新学期になって帰ってきたあの男
楽しかった夏休みもあっという間に過ぎ去り、新学期となった。
今学期は六条院祭も開催されるため、俺というか生徒会は一段と忙しくなるだろう。六条院祭は生徒会が中心となり纏めなければならないのでより一層の連帯と責任を持たなければならない。
はずのだが――
「夏休みの間って本当に寺生活していたのか? って、くらいにいつも通りの健斗なんだけど。健斗も生徒会役員だから模範にならなければならないはずだよな」
六条院の食堂・特別席の定位置にて。
俺のテーブル越しに座ってビーフカレーを食べていた尊は、スプーンを置き、ため息を吐き出すと顔を上げて右手にある中二階席を眺めた。
彼の視線の先を見なくてもどこを見ているのか手に取るように理解出来る。
それはきっと健斗がいる所だろう。
女子数人と食べているらしく、ここまで賑やかな声音が届いてきていた。
俺も尊に続くように顔をそちらへと顔を向ける。すると、健斗と彼を囲むようにして席に座っている女子生徒の姿があった。
夏休み前は坊主に近かった健斗の髪だけど、今は少し伸びてチェリーレッドのように茶色がかった赤に染めている。本人曰く、「苺みたいで可愛いでしょ?」と言っていたが苺要素が全く見当たらない。
「いつも通りじゃなくてバージョンアップしているな。やたらと今日は女子多いし」
健斗はいつも女子達と食べる時は個室を使用するのだが、今日は人数が多いらしく広々と使用できる二階席の奥を使用しているようだ。
大抵、昼は三~六人ぐらいで食べているのに、今日は倍の十二・三人くらいと大人数のため、騒ぐ声も一際賑わっている。
二階席にいる生徒達は時折、健斗の方をちらちら見ているが誰も注意しない。いや、出来ないのだ。
どうしても家同士の関係を考えてしまうから六条院内ではパワーバランスが崩れやすい。そのために何かあればすぐに介入できるように派閥が関係ない中立の立場として学校側から選ばれた生徒会の存在がある。
……まぁ、皮肉にも騒いでいるのがその生徒会役員なのだが。
「うん、僕もそう思う。あんなに騒いで他の生徒もいるっていうのに周りが迷惑だよ」
俺の言葉に同意するように尊の隣に座っていた隼斗が唇を開いた。
「健斗の性格からして規律ばかりで修行僧のような寺生活から、身も心も解放され羽目を外しているんでしょうね」
臣の核心を得た言葉に全員頷く。
「そう言えばいつも美智ちゃんって二階を使っているよね。美智ちゃんが来る前に静かにさせた方がい……あ、来ちゃった」
隼斗の言う通り、美智が棗達を引き連れやって来た。
俺は一階だが、美智はいつも上を利用しているから何ら不思議な光景ではないけど、今は健斗がいるので問題となってしまう。
夏休み前にあった騒動で美智の健斗に対する好感度が下がりっぱなしだと思うし、今回も周りを考えずに騒いでいるからだ。
案の定、美智達は奥で騒いでいる健斗達を見るや否や、顔を険しくさせた。
「注意して来た方がいいよな。行って来るよ」
食事は楽しくと言っても限度があるし。
俺が立ち上がりかけると、「待って下さい」と臣に制止されてしまう。
「美智さんと才賀さんが健斗の元へ向かいました」
「ん? 美智と棗が……?」
臣の言葉に健斗の方へと視線を向ければ、美智達が健斗の傍に立っていた。その口元は動いているため、何かしゃべっているらしいがここまで聞こえないが注意していると想像できる。
やがて話も終わったようで健斗の周りにいた女子達は顔を強張らせたまま立ち上がると美智達に向かって一礼をしたが、健斗はヘラッとして唇を動かしている。
――健斗のことだから「えー、なんで怒るの? わいわい食べた方が美味しいじゃん」と言っているのだろう。付き合いが長いせいか手に取るように理解出来てしてしまうな。
美智と棗はそんな健斗を刺すような目で一瞥すると、背を向け自分の席へと向かっていった。
「女子生徒は静かになったみたい。まぁ、六条院の麗しき女王と六条院の凛々しい王子を敵に回したい人なんてこの学園にはいないもんね。兄さん以外は」
「健斗って楽天的な思考の持ち主だよな」
「自分の兄のことを言うのもなんだけど、よく漫画とかで描かれる典型的なボンボンだからね。寺から解放され再び煩悩に塗れた兄さんは、女の子達とパーティー三昧だよ。大体、毎日パーティーって何をするの? 『僕の夏休みを取り戻すんだー!』って言っていたけど、いつもふらふらして遊んでいるだけだし」
「寺に行かない方が良かった気がするのは俺だけか? 悪化しているように感じるぞ」
「行っても行かなくても結局こうなると思いますよ。一回痛い目みないと学習し――」
臣の言葉を遮るように、テーブルの上に置いていた全員のスマホが震動した。
「なんだ?」
スマホへと手を伸ばしてディスプレイを眺めれば、メッセージアプリのポップアップが表示されている。
そこには『遊園地貸し切りにして遊ぼうって話をしていたんだー。みんなも行こうよ! 可愛い女の子もいっぱい呼ぼうと思っているんだ』と書かれていた。
――貸し切りって……おい、隼斗大丈夫か?
