フラグ回収
匠視点
一番奥にあった朱色に染め上げられた扉を開け、俺達が中へと足を踏み入れれば異様な雰囲気が漂う空間となっていた。
その原因は何かと問われれば扉と答えるだろう。
廊下の壁一面に大なり小なりの形も色もまばらな扉が不規則に嵌め込まれていたのだ。
しかも、扉は完全に閉まっているものもあれば、開いているものもある。
数センチだけ開いているものはまだいい。中には顔をひょこっと出して覗けるぐらいな開き加減のやつもあって、それは恐怖の演出を担っている。
てっきりここから病院らしい内装になると想像していたので、なんだか拍子抜け。
――でも、ちょっと気味悪いな。こんなに扉があると……
扉も単体ならばそうでもないが、数が多すぎる。
まるで増築を繰り返した某ミステリーハウスのようだ。
「どうやらこの奥にスタンプはありそうですわね」
美智はそう口にすると前方を指さした。
先の見えない暗い廊下の奥には隔離病棟と書かれたランプが点滅。
「も、もう、もう無理です……っ!」
雰囲気に負けてしまったのか、今までのろのろと進めていた国枝の足が床に縫い付けられてしまった。
そのせいで連動するように動きを止められてしまったのは美智だ。
嘆息を深く零すと、妹はなんとか国枝を動かそうとリュックを降ろし、引っ張ったが国枝はびくともせず。
「おい。せめてスタンプ一個押してから言え。まだ始まったばかりだぞ。どうしても怖くなったら美智の腕にでもしがみつけ。俺じゃないぞ。美智だぞ」
さっきの国枝ルートのフラグを回避するために俺は後半を強調して告げる。
こっちだって必死だ。
好きな子とお化け屋敷。こんな好条件なのに、国枝ルートのフラグなんて悲しすぎる。
「しっかりしなさい。あんなに言っていたスタンプ制覇はどうするつもり? まだ始まったばかりよ。ここには一度訪れた事があるのでしょう? ならば、仕掛けもわかっているはず」
「来ましたが記憶が……友達の背中にしがみついて目をつぶっていましたので……」
「とにかく進まないとスタンプどころかゴールすら出来ない。だから、どんどん進むわよ。クリアファイル諦めるの?」
「クリアファイル欲しいです……」
「だったらさっさと歩きなさい。ゆっくりでもいいから。ちゃんと私が先導してあげるわ」
まるでデパートでおもちゃが欲しいとダダをこねる子供と、それを戒める母親の会話を聞いているかのような錯覚に陥ってしまいそうになった。
国枝と美智の年齢結構離れているはずなのだが……
そんな会話をBGM代わりに耳に入れながら、俺は後ろが気になって仕方がない。
ちらりと様子を窺えば、俺のTシャツの裾を握り締め、首を左右に振ってキョロキョロと辺りを見回し警戒している朱音の姿が。
心なしかその表情が青白く強張っている気がする。
朱音はお化け屋敷初体験らしいが、どうやら苦手だったらしい。
そのため、こんな風に恐怖に付き纏われてしまっている。
「朱音。大丈夫か?」
「……うん。みんなが一緒にいてくれるし……それに怖いけどまだ大丈夫……私、お化け屋敷駄目だったみたい。足手まといになってごめんね………みんなに迷惑かけてしまって……」
「いや、全然問題ないよ。朱音の事なら迷惑なんて思わないし」
「ありがとう……」
「怖かったら俺に抱き付いて。ちゃんと守るから」
フラグ立てと回収のため、俺は再度念を押すように告げる。そうしなければ、お化け屋敷の神様に国枝ルートのフラグを立てられそうで怖い。お化け屋敷は怖くないが、そっちの方面が恐ろしい。
すると、案の定またしても「はい」という国枝の声が。
――なんでだっ!? 回避したいのにっ!
