮かべながら楽しそうに何か話をしている。


「……お帰りなさい」

「なんだ、朱音。下にいたのか」

「うん。お風呂入っていたから」

お父さんの言葉にそう返事をし、私は右手にあるリビングへと向かう。喉が渇いたので、水を飲むために。

すると、その廊下を歩く私の足音に別の足音が混じりあい、不協和音を奏でているのに気付く。


足音というものは、結構個性が強い。

一緒に暮らしていると、誰の足音かというのが瞬時に判断出来てしまうほどに。


どうやらこれは琴音の物のようだ。

軽やかで足音がほどんど出ていない。


リビングへと辿り着き電気を付ければ、明るくなった室内にちょうど廊下側から人が現れた。

それはやはり琴音。緩く巻き上げられた髪に飾られているパールの髪飾りが、夜空に輝く星々のように光を放っている。

そして彼女が身に纏っているものは、淡いピンクのAラインドレス。

ふわりと裾が広がっており、絵本から飛び出たお姫様のよう。

腰元部分はリボンで絞られ、琴音のウェストの細さが強調さていた。


――相変わらず可愛い。


小動物を思わせる大きな瞳は長いまつげで縁取られ、鼻は高くスッとしている。

それから薄めの艶のある唇……それらは全てのパーツが精密に作り込まれ、全部合わさり可愛さを表現しているかのようだ。


「ねぇ、見て! これっ!」

そう言いながら琴音がこちらに翳したのは、手にしていた紙袋。

それに記されている店名は、流行に疎い私でも知っている有名なブランドの物。


やはり、買い物をしてきたのか……


「ピアノの演奏が上手に出来て、先生が褒めて下さったの。それを聞いたパパ達が、琴音にプレゼントしてくれたんだ~」

「そう。よかったね。琴音は練習いっぱい頑張っていたから」

「え~。それだけ? リアクション薄い~。本当にお姉ちゃんって、おもしろくないよね。だから友達出来ないんだよ」

「……ごめん」

なんと言えば正解なのだろうか。

思っている事を素直に告げたけれども、また駄目だった。

琴音がピアノを頑張っているのは、私も十分に理解している。

だから、そう告げたのに。


いつもこうだ。どうして、私はいつも……


でも、匠くんや美智さんと話した時はこんな劣等感は感じなかった。

きっと、こんな一緒にいてもつまらない私に気を遣ってくれていたのだろう。

彼らは優しい。

まだ出会って数時間しか経過していないけれども、それでも彼らの人柄に触れ、そう感じ伝わったのだ。


「まぁ、いいや~。それより、何か喉が渇いちゃった。お姉ちゃん、何か飲むんでしょ? なら、ついでにオレンジジュース飲みたいから用意して」

「え? オレンジジュース?」

そんなの冷蔵庫に入っていただろうか……


私は時々料理をする。

それは仕事で遅くなったお母さんの代わりに夕食を作るためだ。

琴音が外で食べる時はお弁当を買ってきたりする事が出来るけれども、それ以外は必ず手作りしなければならない。お母さんに琴音には栄養のある食事をと言われているから。


時々、カップ麺でいいんじゃないかなぁ? って思う時がある。

それに作っても琴音に「お姉ちゃんと同じで地味すぎ」と言われてしまうし。


昨日はお母さんが遅かったから、私が夕食担当。

その時は冷蔵庫にオレンジジュースはおろか、ジュース類なんて入っていなかったはず。

でも、もしかして琴音が買って来ているかもしれない。

……そんなことも考えられるので、一応開けてみて確認を取ることに。


「やっぱり、入ってない」

冷蔵庫を開け、さっと中を見渡す。けれどもやはり、飲み物はミネラルウォーターと牛乳、それからビールなどのアルコール。

ジュース類は一切見当たらず。


「琴音。やっぱりジュースないみたい。水か牛乳ならあるわ。それか、紅茶と緑茶なら茶葉があるけれども……」

冷蔵庫を閉め、琴音の方を見た。

彼女はキッチンカウンターにもたれ掛かるようにし、不機嫌そうな表情を浮かべている。


「えー。オレンジジュースが飲みたいの!」

「飲みたいって言われてもないよ」

「買って来て」

「え? 今から? 私、お風呂上がったばかり……」

春だとは言え、まだ夜風は体温を奪うぐらいのレベル。

だから、湯冷めして風邪を引いたら色々と困ってしまう。

なので、可能ならば行きたくはない。


「だから? 琴音が飲みたいのは、今なの」

「でも……」

「行ってきて。お姉ちゃん、暇でしょ? 発表会で疲れたんだってば」

「明日の朝じゃあ駄目かな?」

「いいじゃん別に。コンビニ近いんだから。徒歩八分だよ? 自転車ならすぐじゃんか」

「……わかった」

きっと絶対に引かない。飲みたい。食べたい。琴音のそれは絶対。

そう学習している私は白旗を掲げると、そのまま着替えをするために上へと向かった。




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