と、視線を向ければ隼斗がスマホを手に持ち倒れ込むようにテーブルへ伏していた。
「そのお金は一体誰が支払うと思っているの? 無責任すぎるよ、兄さん……」
羽里家ならポンとキャッシュで支払うことは可能だけど思うが、健斗の両親が快く支払うかどうかが問題だ。
「まだ予約してないと思いますよ。話をしているんだって書かれていますので。だから大丈夫です。まだ止められますから」
「うん、そうだね。ちょっと話をしてくるよ。でも、その前に両親に電話してくる。兄さんがまた馬鹿なことを考えているって。兄さんの資金源を断たなきゃ!」
そう言って隼斗が立ち上がった時だった。
再び隼斗のスマホが震動したのは。
そのため、全員また健斗かと眉を顰めながら各々自分のスマホを眺めたが反応が全く無い。隼斗のだけだ。
「健斗ではないようだな」
「みたいだね」
てっきり健斗かと思ったと思っていると、「え」という声が隼斗の方から聞こえてきたので弾かれたように顔を向ける。すると、隼斗は目を大きく見開きながらディスプレイを眺めているところだった。
「どうした?」
「あの……その……」
口ごもると隼斗に俺達は首を傾げたが、隼斗は「なんでもないよ。ちょっと珍しい相手だったから驚いちゃって」と俺達に告げた。
「今日、放課後にみんなで臣君の家で遊ぶことになっていたよね? それ、僕ちょっと遅れていいかな? 用事が入っちゃって」
「えぇ、構いませんよ。ただ、来られなくなりそうな場合などは連絡を下さいね」
「うん、ごめんね」
スマホを置いた隼斗は、困惑しているかのように瞳を揺れ動かしながら二階席を見上げた。
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(隼斗視点)
――美智ちゃん、一体どんな用事なのかな?
放課後、僕は学校内にあるサロンへと向かうために廊下を歩いていた。
匠君達といる時にメッセージが届いたんだけど、それは美智ちゃんからで『突然で申し訳ありませんが、今日の放課後お時間空いていますか? お兄様に内緒でお会いしたいのですが…』という内容。
読んだ時に驚愕してしまった。だって、美智ちゃんから誘いなんて初めての上に、匠君に内緒って書かれていたから。
サロンはある一定の金額以上を寄付すれば、食堂の特別席のように利用できる場所の一つ。みんな友人同士でおしゃべりをするのに使用しているらしく利用者は多い。僕達はあまり行かないけど……
そのため、仲が良い友人の妹とはいえ、むやみやたらに女性と二人でお茶なんてしたら噂になってしまうかもしれないと危惧してしまう。
――やっぱり、臣君に付き合って貰った方が良かったかも。
と、考えているうちにあっという間にサロンへと到着。大きな二枚扉に手を掛け中へと足を踏み入れれば、違和感に襲われてしまった。
室内は奥に全面ガラス張りの窓があり、その前のスペースに椅子とテーブルセットが三十セットくらい並べられているのだが今は全席空席となっている。
食堂の特別席はホテルのようなシンプルな造りだけれども、こちらはアンティーク家具のように細かな細工が施されていて色彩が鮮やか。一言で言えばロココ調っぽい。
「誰もいない……?」
自分のクラスのSHRが早く終わってしまったのだろうか?
いや、隣のクラスはとっくに終わっていたし、ここまで来るのに他の生徒の姿もあった。
年に一、二度くらいしか利用しないけど、訪れる時はいつも半分埋まっていたはず。
――もしかして使用禁止だったのかな?
学校内の連絡事項を確認するために鞄からスマホを取り出そうとしたら、「隼斗様」と背に声を掛けられてしまったので振り返った。すると、そこには美智ちゃんの姿が。
「申し訳ありません。私、お待たせしてしまったようですね」
眉を下げている美智ちゃんに僕は首を左右に振る。
「ううん、僕もいま来たところだよ。ねぇ、サロンっていつもこんなにガラガラなの?」
「いいえ、今日は貸し切りにいたしましたの」
「へー、貸し切りとか出来るんだね。僕、あまりここに来ないから知らなかったよ。というか、人払いしなければならない話なんだね」
「えぇ、そうなんです。どこかお店でとも迷いましたがサロンに。さぁ、どうぞ」
「うん」
僕は美智ちゃんに促され彼女の背を追いかけ、真ん中付近にある大理石のテーブル席へと座った。
テーブルも椅子も部屋のものは全て統一されているのに、ここだけ楕円形の白い大理石のテーブルに若草色の椅子で雰囲気が違う。
「何故、ここだけ……?」
「ご安心を。私と棗が友人達と使用している席ですので」
「あー、美智ちゃん達のか」
「はい。ある日テーブルと椅子がこちらのものに変っていました」
「えっ!? それはびっくりだね」
一体誰が? 学校側か、それとも美智ちゃんや才賀さんの信奉者だろうか?
