駆けつけた王子様
――頼む、無事でいてくれ。
足元を街灯に照らされた薄暗い中。
腕と足を必死に大きく素早く動かし、目先の光景に一秒でも早く近づけるように走っていた。肺に送られる酸素が少なく、呼吸が浅くなってしまっているせいで息苦しい。
俺の十数メートル先にぼんやりと見えるのは、朱音と守るように彼女の前で姿勢を低くしているシロ。そして少しずつ後退りをしているパーカーを羽織った男の姿だ。
「朱音! シロ!」
叫んでいるこの声は彼女達に届いているのだろうか?
嫌な予感がしていた。
あの時から――
朱音とのやり取りは基本的にメッセージアプリを使用している。俺から彼女へは直接声が聞きたいから電話だけど、朱音は通話料定額プランではないので。
そのため、今回かかってきた電話が初めてだ。
着信があった時は嬉しく舞い踊る気持ちが湧いていたのに、途中から声音やリズムがおかしくて眉を顰める事態に陥ってしまった。
小梁という男の件も頭に過ぎり、何かあったのではないか? と不審に思い、塾帰りの朱音を待ち伏せすることに。
何もなかった場合に朱音の負担にならないようにシロも一緒に連れて行った。
『シロが朱音に会いたがっていたから散歩がてらに会いに来た』という最もらしい理由を付けて。
普段は人見知りのシロだが、この時間帯は人の往来が少ないため散歩しても負担にならないし。
だが、一つ問題があった。それは朱音の帰宅時間。
朱音は時々、塾の先生にわからないところを質問したりするので、毎回帰宅する時間帯がバラバラになる。
そのため、すれ違い防止として朱音の家から辿っていれば、途中で急にシロが立ち止ってしまったのだ。耳をピンと立て動かし、何かを窺ってるかのような動作を見た瞬間、嫌な予感は確信へ。
俺の脳裏に朱音の顔が浮かびつい堪らず彼女の名を呟いてしまえば、それが正解だとばかりにシロが走り出してしまい俺の手からするりとリードが離れてしまったので慌てて追いかけて現在に至る。
「あいつ……また朱音に!!」
男の顔がわかるぐらいまでの距離に到達し、判明したのはパーカー姿の少年は小梁だということだ。
やっと朱音に触れられるぐらいまで駆けつけられたので、俺は手を伸ばして彼女の腕を掴むと自分の背に隠す。
相手は何を考えているか全くわからないような男だから刃物か何か危険物を持っている可能性だってある。
「た、たく…匠くん!」
「朱音、無事か?」
「う、うん。シロちゃんがきてくれたから……」
それを聞き、俺は胸をなで下ろすと目を細め小梁へと顔を向ける。すると、あいつはおどけるように肩を竦めてみせた。
「なんか酷いなぁー。これじゃあ、僕が悪者みたいじゃないか。全部露木さんが悪いのに」
「朱音が何をしたっていうんだ」
「だって、僕に協力してくれないから。ねぇ、露木さん」
気味の悪いことに小梁はうっすらとした笑みを浮かべると、首を右へと傾け俺を越え覗くように視線を向ける。きっとその先には朱音を見ているのだろう。
背後で朱音が悲鳴を噛み殺したのが聞こえ、小梁に対する怒りがより高まってしまい、握り締めた手に必要以上の力が込められたせいで爪が食い込んでいく。
――この異常な状況が朱音のせいだと? ふざけんな。
「シロ、よくやった。朱音のことに気づいて守ってくれてありがとう。あとは危ないから下がれ」
俺の前で小梁に向かって身を低くし唸っているシロへと声をかける。だが、シロは一切従わず。シロが怪我をしてしまうのが心配なので首輪に手をかけて下がらせようとしたが、シロに体を左右に振られてしまい避けられてしまう。
「シロ、お前……」
もしかして、俺のことも守っているのか?
