ブーメラン
匠君達の訪問予定時間は十時。
手にしているスマホのロック画面には九時五十五分という表示が映し出されていた。
なので、もうすでに準備は整い済み。万全で出迎えられる。
予定は十時だけれども、匠君はいつも五分~十分ぐらい前には待ち合わせ場所に来てくれているのでそろそろ来る頃かもしれない。
今何時かな? と思ってスマホを確認していたので、それも済んだ私は自分が座っているソファの隣へとスマホをそっと置いた。
三人掛けのソファは一人で座っているためゆったりと出来る。だから、踏みつぶされる心配もないのでそこに置いても問題ない。
匠君のお父さん達がいらっしゃったら、キッチンカウンターの上にでも置いておくつもりだ。
勿論、リビングには私以外の家族も待機している。
テーブルを挟んで反対側にも同じように三人掛けのソファがあるのだが、そこには絵に描いたような家族がいた。それは琴音と両親。
「ねぇ、ママ。浴衣欲しいの! 花火大会に学校の子達と一緒に見に行くの」
「去年の浴衣はもう着られないの?」
「着られると思うけど新しいのが欲しいの。学校の友達のお父さんの会社が花火大会に協賛していて、そのスポンサー席があるんだって。みんな新しい浴衣を仕立てて貰っているから、それを着て行くって話していたんだ。だから、私も新しい浴衣で花火を楽しみたいわ」
「六条院の友人……そうねぇ……買ってあげるわ」
「本当? ママ大好きーっ! ねぇ、パパ。早速今度の休みに乗せて行って!」
「あぁ、いいよ」
「何か美味しい物が食べたいわ! そうだ。ランチもしようよ」
「そうね。琴音がこの間行きたいって言っていた店に行きましょうか」
「ほんと? やったーっ!」
三人共、笑顔で声も弾んで楽しそうに団欒している。それを私はラジオやテレビから流れてくる音のような感覚で聞いていた。
――……いつもの光景。琴音が産まれる前は私もあんな風だったのかな?
そんなどうしようもない事が浮かんできてしまう。
考えても仕方ない事なのに。
両親に期待するだけ無駄だ。今までの経験でそんな事はもうすでにわかっているはず。
そう思う反面、諦めきれない自分がいた。私も愛されたいと願う愚かな自分。
なるべく目の前の光景を直視しないようにという自己防衛なのだろうか、私は別に何も用がないというのに一度手放したスマホへと顔を向ける。
そして再度手を伸ばした時だった。来客を告げるドアホンの音楽が室内へと浸透したのは。
「もしかして匠君……?」
私はすぐに立ち上がると、ドアホンの前へと向かう。
手を伸ばしてボタンを押し「はい」と声を掛け、モニター画面へと視線を向ける。すると、そこには画面いっぱいに映し出されている匠君のお父さんの顔のアップが。匠君のお父さんは笑顔でこちらに手を振っていた。
「こんにちは。朱音ちゃん~」
「おいやめろよ! 今日だけは大人しくしてくれ。仕事モードになってくれって!」
そんな声と共に匠君のお父さんの姿が段々と遠のく。
それは、必死で止めようとしている匠君によって。
今日の匠君はスーツ。私服か制服だと思ったんだけれども……
しかも、匠君のお父さんとお揃いっぽい気がする。双子コーデと言われても違和感が無い。
二人共スーツがネイビーの生地にホワイトとグレイの中間のストライプ柄。ネクタイは色違いだけど某ブランドを象徴するロゴ入り。
「そんなに肩肘はらないでよ、匠。ほら、リラックス。あっ、朱音ちゃん。見て~、スーツとネクタイが匠とお揃いなんだ」
匠君のお父さんが匠君の肩を抱き寄せた。
「そっちが真似したんだろうがっ!」
「匠が着物を着るなって言うからスーツにしたのに酷っ! 双子コーデイメージしてみた」
「どうして俺と父さんは時々買うものがダブるんだっ!?」
「趣味が近いんじゃない? それより匠は制服か私服でいいのにどうしてスーツなんだい? ねぇ、なんでかな~? それって、娘さんを嫁……――むぐっ」
「余計な事言うなって! もういいから大人しくしてくれ」
匠君は早口でまくしたてるように言いながら、腕を伸ばして匠君のお父さんの口元に手を当て遮ってしまう。
