膝枕
こんばんは。いつもありがとうございます!
今回で匠視点は終わりです。
次話から朱音視点が少し入ります。
薄暗い室内の中。
無造作に設置されている担架やアンティークのようなガラスの点滴瓶などが並んでいる棚の横を通りながら、俺はそっと嘆息を零した。
――……比率が左に大きく傾いているんだが。
右腕には可愛い朱音の柔らかく愛しい感触。左腕にはむさ苦しい国枝の硬質的な泣きたい感触。
見事にお化け屋敷フラグを二つ回収した俺は、お互いが正反対のタイプの感覚のせいで左右の腕の落差が激しい状況に置かれていた。
ただひたすら朱音にのみ集中したいというのに、やっぱり青年男性。
国枝の力が強い。強すぎる!
恐怖のせいで自己コントロール出来ないらしく、その存在をしつこいぐらいに主張。
そのため、俺は若干げんなりとした気分に陥ってしまっている。
何が悲しくて国枝の胸板を感じねばならないのだろうか。
――早くスタンプコンプリートして、美智に国枝を引き取って欲しい。
お化け屋敷の神様は、俺になんでこんな恐怖を与えたのだろうか。
ゴースト役は全く怖くない。
……というか、悲鳴を上げながら国枝が俺の肩に顔を埋めるたびに俺の方が悲鳴を上げてしまいたくなってしまう。
その役は朱音だし、そのたびに背筋がぞくっとする感覚を久しぶりに感じる。
「おい、美智。第一スタンプポイントはまだなのか!?」
早く解放されたくて先頭を歩いている美智へと声をかける。
「えぇ。そろそろあっても良い頃だとは思うのですが……と言っていたらありましたわ、お兄様。ほら、あちらに」
美智が立ち止り前方へ向けて指を差す。それは部屋の一番奥にあるベッドの上。
天上からは第一スタンプと書かれたパネルがぶら下げられ、オレンジ色のライトで照らされている。
今回、俺達が辿り着いたのは大部屋だった。
よく見るような病室たのだが、廃病院をモチーフにしているため室内も老朽化している。
パイプベッドのマットレスはスプリングが剥き出しになっていたり、ロッカーは倒れ表面がボコボコ……
本来ならば室内を区切るのに使用されているはずのカーテンも、カーテンレーンが外れている箇所があったり、布が汚れや大きな破れのせいで、もうその役割を終えてしまっていた。
「では、まずはスタンプを押しましょう」
美智はそう告げるとスタンプがあるベッドとの距離を近づけていく。
それがスキップするような軽めの足取りのため、ここが一瞬お化け屋敷なのを忘れてしまいそうになってしまった。
美智と付き合う男はお化け屋敷をデートコースから外した方がいいだろう。フラグが全く期待出来ないのだから。
「さて、俺達も行くか」
と、妹の後を追うように足を踏み出したのだが、左側部分が重く俺は先に進むことが出来なくなってしまった。
まるでロープで岩を腕に巻き付けているかのようだ。
それは無論、国枝が原因。
俺の腕にしがみついたまま、まるで地面に刺さった棒のように頑なに動かない。
そのため、俺の重心が引っ張られてしまうような状況に陥ってしまっている。
「おい! 国枝。お前は子泣き爺かっ!? 動けよ」
「駄目です……絶対に出ます……ここ、怪しいところ満載じゃないですか……ベッドの下とか……」
「そんな狭い所に人が入っているわけがないだろうが。あー、もう仕方ないか。ここは美智に任せよう」
無駄な体力を使うよりは、いざという時のために温存したい。
なによりもまず、国枝よりも朱音が心配だから。
彼女が恐怖のあまり腰が抜けた場合など、もしも動けなくなってしまったら俺がおんぶしたり抱きかかえるつもりだ。
――……だが、国枝の言う事も一理あるな。確かに出そう。
俺は左側へと流れるように視線を向ける。すると、そこにはカーテンレールで区切られた箇所が。
他がボロ布のようなのに、ここだけ布が破けていない。それが不可解で余計に目がいってしまう。
――いや、でも出るならスタンプ押してからだろう。ということは、スタンプ付近か?