「いや、本当にやめてくれ。俺、国枝ルートは遠慮しておく。それは美智に任せるよ……というか、そろそろ先に進まないとまずくないか? 次の人が来てしまう」
「えぇ、そうですわね。後方の人々にご迷惑になってしまいますわ。さぁ国枝、心の準備はいいかしら?」
「は、はい……スタンプ頑張ります」
半泣きの声で返事をした国枝。そんな国枝に対して俺は、大丈夫なのか? と不安になった。
けれども、何はともあれまずは進まないことには話にならない。
現在地がまだ入り口付近の上に、第一のスタンプ台すら見つけてない状況なのだ。
「さぁ、行くわよ」
美智はそう国枝に告げると足を踏み出した。
それに導かれるように国枝も足を進め始めたため、俺も朱音も同様に先に進むことに。
「……しかし扉ばかり。まるで某ミステリーハウスのようですわね」
「あぁ、俺も思った」
「な、なんですか……? その家は……」
「霊媒師のアドバイス通りに増築を繰り返した家よ。使用される用途のない階段や扉などが作られたの。なんでも幽霊による呪いから逃れるためらしいわ」
「怖っ! やめて下さいよ。そういう話をするのは。どうするんですか! 本物が出てきたらっ! あー、怖すぎて吐きそうです……もうむ――」
またしても国枝の口からそんな気弱さを含んだ声が出かかったが、それも途中で途切れてしまうことに。
それは突然「ふふっ」という、愛らしい女児の笑い声が周囲に響き渡ったせいだ。
――……上か?
それはどうやら天上から聞こえてくるようだった。そのため、俺はそちらへ顔を向け、薄暗い中で目を動かし探るように観察。
すると、丸いスピーカーが備え付けられているのを発見した。
『ねぇ、私と遊んで』
「あら、どこにセンサーがあったのかしら? 気づきませんでしたわ」
『ふふっ。見ているから私はずっと……』
「見ないで下さいっ!!」
「……国枝、ボリュームを下げなさい。周りの迷惑になるわ。これ、センサーに反応してスピーカーから流れてきているだけよ」
『ねぇ、こっちよ。私はこっち。何して遊ぶ?』
「遊びませんっ!!」
「落ち着きなさいってば。どうやらこの扉は恐怖の演出ではなく、何か仕掛けがあるようね」
「なんだ? 僅かに開いている扉から手でも伸びてくるのか?」
「ヒッ」
「……いえ、わかりません。少し近くで観察したいのですが国枝が……仕方がないのでこのまま先に進みましょう」
「あぁ」
俺が頷き、足を進めようとした時だった。
「きゃぁぁぁ」と「うわぁぁぁ」という二つの大きな悲鳴が重なったかと思えば、俺の背と右腕に衝撃が走ったのは。
「え?」
何の前触れもなく衝撃と共に背中に感じた温もり。
そして何か柔らかい感触。それから後方から俺へと巻き付くように伸ばされ、しがみ付いている小さな手。
「えっ!? 朱音!」
そんな俺の叫び声が告げたのは、念願だった朱音ルートのフラグ回収が完了したということ。
全く想像もしていなかった現実に、俺は胸のときめきと興奮が抑えきれなかった。
背中から聞こえる「……っ」という彼女の言葉にならない消え入りそうな声。もう可愛い。可愛すぎる。
「朱音、大丈夫だ。俺がいるから怖くないよ。大丈夫」
そう言いながら、そっと俺の体に回されている小さな手に向かって腕を伸ばす。
そして、戦慄いているその手に絡めるように自分の手を重ねる。
――やったぞ、俺っ! 幸せは背中からやってきたっ!
理由はわからないが、朱音は何か恐怖を感じて俺の背中に縋るように抱き付いてきたようだ。
柔らかく感じる部分は、おそらく……待て、俺。ここはお化け屋敷。考えては駄目だ!