繰り広げられるそれについ顔が綻んでしまった。だって、いつもの匠君達の姿だったから。
――あいかわらずの仲の良さで何より。私、匠君のお父さんと匠君のコンビ好きだなぁ。
「……あれ?」
そんな匠君達のやりとりに少し和んでいると、二人の隙間からちらっと何かが掠めた気がした。
そのため、私は首を傾げてしまう。
それは明らかに着物の柄の一部で透き通る海を思わせるような生地で涼しげ。
それに意識を取られていると、「朱音」とお父さんの声が届く。そのため、私はモニター画面から右手へと顔を向ける。
すると訝しげな表情を浮かべたお父さんが佇んでいた。
休日はポロシャツとデニムというラフな格好が多いが、今日のお父さんは前髪を撫でつけスーツ姿。まるで出勤する時のような恰好。
その後方にはお母さんも。琴音はソファに身を預けたままだ。
「五王さんじゃないのか?」
「そうだよ。匠君達」
「そうか、いらっしゃったのか……玄関までお出迎えに行くぞ」
「うん」
私は頷き「今、開けますね」とドアホンに向かって声を掛けた。
家族全員で匠君と匠君のお父さんをお出迎え。
全員そんなに広くない玄関のたたきに靴を履いて佇んでいるせいか、若干窮屈。
ずらりと並んでいる露木家一同。
私は一歩前に出て玄関の施錠を外し、扉を開ければ匠君と匠君のお父さんが。
ニコニコとした笑顔の匠君のお父さんの隣で、匠君はげんなりとした表情をしている。そんな二人の背後には、道路にハザードを付けて黒塗りの車が停車していた。
――あれ? 匠君のお父さん、ご自分で運転してくるっておっしゃっていたのに……もしかして、バラバラに来たのかな……?
うちの駐車場の方を見ようにも、完全に開け切った扉によってちょっと無理。うちの玄関は内側からでは外に押すタイプ。そのため、ちょうど視界を遮られていたのだ。
「こんにちは、朱音ちゃん。今日はよろしくね」
「こんにちは。こちらこそお願いします」
匠君のお父さんは私と瞳が合うと、目じりを下げて軽く一度頷く。そして、私の頭をポンポンと軽く撫でると、「さっきよりは大丈夫そうかな」と告げた。
「えっと……?」
何が大丈夫なのかわからなくて首を傾げていると、
「父さん! だから、朱音に気安く触るのやめろって!」
という匠君の怒号にも似た声が飛んできた。
そちらに顔を向ければ、眉を吊り上げた匠君が。
「あっ、ごめん。わかっているよー。ほら、匠も。もうっ、やきもち焼き屋さんなんだからっ! かわいいねー」
そう言って匠君のお父さんは、腕を伸ばして匠君の頭も同じように撫でる。
けれども、それは匠君によって瞬時にはたかれてしまう。
「違うっ! そうじゃない。わかっていてやっているだろ。俺で遊ぶなっ!」
「息子と遊びたい年頃なの」
匠君のお父さんは匠君にそう告げると、今度は私の両親の方へと体を向けた。
そして顔を引き締める。
「いつも息子と娘が朱音ちゃんにお世話になっています。本日はお忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございます」
匠君のお父さんが挨拶をしてくれた。爽やかな笑みを残して。
両親はそれに慌てて「こちらこそ、いつもお世話になっています」と頭を下げる。緊張しているのか、ちょっと動きが硬い。
「初めまして。私、妹の露木……――」
両親の挨拶が終わると、すぐに琴音が間をおかずに匠君のお父さんの前に出る。そして、そう可愛らしい声を上げれば、
「あら、こんにちは」
という鈴の音のような凛とした声音が遮った。
それが思いのほか近かった事、それから心当たりがあったため、私思考が一気に渦を巻いてしまう。
だって、この声って――
私は声がした玄関の扉へと顔を向けた。その裏から声が飛んできたからだ。
「え」
琴音の頭の中にも浮かんだのだろう。その対象者が。
彼女は顔を引き攣らせたまま、一歩ずつ距離を取るために後方へと退く。
「あぁ、すみません。またご紹介していませんでしたね。うちの娘がどうしてもと言って……」