そんな事をぼんやりと考えていると「全員分ちゃんと押しましたわ」と、美智がこちらに向かって近づいてきた。
だが、それと同時に異変が起こった。
それは、俺達の左手奥からガサガサと何か布がこすれる音が届いてきてしまったのだ。
「ん?」
そのため、一度視線を外したカーテン側へと顔を向ければ、ふわりと布が舞ったのを捉える。
かと思えば、「あ゛~」という地獄の底から漏れ聞こえてくるような声を発しながら、前髪の長いざんばら髪の女性の姿が現れてしまう。
服はナース服なのだが、雨降りの地面のように所々にドス黒い汚れが窺える。
半袖なのだが腕には包帯を巻き、肌が見える箇所は傷の特殊メイクがされているようだった。
ぐらりぐらりと体を揺らしながら歩くという不安定さだというのに、一歩ずつ確実に俺達との距離を縮めて来ている。
――やっぱりスタンプ押してからか……って、あれ? 朱音達が静かだな……
妙な胸騒ぎを覚え俺が朱音の方へと視線を向けようとしたら、
「きゃぁぁぁぁぁぁ」
「うわぁぁぁぁぁぁ」
という可愛らしい悲鳴と野太い悲鳴が室内に木霊。
その上、両腕にしがみついていた温もりが消えてしまう。
かと思えば、二つの影がその幽霊ナースから遠ざかるように、右手の通路へと通じる廊下へ飛び出してしまった。
どうやら二人は恐怖のあまり逃走してしまったようで、赤く点滅した明かりが灯されている廊下には二つの疾走する影が窺える。
「え? 嘘だろ!?」
国枝はいい。朱音はやめてくれ、朱音は。
「頼むよ……お化け屋敷の神様……」
もう泣きたい。どうしてこのまま朱音との幸せな時間を過ごさせてくれないのだろうか。
思わず現実から目をそらしたくなり、俺は両手で顔を覆ってしまう。
「お兄様! 落ち込んでいる場合ではありません。早く追いかけましょう」
その言葉にはっと我に返った。
「あぁ、そうだな。こんな薄暗い所で走ると危険だ」
フラグは絶対に諦めない。出来るならば、朱音の好感度を上げて男らしさを見せなければ!
……というわけで、俺が気合いを入れながら足を踏み出しかければ、前方から悲鳴が届いてきてしまう。
廊下なのでトンネルで叫んだ時と同じ環境なのか、こちらまでよく通り響いてきた。
「なんだ?」
「どうやら、廊下にもお化け役の人が出たみたいですわ。ナースのゴーストに驚いて逃走し、ほっと一安心させてからの再度ゴースト攻撃。流石はジャパニーズホラー。……って、あら? 戻って来ましたわ!」
美智の言う通り、二つの影がUターン。
意外と朱音も国枝も足が速いようだ。どんどんと姿かたちがはっきりとしてきている。
――よしっ! チャンスっ!
「美智。国枝は任せた」
「え?」
俺はきょとんとしている美智から遠ざかるように距離を取った。
きっと先にこちらに着くのは国枝だと推測。なので、俺は美智に国枝の件を委ねることに。
――国枝は美智の付き人なので、最後まで面倒みてくれ。朱音の事は安心して俺に任せろ!
すると案の定、先にこの部屋を訪れたのは国枝。
悲鳴を上げたままイノシシの如くこちらに突進してくると、すぐに美智の背後へとさっとその身を隠した。
そして肩で息をしつつ、しっかりと美智の両肩を掴んで前に押している。
「……国枝。貴方、また私を楯にするのね」
そんな呆れた呟きが美智の口から吐き出されたのは仕方がない事だろう。
やっぱり俺の予想通り最初は国枝だった。
危うくまた国枝ルートのフラグが立つ所だったと、安堵の息を零したい所だが俺は時間が惜しいと颯爽と廊下に向かって駆け出す。
勿論、朱音を抱き留めるために!