「隼斗様。お飲み物は何になさいますか?」
美智ちゃんは席に置いてあった電子端末を僕へと差し出してくれた。
ここは食堂と違い給仕の人達は隣接する別室にいるため、端末を使用しオーダーをする。
「美智ちゃんが先に見ていいよ」
「私はサロンでの注文は本日のお任せにしていますの。ちなみに今日は、ほうじ茶パフェと緑茶セットですわ」
「あっ、僕も同じものにするよ」
「では、注文いたしますわね」
美智ちゃんはディスプレイ画面を操作していく。やがて注文が終わったのか、端末を元の場所に戻した。
「隼斗様、用事など大丈夫でしたか?」
「うん、平気。それより、美智ちゃんと二人ってなんか緊張しちゃう。匠君に内緒って書いてあったから余計に。どんな話かな?」
「私、朱音さんのことが大好きなんですの」
「えっ? あ、うん。それは匠君に聞いているよ。すごく仲が良いって」
匠君、「俺、美智とシロに負けそう……」って言っていたから。
夏休みの間に露木さんと匠君との仲も深まったようだけど、シロと美智ちゃんとの仲も深まったらしい。
どこかに行きたいとか言った事がない露木さんが美智ちゃんを誘ったとか、露木さんがシロに夢中とか。
「お兄様と健斗様はご友人同士ですので、どこかで朱音さんと健斗様が会うこともあるでしょう。健斗様の行いは目に余りますわ。このままではまた再び夏休み前のような騒動が起こってしまう可能性があります。そうなった場合、朱音さんが傷ついてしまいますわ」
「そうだね」
カフェでの一件で知ったが、匠君は露木さんとの将来も考えている。これから先、兄さんと匠君の関係が続くなら二人が会う機会はあるだろう。鉢合わせするというパターンも考えられるし。
「その前に健斗様を更生させなければなりません。私なら健斗様に対して情がないのでとどめを刺せます」
「情がない……とどめ……」
兄さん。美智ちゃん、きっと前回の露木さんを侮辱した件を許してくれていないよ。ここまでばっさり言われちゃっているから。
――でも、それだけじゃないような気がする。露木さんのために兄さんを更生させたいという話なら匠君をこの場に呼んでも良いし。あぁ、そうか!
「もしかして、それって匠君のためでもあるの? 前回、匠君が兄さんと露木さんの間に挟まれて傷ついたから」
浮かんだことを口にしてみれば、美智ちゃんの頬がさっと赤く染まった。
「べ、別にお兄様のためではありませんっ! 朱音さんのためですわ!」
「美智ちゃんは優しいね」
微笑ましい光景に思わず笑みが零れた。
「兄さん、バージョンアップして戻って来ちゃったもんね」
「寺で修業して少し落ち着くかと思ったのですが……」
「そうなんだよね。うちの家族も寺にいけば多少って期待していたんだ。ちゃんと寺では大人しくしていたからさ。ちやほやされるとダメっぽいね、兄さん」
「ですから、そろそろ終止符を」
「僕を呼んだってことは考えがあるってこと?」
「はい。健斗様のライフラインである可愛い女の子を追い払えばいいんです」
「そう簡単に言うけどさ、寺で一月ぐらい女の子の居ない生活だったよ」
「それは強制的に隔離されたからです。女の子の目的が健斗様ではなくその背後にある家柄だということを気付かせればいいのですわ。つまり、女の子の方から健斗様を避けるようになればいい。そうすれば彼のちやほやされて高くなったプライドは崩れ落ちる」
「でも、一体どうやって?」
それには美智ちゃんがにっこりと微笑んだ。
どうしてだろう? すごく見惚れるような美しさなのに冷気を感じてしまうのは。
「夏休み前に健斗様は爆弾を置いていかれました。私の腕に触れましたの」
「あっ、あったねー。それで兄さん、美智ちゃんファンを敵に回しているから」
ただでさえ同性にあまり人気がないのに、ますます立場を悪化させている。
まぁ、兄さんの自業自得だけど。家柄同士の関係で高校生でも婚約している子もいるのだけど、自分の好みに合って近づいてくる可愛い子は関係なく手を出してしまっているから。
「――火薬に火を付ければいい。そうすれば爆発します。ただ、羽里家も五王家も周りが少々騒がしくなるかもしれません。ですから、このたび隼斗様にご相談したのですわ」