そう言いながら匠君のお父さんが「ご挨拶しなさい」と視線を扉へ向け声をかければ、扉側からゆっくりと影が現れる。それは、私がちょっと前に見た鮮やかな柄の着物を纏った人だ。
音もなく足を踏み出し、まるで広がり浸食していく竹林のように静かな笑みを浮かべた。
「――ふふっ。来ちゃいましたわ」
「の、のっ、呪いのっ……!!」
琴音は咄嗟に口元を手で押さえた。
それ以上言葉が零れてしまわないように。
「初めまして、朱音さんのお父様お母様。私、五王美智と申します。朱音さんにはとてもよくして頂いておりますの。えぇ、姉のように慕っておりますわ。本当の姉になって頂ければうれしいのですが……」
美智さんはそう言いながら、ちらちらと匠君の方を眺めている。
それを匠君のお父さんがニヤニヤとしたような表情で匠君を見ているけど、気のせいだと思う。だって五王の人間だもの。
「まぁ! 存じ上げています。朱音からも伺っておりますので。それに保護者会でもとても有名で話題の方ですから」
「琴音と同じ学年で常に首席だと。才色兼備で素敵なお嬢様ですね」
両親は突然の美智さんの登場に大歓迎のようだ。まるで芸能人にでも遭遇したかのように声も高く、顔の表情もぱーっと明るくなっている。
流石は美智さんだ。
「ほら、琴音!」
「えっ、ちょっと待ってっ!?」
ぐいっとお母さんに押され、琴音が一気に美智さんの前に出た。
そのせいで、折角作った距離がゼロに。
天敵とも言える美智さんの登場に逃げ腰の琴音。
その上、仲良くするようにゴリ押しされている状況。そのため、若干顔が青ざめている。さっきリビングで美智さんの事をあれほど言っていたとは思えないぐらいの様変わり。
「琴音って言うんです。凄く良く出来た私達の自慢の娘なんですよ」
「あら、朱音さんの妹さんね」
「えぇ。朱音と一つ違いなんです。美智さんと同じ六条院に通っています」
「まぁ! 奇遇ですわね。朱音さんの妹さんと同じ学校だったなんて」
――あれ? 美智さん、琴音とは以前うちで遭遇したはずだよね……?
「私の事、ご存じのはずですよね? さっきから『朱音さんの妹』って! 私は露木琴音です!! お姉ちゃんのオプションなんかじゃない」
何が気に障ったのか、突然叫ぶように美智さんに言葉をぶつけた琴音。
眉を吊り上げ不機嫌さを隠していない。ついさっきまで逃げ腰だったのに何故? と思ったけれども、琴音はちょっとだけお父さんの背に隠れていたのでまだ面と向かっては言えないのだろう。
「あら? ごめんなさい。こ、こと……? 貴方のお名前なんでしたかしら? 『朱音さんの妹さん』」
後半を強調しながら美智さんは、にっこりと微笑んだ。
それには琴音が唇を噛みしめ、手で拳を作っている。
あぁ、そうか。やっとわかった。琴音がどうしてキレているのか。
『露木朱音の妹』そんな風にいままで言われた事がない。ちゃんと名を覚えて貰っている。
自分の存在が知れ渡っている優越感、そして高いプライド。
それを美智さんは真っ向から叩き切ったのだ。
「どうやら美智様は記憶力があまりよろしくないようですね」
「学年主席であり全国模試五位の私が記憶力悪い部類なら、私以下の方達はもっと記憶力が悪い事になってしまいますわ。あら? そうなると貴方は確実に……まぁ、大変! 言葉がブーメラン。でも、仕方ないわよ。気になさらないで。だって、記憶力が悪いんですものね。貴方は」
「――……っ」
「私、家柄的に人の名前と顔を覚えるのが得意なの。でも、貴方の名前はなかなか覚えられないのよね。困ったわ。何故かしら? あぁ、きっと覚える気がないのかもしれない。ごめんなさいね、朱音さんの妹さん」
そうはっきりと告げ口角を上げた美智さん。
その一方で琴音は完全敗北。顔を真っ赤にさせ涙目になりながら、完全にお父さんの影に隠れてしまった。
だが、それがお父さんの勘違いを生んでしまうことに……
「琴音。美智さんが琴音の名前を憶えてくれなかったから拗ねているのか? そうか、そんなに美智さんと仲良くなりたかったのか」