「朱音!」
両腕を広げれば、この世界で一番可愛い存在が俺の胸に飛び込んで来た。
「た、たっ、た…くみ…く…お、おっ、お医…者…さんが……っ」
「あぁ怖かったな。でも、もう平気だ。俺がいるから」
至福の時。なんて可愛いのだろうか。
澄んだ瞳いっぱいに涙を溜めながら、じっと俺の事を見詰めてくれている。
誰かカメラでこの光景を撮影してくれ。この希少価値が高い瞬間を永久に記録したい。
「朱音。今度から絶対に俺から離れないで。走ると危ないから」
そう口にすれば、彼女がコクコクと何度も首を縦に動かした。
可愛い。凄く可愛い。
ただちょっと気がかりなのは、叫んだり走ったりして体力が消耗しないかということだが――
お化け屋敷後に結構へとへとになっている人をよく見かけるのでちょっとだけ心配だ。
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あの後、美智のお蔭でスタンプも全部コンプリート成功。そしてお化け屋敷も無事制覇。
……けれども、俺の心配した通りの事が起こってしまったので、俺達は広場の一角にある東屋にて休息を取っていた。
四方を頑丈な丸太で支えている東屋は、壁がないので風通りが良く、周りの木々が日差し避けになっているため体感温度が外気よりも低く感じる。
ベンチに座っている俺の頬を撫でる風が涼しいと感じるぐらいに。
「大丈夫か?」
俺は自分の膝の上を覗くように視線を向ける。そこには心地よい重みを感じさせてくれている朱音の姿が。
彼女は俺の膝を枕代わりにして横になっていた。
ただ、直ではなく枕代わりに美智が羽織っていたストールのようなものが畳まれ敷かれている。
――……顔色が悪いな。
朱音の顔色は白に近く唇もプール後のようにちょっと紫がかっているのだが、それが具合の悪さをひしひしとこちらに訴えてきている。
俺達がお化け屋敷の脱出に成功し外へと出れば、朱音は恐怖レベルが高かったようで酷く体力を消耗しぐったり……
なので、この後そのまま物販テントへと向かう予定だったが急遽休憩を取ることに。
国枝も朱音と同じような状況だったのだけれども、クリアファイルが手に入るという現実によって気力も体力も回復。今は朱音のために冷たい飲み物を買いに行っている美智に付き添っている。
さすがは実衣奈ファン。クリアファイルの効果は絶大だ。
「……平気。ごめんね、迷惑かけて……」
腕で瞳を隠すようにしたまま朱音はそう返事をした。
その様子に俺の心が揺れ動いてしまう。それは泣いているようにも見えるからだ。
泣くときも朱音の事だからこっそりと隠れて泣くタイプだと思う。
そんな事はせず、俺の前で泣いて欲しい。そうしないと抱きしめることも言葉をかけることも出来ないから。
「そんなに顔色が悪いままで平気なわけがない。それに俺は迷惑なんて思ってもいないよ。勿論、美智もだ」
そう言いながら、朱音の髪を梳くように撫でる。
本当は冷房のついた所でゆっくりと休ませたい。
だが、移動も彼女の負担になると思ったので、こうして近場の涼しげな所で体を休めさせている。
「朱音は俺がお化け屋敷に一緒に入って具合が悪くなった時どうする? それが迷惑に感じるか?」
それには彼女は首を左右に振った。
「お化け屋敷で俺にしがみ付いてくれて嬉しかった。頼って貰えたって思ったからさ。だから今も頼って甘えて」
「……ごめんね」
「謝罪は必要ないよ。そこはありがとうの方が嬉しい。何かあったら真っ先に俺の名前を呼んでくれ。お化け屋敷で俺に頼ってくれたように。朱音のためなら、俺は進んで騒動にも巻き込まれるよ」
「ご、ごめ……あり…がとう……」
「どういたしまして」
朱音はいつも我慢しているから心配で仕方がない。
我慢をするばかりでは、自分の内側に溜めてしまうせいで周りが気づきにくい。時々、発散させないと……
きっと子供の頃から親に頼る事が出来なかったからだろう。
いや、もしかしたら頼った事があるかもしれない。
でも、あの両親の事だ。妹優先の上に歪んでいるから、朱音の気持ちを察したりする事は不可能に近かったのかもしれない。
――俺は迷惑かけたり頼ったりしても良い事を朱音に知って欲しいんだ。
長期戦になるのは覚悟している。今までの数年をほんの数ヶ月で変えるなんて無理な事だろうから。
大丈夫。俺達には時間がある。と、そんな風に悠長に考えていた。
数日後にあんな事が起こるまでは――