「お兄様。フラグ回収おめでとうございます。もれなく国枝ルートも回収したようですが」
「……それ言うな。スルーしていたんだぞ」
実は背中に朱音を感じているのと同時に、右腕に雄らしい力強さを感じている。
それは言わずもがな国枝。奴が小刻みに震えるたびに、もれなく俺にもその震動が伝わってきている。
「おい、国枝。お前は俺から離れろ。朱音だけでいい。というか、一体どうしたんだよ?」
そう尋ねれば国枝はゆっくりと腕を上げ、「の、呪いの……」と言いながら美智を指さした。かと思えば、それに「に、にっ、日本人形……」という朱音の声が続く。
――あぁ、もしかして美智が日本人形に見えたのか? 俺も夜中だと間違える。あぁ、そう言えば琴音が呪いの人形って美智の事を呼んでいたな。
俺がぼんやりとそんな事を思っている間も、当の本人はかなりの衝撃を受けていたらしい。
美智は眉を下げ泣きそうな表情を浮かべると、力なく肩をガクリと落としてしまう。
どうやら朱音に言われて怯えられたのがショックだったらしい。
「あ、朱音さんに呪いの日本人形って言われ……え?」
覇気の無い声でそう口にした美智だが、途中で首を傾げて俺の後方へと視線を向け始めた。
一体後ろに何があるというのだろうか? 壁しかないのに。
「あら、そういうことですのね」
「は?」
「ほら、お兄様。壁の扉をご覧になって」
美智に促されたので、俺もそれに従って振り返り広がる壁へと顔を向ければ、不規則に設置されている扉の一ヵ所が原因だった事を知る。
そこには真青な扉があり僅かに開かれているのだが、そこから覗くように人の顔が浮かんでいたのだ。
典型的な日本人形と言われて想像するような人形の顔が真横に。
電子パネルに映されている映像らしく、人形の表情がどんどん変わっていき、やがてニタリと笑った。
「「いやぁぁぁぁっ!!」」
「え」
また二つの声が綺麗に重なったのが耳に届いたかと思えば、背中に感じた温もりも一緒に消えてしまう。
「嘘だろ、おいっ!」
朱音と国枝はその日本人形から距離を取るために逃げると美智へ。
左右の美智の腕にしっかりと二人がしがみつき、視界に入れないように瞼を伏せている。
「あら、両手に花」
「短くないかっ!? 俺の幸せ。頼む。朱音だけ返してくれっ!」
「屋敷でもお伝えした通り、私は朱音さんに頼られたら無碍に出来ないとお伝えしたはずですわ。お兄様はそのままスタンプ係をしては?」
「絶対に嫌だ。しかも係ってなんだよ? いいか、俺がもし係をやるとしたら朱音に抱き付かれる係だ!」
と、つい感情に任せて口走ってしまって気づく。
あっ、朱音の前でつい本音が……と、ちらりと彼女の反応を窺えば、恐怖に囚われていて全く聞いていないようだった。
――さぁ、フラグをもう一度っ!
ということで諦めずもう一度チャレンジ。
「朱音」
俺はそっと朱音に近づくとその肩に触れた。
すると、びくりと大きくその消え入りそうな体が大きく動く。それには若干心にヒビが入りかけてしまう。
ほんの少しだけ、さっきの美智の気持ちが分かった気がした。
「朱音。大丈夫だ。俺だよ」
「た、匠君……?」
ゆっくりと瞼を上げた朱音と視線が混じり合う。
「そのままだと美智が歩きづらいと思うから朱音は俺の所においで。怖いなら俺にしがみ付いてくれ。ちゃんと無事にゴールまで連れて行くから」
朱音は気を遣う。そのため、わざわざ美智が歩きづらいという部分を強調。
「あら? 私でしたら……」
美智にそれ以上余計なことを言われないように、俺はその言葉を遮るように口を開く。
こっちだって必死だ。再度お化け屋敷フラグ回収のために!
「おいで朱音。二人では美智も歩きづらいからさ」
と、両腕を開けば予想通り朱音は頷き、「お、お願いします……」と俺の体に素早く抱き付いて瞼を伏せた。
ぎゅっと離れないように強く抱きしめられ、にやける顔が抑えきれない。
「大丈夫。俺がいるから怖くないよ」
――かわいいなぁ。
なんて幸せなんだろうか。無事フラグ回収も終え、もうすでに俺はお化け屋敷を攻略した気分に。
もうこのままでいい!ずっと可愛い朱音を愛でていたい!
「では国枝はこのまま私が。スタンプラリーは諦めましょう」
「えっ!? 美智様っ!?」
「だって国枝を左腕にしがみつかせたままスタンプは押せないもの。貴方、絶対に大人しくしないでしょう? スタンプ台にも警戒して近づかなそうだし。……でなければ、今までのようにリュックにしがみつきなさい。それなら両手も自由になるからスタンプが押しやすいわ」
「……」
その言葉に国枝は何か考えたかと思えば、急にこっちへと顔を向けてきてしまう。
――おい、こっちを見るな。なんだか嫌な予感しかしないじゃないかっ!
それが的中したらしい。
国枝の口から「お願いします」という台詞と共に、腕にしがみ付かれてしまった。
「……お兄様はやっぱりお兄様なのね。国枝ルートまで綺麗に回収なんて」
「なんでだよっ!?」
どうやら俺は無事朱音ルートのフラグも回収したけど、国枝ルートからは逃れられなかったようだ。