「これ君の犬? 飼い主に似て凶暴だね」
「シロは普段は温厚だ。危険人物から朱音と俺を守ろうとしているんだよ」
「リードちゃんと持っていてよ。あぁ、そうか。こういう犬で琴音ちゃんの気を引いたんだね。琴音ちゃん動物好きそうだし」
「は?」
どうしてここで琴音の名が出てくるのだろうか。
俺は奴の意図が全く理解できず眉を顰める。
「どうせ君も僕と同じなんだろ。そうでなければ露木さんなんかといる意味なんてないし。今は庇って点数稼ぎしてんでしょ」
「どういう意味だ?」
「君も琴音ちゃんが目当てってことだよ。この間、腕組まれていたじゃん。家まで招かれるなんて随分取り入ったね」
「俺が琴音狙いで朱音に近づいていると言いたいのか!? 俺は琴音の事なんて心底どうでもいい。俺は朱音だから一緒にいる。それにどちらかと言えば琴音に迷惑をこうむっている側だ。見ていても気づかなかったのかよ」
やっとここですべて理解できた。
どうやら小梁は琴音のことが好きで、なぜか俺は琴音のことを好きで朱音に近づいてると思われているらしい。
しかも、ストーキングしていたくせに、肝心の琴音の本性を見てないし。
恋は盲目っていうが、盲目過ぎるだろうがっ!! 琴音を好きな連中ってなんでそんなに都合よい点ばかりしか見ないんだ? 健斗もそうだけど……
琴音の性格も全て受け入れて好きだという奴がいたら「そうか」と納得できるのにどいつもこいつも肝心の中身を見てないのでは話にならない。
「そんな事を言って、本当は琴音ちゃんが好きなくせに」
「決めつけんな! 願い下げだと言っているだろうが」
あぁ、こいつ絶対に人の話を聞かない厄介なタイプだ。短時間しか彼と接していないけど察した。
「朱音に二度と近づくな」
「別に君の命令に従う理由なんて僕にないし。それとも牽制? 琴音ちゃんの好感度を上げるのに僕が邪魔だから」
「お前っ!!」
頭に血が上り足を大きく踏み出してあいつに腕を伸ばしかければ、「そこで何やってるんだ!」という男性の野太い声が聞こえてきてしまう。
もしかしたら通行人に喧嘩でもしているのかと思われたのか? と、一瞬過ぎったが、見知った人の声だということに気づく。そして、こちらに掛け寄ってくる二つの足音にも。
――この声、もしかして豪の?
自分達が来た道とは反対側へと顔を向ければ、スーツ姿の男性が二人こちらに走ってきているのが見受けられる。
まるでラガーマンのような体格をした短髪の屈強な男性……警視総監である豪の父と、俺の父だ。
武術を嗜んでいる豪の父の方が走るのも早く、父よりもだいぶ前にいる。
どうして? と思ったが小梁の件を父に相談していたので、もしかして父経由で話がいったのかもしれない。
イノシシの如く突進してくるガチムチに気づいた小梁は、さすがにマズイと思ったのか「チッ」と舌打ちをすると足を大きく踏み出し、背を向け脱兎のごとく逃げ出す。
「おい、待て!」
俺もあとを追いかけようとしたが、後方からドザッという音が聞こえたので意識がそちらに向いてしまった。弾かれたように振りかえれば、朱音が地べたにしゃがみ込んでいる。
――今は朱音の方が大事だ。
追うのを止めると俺は朱音に近づきしゃがみ込む。するとそのタイミングで後方を「待て!」という声を上げながら豪の父が駆け抜けていく。
やっぱり足はかなり早いようで、この分だと小梁はすぐに捕まるだろう。
「朱音、どうした!?」
俯いている朱音の頬を両手で触れ、無理やり顔を上げさせて確認すれば、恐怖のために顔色は真青を通り越して白っぽくなっている。瞳には涙が溢れそうになっていたが、大きく戦慄いている体のせいで雫が頬を伝った。
「怪我したのか?」
「違うの。こ、怖かったから、足に力が……」
「もう大丈夫だ」
俺は朱音を抱きしめると、宥めるように背中を軽くポンポンと叩く。すると、それが合図のように朱音は堰を切ったように声を上げて泣き出してしまう。
「もう二度とあいつを朱音に近づけさせないから」
「わふっ」
傍にやってきたシロも俺に同意するように一吠えした時だった。「無事かい?」という声音が影と共に上から覆いかぶさったのは。
振り返れば、肩で大きく息をしている父がいた。
全力疾走のせいで輪郭に沿って汗が伝っているし、纏ってるスーツはよれよれで、いつも丁寧に撫でつけている髪はボサボサだ。
「父さん!」
「怪我は?」
「あぁ、朱音も俺もシロも無事。怪我もしてないよ」
「そう、良かった」
父は安堵の息を零すと、しゃがみ込んで俺と朱音へと腕を伸ばして俺達を纏めて抱きしめる。痛いぐらいに強い力で。
「みんな無事で本当に良かった。今まで聞いたことがないシロの吠え方だったから、最悪の事が頭に過ぎって恐ろしかった……」
父の凍えそうな声と小刻みに震えている腕から、どんなに俺達を心配していたのか伝わってきてしまい、色々な感情が絡まりちょっと泣きたくなった。




